第17話 演奏会の終わり

 踏み台を登り、ステージに進み出る。

 千穂の視線は、観客の中に祖母の姿を探した。見つからないことに、不安が胸をよぎるが、ウクレレの温もりある手触りに気持ちを落ち着けた。

 広場は薄闇に包まれていた。

 中央から横にずれた譜面台の前に立つ。 

 足立さんと三原さんがうなづく、始めるタイミングは千穂が決める。


 指の位置を確認し、深呼吸をする。

 慎重に最初の弦を親指で鳴らすと、心地よい音が夜空に溶け込む。

 千穂のために簡単にアレンジされた。

 でも星めぐり歌の主旋律のメロディだ。

 真っ暗な夜空に、星が一つだけただようのように。頼りなくて、でも確かに光りながら音をとどける。

 一番を弾き終える。

 千穂はステージ上で対になって立つ、奏太を見る。

 彼は得意そうに口の端をあげてうなづくと、透明にやわらかに響く音が加わった。

 二人によって曲の合間の間奏が、静かにつながる。


 足田さんや三原さんたちも加わり「星めぐりの歌」が幻想的に響き渡る。

 照明が木々を照らし、さらに雰囲気を創り出す。

 そして、歌が重なる。



 公民館の坂の下に一台のタクシーが到着した。

 千穂のお祖母ちゃんである和子は、大雨による土砂崩れで電車が止まり足止めされていた。偶然にもその駅で、昔のウクレレ仲間である友人たちと再会したのだ。

 二人は和子の孫である千穂から電話を貰い、今日の演奏会の話を聞いたのだと言う。

『引っ越して以来、あの街に戻っていないし』

『いい機会だから、演奏会を見て近くに泊まって。懐かしい場所を見て、ゆっくりしようかと思っていたの』

『ずっと、幼い孫たちの側にいて忙しなかったから。私たちも夏休みをね』

『和子さんのお孫さんは大きくなりましたね』

 同じ演奏会を目指していたが、電車は止まり、三人は駅でどうしようかと相談をした。

 それから、なんとか駅前からタクシーに乗ることができ、一緒に矢坂町公民館まで一時間半ほどかかりたどり着いた。

 車のドアが開くと比良川夫妻に早く行ってとうながされ、和子は夜店が並ぶ坂道を急いだ。さまざまな食べ物のソースや、甘い匂いがしていた。



 曲が終わったのか、建物のあたりから聞こえてくる拍手。

 坂を登り切ったところで、屋台が途切れ明かりが少なくなる。

 スピーカーから音楽が聞こえた。眩暈がするぐらい懐かしい、ウクレレの明るく響くあの音。

 ポロンと軽く明るい音色。

「あ」

 曲はすぐにわかった。

  あかいめだまのさそり

 

 忌まわしいともいえる、胸をざわざわとさせる星めぐりの歌だ。

 けれど、そんなものは驚きですぐに薄まってしまった。

 広場に集まる人は、同じ方向を見ていた。

 とてもゆっくりな、一音、一音に合わせるように照明が優しい光を一つずつ取り戻す。

 その舞台の、明かりの中心にいたのは丁寧にメロディーを奏でる、千穂だった。


 息を飲む。

 まだ、はじめて数か月と言ったのに。

 曲調はゆっくり、音を拾う。けして難しいものではない。

 でも目立つことが苦手だった千穂が、人前で演奏している。

 白い浴衣をきて、ウクレレを抱えしっかりと立っている。

 メロディーが一巡いちじゅんすると、新たな音律おんりつが加わる。

  アンドロメダのくもは 


 照明がいっそう明るくなり、新たに加わった歌声がハーモニーをかなでる。

 昔和子自身が失敗した難しいアルペジオではなく、簡単なものに変えられていたが、楽しそうに時おり顔を見合わせて弾く千穂と、同じ年頃の少年の姿に和子は心が揺さぶられた。


 曲が終わり舞台から人が降りていく。次の曲にうつるようだ。

 開催からだいぶ時間が経っていた、千穂の出番は終わったのかもしれない。

「お母さん! 無事でよかった。ぎりぎり間に合ったのね」

 娘夫婦に声を掛けられ、

「大雨で、木が倒れたところがあって。タクシーで来たのよ」

 と、答えた時。


「おばあちゃん!」

 自分にかけよってくるのはまさしく千穂だった。

「ああ、遅れてごめんね」

「ううん、雨で電車が止まったって聞いた。来てくれてうれしい」

「千穂の演奏とっても良かったわ」

 千穂が照れながらも嬉しそうに、ほんと?と言う。

「ねえ、お祖母ちゃんこのウクレレ覚えてる?」

 千穂が差し出したのは、見覚えのある白い線の模様が入ったウクレレだった。

「え、これって?」

 孫が一生懸命演奏した、そのウクレレはかつて自分が演奏していたウクレレだった。



 千穂は大好きな和子お祖母ちゃんが来てくれたことを舞台の上から見つけ、嬉しくなった。

 出番が終わると、真っすぐ駆けてきたのだ。

「和子お祖母ちゃんのウクレレだよね」

 差し出すと、信じられないと驚きながら手にして確かめるように、裏返したりさかさまにしたりした。

「そうね、ええ。確かにこれは私のウクレレだけど。どうして」

「戻ってきたの。私と一緒に練習をして、みんなの前で弾いていたのはお祖母ちゃんのウクレレだったの」

「ああ、なんだか色んなことに驚きすぎて。目が回りそうよ。千穂は人前で目立つの避けていたでしょ。それが。あんまりにも堂々と弾いていてびっくりしたし」

「自分でもびっくりしてる」

 舞台に上がったのは自分のためでもあり、和子お祖母ちゃんのためでもあった。

「お祖母ちゃん、ウクレレ嫌いになってた?」

「そうね。さっき弾いていた曲が」

「星めぐりのうた」

「千穂はお祖母ちゃんが居ない間に、ずいぶんたくさんの隠し事をしてたのね」

 和子お祖母ちゃんが、まいったわと笑う。

「話したいこと、たくさんあるの」

 千穂の後ろでは、一緒に演奏していた奏太や、杏が見守っていた。

「私だって知りたいことだらけだわ。来てよかった。千穂のウクレレが聞けて本当に嬉しかった」 

 昔失敗した苦い曲が、ウクレレが二人にとって新しい思い出となる。

 そう思えた夜だった。

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