第9話
その日の夜遅く。
ソウルケイジは人影の少ない大通りから万職相互組合の正面玄関へと足を踏み入れた。時間が時間だけに、エントランス兼ロビーに居る万職の数もまばらだ。
受付カウンターの奥では、夜勤番の中年男性職員が眠そうな顔で木椅子に腰かけている。
何人かの万職の若者がソウルケイジの姿に気付いた様だが、彼らはただ遠巻きに視線を送ってくるばかりであった。
静かな空気の中を、ソウルケイジはカウンターへと進む。それまで眠たげだった中年男性職員は、目をこすりながら応対に立った。
「他へ移動する時は、滞在登録の削除は必要か?」
「あぁ、いえ、特にその様な手続きは……って、もしかして、他所へ行かれるんですか?」
不意に目が覚めた様に、中年男性職員は両の瞼を見開いた。
エントランス兼ロビーに居た他の連中も、何事かと耳をそばだてている。
しかしソウルケイジは彼らからの反応などまるでどこ吹く風で、中年男性職員に頷き返した。
「ここでの用は済んだ。世話になった」
「え……ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ったぁ!」
中年男性職員はカウンター横の跳ね扉を慌てて押し開き、エントランス兼ロビーへと飛び出してきた。ソウルケイジは一応足を止めて半身で振り向いたが、その面には感情の変化は一切見られない。
ただ無表情に、幾分呼吸が乱れている中年男性職員の顔を見た。次いで、胸元の名札に視線を落とす。トゥブリーというのが彼の名だった。
「万職が街から街へ転々とするのは普通のことだけど、あんたはちょっと事情が特殊なんだ。少し、待って貰えないかな!」
トゥブリーは早口にまくし立てた。一分でも長く、ソウルケイジをこの場に引き留めようという意図がその表情の隅々から垣間見える。
彼は一体何をそんなに焦っているのか。ソウルケイジには分析が必要だった。
「理由を聞こう」
「ま、まずあんたは、この街では久々に誕生した純銀級だってことと、それから、アニエラちゃんのこともあるし……」
ソウルケイジには理解不能だった。純銀級に昇格したことと、アニエラが何故ここで関係してくるのか。
分からない以上は、相手に説明させるしかない。ソウルケイジは更に言葉を促した。
「えぇっと、だから……純銀級の誕生をうちの組合総出でお祝いしたいってのがひとつ。それから、あんたのことを個人的にも凄く推していたアニエラちゃんが不在の間に、お別れの挨拶も無しで行かせてしまうのは、そのぅ、人情的に如何なものか、っていうのがひとつ」
ソウルケイジは、トゥブリーのいわんとしていることが理解出来たが、応じるつもりは無かった。
今は少しでも早く、王都シンフェニアポリスに向かわなければならない。
「牙鋼以上に昇格した時点で即座に街を出ることは、アニエラにも既に伝えてある」
「え、そ、そうなの?」
万職の階級のうち、初心者の翔木と、駆け出しの堅鉄は定期的に依頼を受けておかなければ、登録証が失効するという規則がある。連続して六十日の間に何の依頼も受けなければ、万職として生活してゆくことを諦めたと見なされるのだ。
しかし牙鋼に昇格した時点で、その制約は解除される。ソウルケイジとしては、何もせずとも半永久的に街から街へ、国から国への移動が可能となる通行証が確保出来れば、それで良かった。
想定外だったのは、堅鉄級からいきなり純銀級へ三段階もの飛び級で昇格したことであったが、登録証の失効というリスクさえ無いのであれば、何級であろうが正直、どうでも良かった。
「はは……随分とドライだね。純銀級なんて、この辺の連中にとっては憧れ中の憧れなんですよ。うちの支部長だって同じ純銀級だけど、あんたには手も足も出なかったからね」
今回ソウルケイジが純銀級の昇格でとどまったのは、クルアドー支部局長のケルディンにその権限が無かったからだ。ケルディン曰く、ソウルケイジの実力はもしかすると光金級かも知れないということだったが、純銀級の彼には己を越える階級への昇格を承認する権限は無かったのである。
そこで仕方無く、暫定という形でソウルケイジを純銀級に昇格させたという経緯があったらしい。
「そうか。俺は牙鋼以上であれば別に何でも構わん」
「いや……そんなこと他の連中の前でいったら、あんた顰蹙買いますよ」
トゥブリーはやれやれとかぶりを振り、苦笑を滲ませた。
が、その面には諦めの色が漂っている。これ以上の引き留めは無理だと観念したのだろう。
「アニエラには宜しくいっておいてくれ」
「いわれなくても、勝手にそう伝えておくつもりでしたよ」
トゥブリーは頭を掻きながら、大きな吐息を漏らした。
ソウルケイジは改めて軽い会釈を送ってから、暗い大通りへと出た。
数日前に瓦版で見た、シンフェニアポリス近郊での極大凶獣群迎撃戦の記事を再度、吟味する。あの戦いに参加した聖癒士リストの中に、リテリア・ローデルクの名があった。
彼女の存在が少しずつ、世界を覆う荒波の中に浮上しつつある。
(オリオン座第十二銀河星団では、未だ特異星殿の正確な位置を把握していないと考えられる。しかしメテオライダーは既に太陽系に入った筈だ。恐らく隕石型降下揚陸艇が月軌道上付近まで接近しているだろう)
予測到達日時を計算し、これ以上クルアドーで時間を潰すことは出来ないと結論づけた。
こうしてソウルケイジは、王都シンフェニアポリスへと続く街道を、文字通り目にも留まらぬ速さで駆け抜けていった。
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