第16話 演奏会が始まる
千穂を公民館まで送った後一度家に帰ったママが、今度はパパを連れて戻って来ていた。
けれど演奏会が始まる時間になっても、和子お祖母ちゃんの姿は見えない。
控室となる部屋と、広場を行き来して千穂はそわそわと待っていた。
「千穂ちゃん」
呼びかけられ振り返ると亜理紗の姿が見え、その隣にクラスメイトが二人いて、千穂はぎょっとした。
亜理紗たちも浴衣を着ていた。
「私、家が近くて一昨年も夏祭りに来て演奏も聞いてたんだ。だから今年もって」
「一緒に来たの。千穂ちゃんが出るって聞いたから」
知らない人よりもクラスの子に見られるほうが、緊張する。
「そ、そうなんだ」
「ウクレレ楽しみにしてる。がんばってね」
「あ、ありがとう」
笑顔が強張る。
「客席に居るからね」
亜理紗が手を振るのを見て、千穂は勇気が湧くのを感じた。
人前に立つのは苦手だ。
それは自己紹介の日から、もっと昔から変わらない。
今日もし演奏を失敗して沈黙を作ってしまったら。
見に来たクラスメイトが学校で話してしまうかもしれない。
それが、とても怖かった。
でも今更止めるわけにはいかない。どうしようもないから、出来るだけ誰も見ないようにして広場の向こうにある木に向かって弾くことにした。
それにウクレレの会の出番は、七時半で遅い。たとえ照明があっても、日が暮れてきて舞台も見えずらい、はず。
失敗しないようにというのは、もちろん。
自分の力の、精一杯頑張るけど、楽しい思い出をみんなと。ウクレレと共有する気持ちで演奏しようと思っていた。
足立さんたちもちょっとくらい間違ってもなんとかなる。知らないふりして次を弾いてしまえばいい。なんて、けろりとした顔で言う。
「僕も頑張ってみるよ、千穂」
今まで演奏会に出なかった奏太も、自分らしく好きに演奏しようと思うと言った。
今日の奏太は、お母さんが送り迎えで見に来ているのだと杏が言っていた。
広場の中で、屋台があるのは坂道に続く方だけだった。
だから広場の奥の方は、にぎやかさが少し減る。
ステージの上から、広場の木々に徐々に明かりが灯されていく風景は幻想的でとても素敵だった。
夏の夜の演奏会が始まる。
夕暮れには少し間があり、まだ明るさが残っている。ヒグラシのカナカナと鳴く声。風は湿って暑い。
震える足 つまずきそう。
でも一人じゃない。
最初は、合唱の人たちが歌うきらきら星の伴奏だった。
ウクレレと合唱の出番が交互にあり、学校でも聞いたことのある良く知る曲と、知らない曲があった。
集まった大人の人たちが懐かしい、と話していたのでそれらは昔の曲なんだろうと思った。
七夕様を弾くときは、浴衣が曲にぴったりだったので良かったなと思った。
広場で見ているママにそれが伝わったようで、満面の笑みでうなづいていた。
拍手をもらい、千穂の心は明るくなった。
演奏会は前半と後半の間に休憩を挟む。その間に、千穂たちは飲み物やお菓子を差し入れされ、部屋の中にはさまざまな食べ物の匂いがただよっていた。
「これ、差し入れね」
机の上のたこ焼きを、食べ終わった時だった。
「県南地域で電車止まってるって」
「あっちは、だいぶ降ってるんだね。こっちは晴れてるのに」
スマホを見ていた合唱の人たちが会話をしていた。
「すみません、電車止まってるんですか?」
思わず、千穂は話しかけた。
「そう、大変みたい。大雨で崩れたところがあって、線路をふさいでしまったんだって。だから、手前の駅から電車止まってるみたいよ」
「そうなんですね」
ああ、お祖母ちゃんは無事だろうか。
「千穂のお祖母ちゃんが来るはずの電車、遅れてるんだって?」
控室をのぞきにきた杏がやっぱり“呪われたウクレレかも”と呟き、千穂と目が合うと、わわわと頭を抱える。
「杏姉」と奏太が低い声で言って背中を叩く。
「ごめん、また余計なこと言った」
と、拝むように謝り、大げさなしぐさに千穂は少し笑ってしまう。
「でも電車に閉じ込められてる人は居ないみたいだから。無事なのは確かだよ」
「はい、それは良かったと思います」
お祖母ちゃんとこのウクレレは、もう会わない方がいいのだろうか。隠しておかないと、不幸になってしまうのだろうか。
「早く動いて間に合うといいけど。ちょっとでも千穂ちゃんの演奏聞いてほしいね」
三原さんも心配してくれていた。
私は出来るだけ練習通りに弾く。
それだけを考えていた。
昨日見た夢から、ウクレレは忌まわしいものではなく、演奏者である自分と同じく怖がっているのだと千穂は思った。怖い気持ちはよくわかる。
でもお願い一歩踏み出す私を応援して。千穂はウクレレに心の中で話しかけた。
演奏会は進む。
星に願いをが、歌われていた。
演奏会が始まる数時間前。
雨が降りしきる中、駅にはたくさんの人が足止めされていた。
千穂の祖母である和子は、混雑した駅の中でどうしたものかと掲示板を眺めていた。
外は大雨で、構内を行きかう人たちのくつや雨具で、床はぬれ、大きな窓の外は暗く今だに雨が降り続いている。
線路が土砂崩れで埋まり、取り除くまで運転は見合わせだと言う。
代わりのバスが出るらしいが、それは二、三時間は先の話と掲示されていた。
これでは、千穂が待っている演奏会に間に合わないだろう。
決意して出てきたのに。
この大雨は、自分はもうウクレレに関わるなと言う警告かもしれない。
演奏会で失敗し、喧嘩別れした相手から謝罪の手紙が届いたとき、和子はハガキを一枚だけ送った。
手紙読みました。分かりましたとだけ。
“ウクレレを弾く資格がない”と言われた言葉が、悔しくて許せなかった。
だから、あの返信が精一杯だった。後悔はしていないけれど。
「
突然、自分の名前を呼ばれ驚き振り返る。人混みの中で、帽子をかぶった自分と同年代の夫婦が立っていた。
「あ、やっぱりそうだ。私たちのこと覚えていますか? 一緒にウクレレの」
「え、あっ、
「そう。覚えててくれて嬉しい。十年ぶりぐらいね」
「ええ」
「せっかく出てきたのに、電車が止まってしまって、本当に付いてないと思ってたの」
「私も、困ってしまって。二人もどこかへ行く途中だったんですね」
たくさんの人の雑然とした混乱の中で、実はねと、比良川夫婦は楽しそうな笑みを浮かべた。
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