第3話 朝の来訪

 王都シンフェニアポリス近郊に於ける極大凶獣群迎撃戦から、三日が過ぎた。

 リテリアの胸の奥には未だに、鉛の様な悔恨がずっしりと根を下ろしている。

 そんな彼女に対し、同僚の聖癒士達が有名店での食事に誘ってくれたり、アクセサリーや服の買い物などに付き合ってくれたりして、何とかリテリアを励まそうとしてくれていた。

 聖癒士は基本的に、女性しか就くことが出来ない。体内の霊素を治癒力に変換して他者を癒すことが出来る力は女性のみに具わっているとされ、更には才能と努力によってその霊素変換能力は大きく変動する。

 リテリアの様な特級聖癒士ともなれば、類稀なる才能はもとより、血の滲む様な努力があって初めてその称号を名乗ることが出来る様になる。

 その為かどうかは分からないが、リテリアを気遣ってくれる聖癒士達は羨望以上に、尊敬の眼差しを送ってくれる者が多い様な気がした。

 彼女達は良い同僚であり、良い友人であり、そして良い相談相手でもあった。

 リテリアが特級聖癒士の座に拘らず、気さくに話しかけたり共に励まし合ったりする姿勢が、もしかしたら彼女達の心を上手く掴んでいたのかも知れない。

 だからこそ、リテリアは申し訳なかった。こんなにも彼女達は自分の為に気を遣ってくれているのに、リテリアはいつまで経っても気分が晴れず、若い騎士達の命を救えなかったことに未だ悶々としている。

 一緒に居てくれる同僚や友人達の為にも、早く立ち直らなければ――そうは思うものの、しかしリテリアの心はそう簡単に晴れ渡ってはくれなかった。


「貴女は私の仲間を大勢、救って下さいました。寧ろ御礼をいうのは私共の方です」


 アルゼンからの言葉が時折、脳裏を駆け抜けてゆく。

 理性では、分かっていた。如何に特級聖癒士だろうと、どうにもならない時はある。全ての命が救えるなどというのは、傲慢な思い上がりだとリテリア自身もよく分かっているつもりだ。

 それでもここまで引き摺ってしまうのは、心のどこかに、自分は皆とは違うというプライドの様なものが燻っているからなのだろうか。


(私……嫌な女だな……)


 夜を迎えたカレアナ聖導会の聖癒士宿舎内。

 自室のベッドに顔を埋めながら、リテリアは内心で何度も大きな溜息を漏らした。

 折角同僚や友人らが心を砕いて励ましてくれているのに、作り笑いを返すことしか出来ない。その原因が、己の高慢なプライドから来ているものだと思うと、情けなさと恥ずかしさが同時に込み上げてくる。

 本当にこんな調子で、これからも傷ついた兵士や騎士達を癒してゆくことが出来るのだろうか。

 もしかしたら私は聖癒士には向いていないんじゃないか――そんな不安すら、徐々に鎌首をもたげ始めた頃、不意に廊下からドアをノックする音が響いた。


「遅くに御免……リテリア、もう寝ちゃった?」


 よく聞き知った声が、申し訳無さそうに呼びかけてきた。

 リテリアは慌てて飛び起き、薄手の部屋着のまま木製扉を引き開けた。

 見ると、薄暗い廊下に燭台を手にした同僚聖癒士ソフィアンナ・マデロウの姿があった。ソフィアンナは部屋着の上に聖癒士の簡易軽装たる上着を羽織っていた。


「まだ起きてたらから大丈夫よ……それより、何かあったの?」

「うん、さっき聖導師様から通達があって、明日の朝、聖導会第一本堂にリテリアを呼ぶ様にっていわれて」


 ソフィアンナはリテリアよりひとつ年上の19歳。カレアナ聖導会シンフェニアポリス本部に於いては聖癒士会長を務めている。

 この会長職は聖癒士としての実力ではなく、事務的能力や聖癒士達を取りまとめるリーダーとしての資質が必要とされており、彼女は特級ではないものの、その人格や会長職に必要とされる諸々の能力を買われて抜擢されたという経緯がある。

 リテリアもソフィアンナの聖癒士会長としての職務能力にはたびたび助けられており、本当に素晴らしい程の適材適所だと常々思っている相手だった。

 そのソフィアンナが夜遅くに態々簡易軽装の上着を羽織って訪ねてきたということは、聖癒士会長の職務として足を運んできたに違いない。そして事実、その通りであった。

 それが先程の通達であろう。聖癒士宿舎は女性用の住居である為、男性の訪問は道徳的に憚られる。そこで会長のソフィアンナを通じてリテリアに緊急の通達を申し送りしてきたという訳であろう。


「でも、何だろうね……リテリアは明日、非番の筈なのに」

「もしかしたら、公爵以上のどなたかのご訪問があるかのかもね」


 敢えてリテリアを呼ぶということは、特級聖癒士としての彼女の立場た必要だということは何となく予測出来る。しかし緊急事態以外でリテリアを非番の日に呼び出すということは、大体その辺の事情だろうと読むのが妥当であった。


「リテリア、大丈夫? 無理してない? もし何だったら、お断りしようか?」

「ありがとう……でも、大丈夫。明日は朝の祈祷の定刻にお伺いするってお伝えして貰って良いかな」


 うっすらと微笑むリテリアに、ソフィアンナは尚も心配そうな面持ちながら、小さく頷き返した。


◆ ◇ ◆


 翌朝。

 リテリアは特級聖癒士の正装に身を包んで、カレアナ聖導会シンフェニアポリス本部の第一本堂へと予定時刻通りに足を運んだ。

 そこにはよく見知った顔――ブラント・シェドル筆頭聖導師が穏やかな表情で佇んでいたが、更にもう幾つか見覚えのある姿があった。

 が、何より驚いたのが、それらの人影の群れの中央に佇んでいるのが、クロルド・サディア・エヴェレウスだったことである。

 ここエヴェレウス王国の第二王位継承権者であり、武勇に優れたつるぎの王子であった。


「久しぶりだな、リテリア」


 まるでおとぎ話の中から飛び出してきたかの様な、端正な顔立ちが静かに微笑む。

 リテリアは胸が高鳴り、頬が熱くなるのを感じた。


(え、ちょっと……聞いてないよ……!)


 クロルド王子とは、初対面ではない。

 それどころか、リテリアは平民の身でありながら、将来はこの第二王子との婚姻まで話が進められている。

 特級聖癒士は、聖女に次ぐ神聖職とされており、通常であれば侯爵家以上の令嬢が就任するというのが通例だった。が、近年に於いては高位貴族家格から特級聖癒士は輩出されていない。

 そしてエヴェレウス王国に於いては第二以下の王位継承権者が聖女若しくは特級聖癒士を娶ることが、王家の地位安泰の手段のひとつとして一般的に認知されていた。

 現在、王国内には聖女は誕生しておらず、特級聖癒士もリテリアひとりしか居ない。

 その一方で、王族と平民の婚姻は血統法によって禁じられている為、近い将来リテリアはそこそこの家格の高位貴族家への養子縁組が組まれる予定となっていた。

 しかし今はまだ、リテリアは特級聖癒士であるとはいえ、飽くまでも平民の身分に過ぎない。

 それなのに何故クロルド王子が、態々足を運んできたのだろうか。

 リテリアはただただ兎に角頭が混乱するばかりで、喉の奥がからからに乾いて仕方が無かった。

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