第14話 舞台が出来る
7月になると、外は暑い。奏太と千穂は、公民館の薄暗い入り口のイスで音を小さくして練習することが増えた。
奏太は千穂に、丁寧に指の形と動きを教えてくれる。
弦を押さえる指は次の形にうつりやすいように考えると、スムーズになるのだ。
「あと、左の親指はもっと下の方が押さえやすいかも。試してみて」
「わかった。……ねぇ、奏太くん。やっぱり演奏会出ないの?」
暑いので、入り口の窓から差し込む光を避けて座っていた。自然と奏太の顔も影になる。
「ごめん。わたし杏さんから、奏太くんのパパがウクレレ苦手だからじゃないって聞いた」
奏太は少しだけ驚いた顔をしたけれど、すぐにいつもの表情になった。
「父さんは、あまりウクレレを好きじゃない良く思ってないのは確か。だから、あまり見られないようにしてた。嫌いなものが好きで夢中になってるって、嫌だろうなって」
親子でそんなことあってほしくないのに。千穂は悲しくなった。
「でもさ、挑戦してみようかなって。いつかウクレレが良いものだと、父さんに思って貰えるように」
千穂みたいに一生懸命やってみようかと思った。
そう言われて驚いた。そんな風に思われていたのか。
「奏太くんは、ずっと挑戦してたよ。ウクレレが特別上手になるまで練習してたんだから。でも、その時が来たのかも」
試行錯誤しながら練習しているうちに、千穂には自然と笑顔が溢れてきた。
「本当にありがとう。奏太くんがいなかったら、きっとここまで来られなかったよ」
と言うと、奏太はウクレレを弾く姿勢で前を向いたまま、
「一緒に頑張ってきたから、ここまで来れたんだよ」
と答えた。その瞬間、二人の絆が一層強く感じられた。
窓の外の青い空には、白く立体的な雲が大きく浮かんでいた。
全体の練習日に、千穂は星めぐりの歌を披露した。
「お、なかなか上達しましたね」
足田さんが眼鏡の奥で笑った顔を見て、千穂は安心した。
「星めぐりの歌を作った人は、宮沢賢治という東北に住んでいて、詩や童話を書いた人なんですよ」
足田さんが国語の先生だったことを思い出した。
「宮沢賢治は星がきれいに見える場所で暮らしていたので、この曲が生まれたのでしょうね。季節ごとに、夏や冬の星座を夜空に見上げて。千穂さんや奏太くんも、これからたくさんの季節の中でウクレレを弾いて行くのでしょう。僕はこの曲がとてもいいと思います」
演奏会へ出ると決意した千穂はママへ、私もう一度お祖母ちゃんに来てほしいって言ってみるとスマホを借りた。
「お祖母ちゃん、演奏会にわたしも出ることにしたの。まだ始めて四カ月ぐらいしか経ってないから、あまり上手ではないんだけど」
見に来てほしい。
「上手くいくかどうか。人前に出るのも緊張して、わたし本当はこわい」
「千穂」
「でもお祖母ちゃんに見に来てほしいから、一生懸命練習して出る。もっときれいな音を出せるように」
しせい。
「え?」
「背筋が伸びてた方がきれいな音が出るの」
あ、実際弾いていて音の違いを感じる時があった。
猫背と、背筋を伸ばした時の響き方。
「気を付ける。お願い見に来てくれる?」
「そうね、千穂の演奏見てみたい」
お祖母ちゃんは、ささやくように言った。
思い出のウクレレと一緒に演奏するとはまだ言っていない。それが、喜ばれるかわからない。
あと数日で、出来ることは練習だけだ。
「千穂、本番前にウクレレちょっとふいてあげたら」
そう言って、ママがやわらかいクロスを渡してくれた。
「相棒は大事にきれいにしてあげなきゃ」
「うん」
「あとは、天気の心配ね」とママがテレビを見ている。
ここ数日の間、雨が降ったり止んだりしていた。
昨夜の雨は、日中の暑さで乾いていた。
公民館の建物の前に、木がある。その木陰に台が並べられていた。それほど高さは無いがステージだとわかる。
アイボリー色の天幕が貼られ、大きなテントのようだった。そこに照明も吊り下げられるとらしい。
「本番の立ち位置を確認しよう」
足立さんや三原さんに続いて、千穂も踏み台から登る。
あがると意外と高く感じた。広場がよく見える。
ステージには、イスが置かれている。
「譜面台は、イスの前」
「横並びで、千穂ちゃんと奏太くんが真ん中かしら」
それを聞いて、千穂は人が見ている景色を想像して青くなる。
たくさん見られて、失敗する自分。
固まって、静まり返る演奏会。
「千穂ちゃんの位置は、ここ、でいいかしら?」
黙り込んでしまった千穂の異変に、三原さんが気づき大丈夫と聞く。
「わたし、人前に立つの、すごく苦手で。学校の自己紹介でも失敗して……。緊張して失敗しやすいんです。真ん中ではなく、もう少しはじに寄ってもいいですか」
思い切って言った。演奏をがんばれるように、お願いできないかと思ったのだ。
「そう、そうだよね。初めてだし余計に緊張するよね。ごめんね、気づかなくて。横にずれて、後ろに下がろうか」
「大きめの紙を譜面台の前に置いて、隠れやすくする?」
足田さんと三原さんが、千穂の意見で場所を変えてくれる。
「え、いいんですか?」
「もちろん。苦手なこと誰だってあるし。演奏会は嫌なことをする場所ではないからね。楽しくなる方法をみんなで考えよう」
「ありがとうございます」
こんな風に出来る演奏会だったら、和子お祖母ちゃんも嫌にならなかったかもしれない。
演奏会の前日、千穂はまた夢を見た。
夢の中で千穂は、舞台の上に立っていた。辺りはほとんど暗くて、舞台であるなら見ている人がいるはずなのに、人の姿はなかった。ただ自分の中で、本番という気持ちとウクレレの弦を鳴らしている意識がある。
本番だ、間違えたら大変だ。緊張で震え、強張る体がある。
指が、腕が固い。動きがなめらかにつながらない。
焦りが襲う。
光を浴びている。本番の演奏者に注がれる光だ。
千穂は恐怖の中、その時が訪れるのを知る。
違う、外れた音が鳴る。耳障りな不協和音。メロディがつながらない。音楽にならない。
そして手が止まる。
沈黙。辺りの暗闇が、千穂を押しつぶすような沈黙。
息苦しさの中で、発見する。
これは、過去の演奏会の恐ろしいエピソードだ。怖い経験を思い出すことを、フラッシュバックと言うのだとテレビで聞いたことがあった。
これがお祖母ちゃんが感じた恐怖。
演奏の失敗に会場が静まり返る、苦しさは千穂が自己紹介で特技の言えなかった沈黙にとても似ていた。
千穂は新しいことに気が付いた。
目が覚めて、はっきりとした頭が思う。
それは千穂の祖母が失敗した演奏会で、ウクレレ自身がそのことを思い出していたのだ。
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