第6話

 王都シンフェニアポリス、城壁外拠点。

 翌日にセルメド村方面中型凶獣殲滅作戦へと出立する王立第四騎士団の面々が慌ただしく駆け回る中、リテリアは自身にあてがわれた専用テント内で装備品のチェックを進めていた。

 明日の今頃にはもう、馬に揺られて街道を西進している筈だ。ゆっくり出来るのは精々、今夜までだろう。

 そんなことを考えながら、リテリアは手際良く野営用具や保存食をそれぞれの革袋や鞄、背嚢などに詰め込んでゆく。

 彼女の動きは、すこぶる軽い。というのも、ひとつ嬉しい出来事があったからだ。

 この少し前、厩舎で馬に餌と水を与えていたところで、リテリアはアルゼンから声をかけられた。

 アルゼンは第二近衛隊所属だから、本来であれば今回の作戦とは無関係の筈だったが、王命により、一部の近衛騎士も増援兵力として帯同することになっていた。


「ご気分は如何ですか、特級聖癒士殿」

「バルトス様……はい、今はもう大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます」


 頭を下げるリテリアに、それは良かったと穏やかに笑みを返すアルゼン。

 戦場では勇猛果敢に敵を薙ぎ払う近衛騎士も、リテリアの前では落ち着いた紳士然の姿を見せている。

 ひとたびスイッチが入れば戦士の顔を見せる若者だが、日頃は貴族子息としての礼節と大人の雰囲気を漂わせる好青年というのが、リテリアのアルゼン評だった。


「それにしても災難でしたね。先日の極大凶獣群迎撃戦だけでも大変でしたのに、日を置かずにまた遠征に駆り出されるなんて」

「それもまた、聖癒士の務めですから」


 リテリアは薄く微笑んだ。

 正直なところをいえば、少し不安で、少し寂しかった。大体の戦場では同僚の聖癒士がそばに居て、共に治癒活動に当たってくれる。

 それが今回は、リテリアと暁の聖女メディスのふたりだけだ。特にメディスは聖女に覚醒してから日が経っていない。治癒技術に関してはほとんど素人といって良いだろう。

 そうなると、余り多くのことをメディスには期待出来ない。であれば尚更、他にもう数名聖癒士を投入出来なかったのだろうかと、今でもリテリアはその点が心残りだ。

 しかし決まってしまった以上はもう、とやかくいったところで始まらない。

 リテリアは現場でまごつくであろうメディスの分も含めて、いつも以上の力を発揮しなければならないと腹を括るしかなかった。

 そんな状況にあって、アルゼンの様に声をかけてくれる者の存在は本当に有り難かった。

 彼に治癒活動が出来る訳でもないのだが、こうして気を遣ってくれるだけでも、リテリアの心に圧し掛かる重い空気は僅かにでも振り払える様な気がしたのである。

 実際この時も、リテリアはアルゼンと軽く言葉を交わすだけで随分と気分が軽くなったのを感じた。


「ところで特級聖癒士殿……その、バルトス様というのは、出来ればやめて頂けないでしょうか」


 不意にアルゼンが、幾分はにかんだ様子で頬を掻いた。

 彼が何をいわんとしているのかリテリアにはすぐには理解出来なかったが、アルゼンは一瞬だけ間を置き、更に態々咳払いして意を決した様子まで見せた。彼は一体何をいおうとしているのだろう。


「えぇと、リテリア嬢……可能ならアルゼンと呼んで貰えると、俺も大変嬉しく思うし、話し易いのですが」


 この時リテリアの胸の奥で、鼓動が早まる様な高揚感を覚えた。

 自分をアルゼンと呼んで欲しいといわれたこともさることながら、彼が特級聖癒士殿ではなく、リテリアの名を呼んだことに驚きと、そしてそれ以外の奇妙な感情が高ぶるのを感じたからだ。


「あ、いや、その、勿論嫌なら、今までと同じで構わない。ただ、その、もし出来れば……」


 ここから先は余り言葉になっていなかった。アルゼンは妙に口ごもり、低い声でごにょごにょと呟いている様な有様だった。

 リテリアはしかし、嫌な気分ではなかった。寧ろ、自然と頬が緩んだ。このひとに名前を呼んで貰えるなら、是非そうして欲しいと思った。

 同時にリテリアも、アルゼンという言葉の響きの中に嬉しさを感じた。

 このひとが一緒に居てくれるなら、これから立ち向かうであろう死の戦場も、必要以上に恐れる必要は無いとすら思えた。


「私は、その、平民ではあるのですが……もし、アルゼン様さえ良ければ」


 自分でも頬が上気しているのが分かる。

 それでもリテリアは、自身の心を励まして口にした。

 瞬間、アルゼンの表情がそれまでとは打って変わって、蕾が花開いた様な明るさに彩られた。


「ありがとう、リテリア嬢! 是非今後とも、宜しくお願いします」

「はい、こちらこそ。アルゼン様」


 このやり取りが、リテリアの心を暫くの間、大いに軽くしたことは間違い無い。


◆ ◇ ◆


 ところが、良いことというのはそう長く続くものではないらしい。

 ひと通りの準備を終え、遅い夕食を済ませてこれから就寝前の祈りに入ろうとしたところで、不意にリテリアのテントを訪ねてくる姿があった。

 メディスだった。


「リテリアさん。少し、宜しいかしら?」


 返事をする前に、否応無くリテリアの専用テントの中へと足を踏み入れてくる聖女。リテリアは慌てて立ち上がり、見様見真似の作法で上位者への挨拶を口上に乗せた。

 しかしメディスは応じるどころか、無言でリテリアの挨拶を聞き流すばかりであった。

 一体このひとは、こんな時間に何の用だろうか?

 リテリアは上位の訪問者に勧められる椅子が無いことを詫びながら、相手の口元に視線を据えた。


「討伐戦での受け持ちについて、少しご相談させて頂きたいと思いまして」


 だがその口調には、相手を捻じ伏せる高圧的な響きが感じられた。

 これは相談ではない。

 そう、これは――命令を下しに来た者の態度だった。

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