第12話 昔のプログラム

 坂道を自転車が登ってくる。傾斜に、ひとこぎごと右へ左へとタイヤがぶれる。

 その頭上では木々が緑の影を作り、梅雨の晴れ間をのぞかせていた。

 ツバの付いた帽子から汗が流れ、あっついわと低く文句をつけながら杏は公民館の前に出る。



 練習が始まる前の部屋に、杏は来ていた。奏太の従妹ということで、ウクレレの会の人たち馴染むのも早かった。

「楽譜もそうだけど、箱の中どうでもいいような紙も一緒でさぁ」

 杏は帽子をうちわ代わりにバタバタと顔をあおく。足を投げ出して、千穂の隣に座った。

 がんばったんだけどさ、と言いにくそうに視線を外す。

「たくさん探してくれて、ありがとうございました」

「どうにかして見つけたかったんだけどね。ほこりかぶった箱の中に、楽譜が山のようにあってさ。でも、例の演奏会のプログラムはわからなかっというか、無かったと思う。嫌な思い出だったから捨てたのかも。演奏会の名前がはっきりわかればなあ」


 トラブルの起きた演奏会はお祖母ちゃんがウクレレを辞めた時。千穂が小学校に上がる前。

 そのぐらいの年で、演奏会は隣の市の音楽ホールが会場……ということしかわからない。


 演奏会のプログラムを、千穂のお祖母ちゃんが持っている可能性もなくはない。

 お祖母ちゃんの部屋の本棚を眺めはしたが、それ以上勝手にはさわってはいけないと思った。

 それに嫌な思い出があるものを、取っておくだろうか。少なくとも普段から見える場所には置かないだろう。


 二人の会話を何気なく聞いていた三原さんがぽつりと言う。

「住所録とかは?」

「じゅうしょろく?」

「名前と住所とか電話番号をまとめたもの。会員の名簿って、特に年齢が上の人は家の電話からかけたりするし。きっと作ってたんじゃないかしら?」

「あ。千穂の家を突き止めたときの住所録がある」

「そしたら、昔のプログラムを別の人が持ってる可能性があるかも。持ってなくても覚えてるかも」

「ああ!」

 杏と千穂は顔を見合わせた。


 その日は公民館の練習を早めに終わらせて、千穂は杏の家に一緒に向かった。

 杏の両親は仕事で、誰もいない。

「あっつ」

 杏は玄関を抜けて、ソファのある広い部屋の冷房を真っ先に付ける。

 それから部屋を出て、隣からバタンと音をさせ、「うち麦茶しかないの」と言ってコップを二つ持ってきた。

「座って、飲んでて。住所録持ってくる」

 コップには氷が入っていて、表面に水滴がついていた。

 少しだけ躊躇して、千穂はソファに浅く座る。冷たい麦茶を飲んで息をついた。

 落ち着かなく、杏が出ていったドアをそっと開け様子を見る。廊下が伸びて、物をどかすような音がした。

「杏さん、手伝いますか?」

 声をかけると「あー、手伝いは必要ないけど、ちょっと来て」と呼ばれた。


 廊下の奥。開けっ放しのドアの中は、物置のようで箱があったり、半透明な袋をかぶせられたヒーターが置かれていたりした。

「この箱に楽譜とか入ってたの」

 示された箱は少しつぶれて、中に書籍が重なっていた。

 何冊か手に取ると、ジャズ・ウクレレとか、日本の童謡とか、なつかしの歌謡。

 表紙の固いものとは別に、手作りのような冊子やプリントも混ざっている。

 二つ折りの冊子は、文芸大会と書いてあり曲目が書かれたプログラムのようだった。

「でも、探してた隣町のホールの演奏会は無くて。あ、住所録は見つけた。ちゃんと引き出しにしまってたからね」

 その引き出しは部屋の奥にある、テーブルに付いていた。杏はたどり着くまでの道をつくるのに、荷物をどかしていたらしい。


 テーブルの上に箱があり、その形はウクレレにそっていた。

 杏と奏太の祖父母のウクレレが入っているのかもしれない。

「奏太くんは、ここで最初のウクレレを選んだんですか?」

「え? いや、お祖父ちゃんの書斎だと思う。大事なウクレレとかは、ちゃんとケースに入ってしまってあるから」

「そうなんですね」

 千穂は、聞き間違いかもしれないと思った奏太の言葉を思い出していた。

「杏さん、奏太くん演奏会に出たことがないって、言ってたんですけど」

「確かに。演奏会とか出たって、あいつから聞いたことないな」

「奏太くんはウクレレ上手だし、ウクレレ好きだと思うし、だから私の勘違いかもしれないんですけど」

 迷いながらも、それが演奏会に出ないと言う理由につながるのかもしれない。確認せずにはいられなかった。

「ヴァイオリンとかピアノと違って、どうせウクレレは玩具おもちゃだって言ってたの聞こえたんです」

「ああ」

 杏は、うなづいた。


「あんなに上手に楽しそうに弾くのに、どうしてそんなこと言うのかわからなくて」

「んー、それはさ。前にも似たようなこと話したけど、うちの祖父母ウクレレ熱心すぎて、そのせいで不機嫌不仲になること多くて」

 楽しくやればいいのに、失敗するとお互いをけなしあうというか、よく喧嘩してたという。

「で、子供だったうちの母さんと奏太の父さんは、結果的にウクレレが嫌なモノになっちゃったんだろうね。でも、奏太がウクレレ弾くのは止めなかったし。それについて駄目だっては言ってないだろうけど。あんまり熱心にやるの良く思ってないんだろうね」

「そんな」

 奏太くんあんなにウクレレ一生懸命なのに。

「うちの母さんも、ウクレレなんてって似たようなこと言ってたから。奏太の家でも、ウクレレはただの玩具って言っててもおかしくないよ」

 ウクレレを弾く千穂と奏太を気にかけてくれたのか、杏はさみしそうな表情で言った。


 家で弾かないのはアパートだからって聞いたことがある。理由はそれだけではなくて、公民館によく来ていたのは隠れて弾いていたということだったのか。 

「演奏会に出たら。それで上手に弾いたら、ウクレレにかなり熱心なこと知られちゃうから出ないのかもね。家族に自分が好きなこと否定されたら悲しいしね」

「ウクレレに一生懸命って、それって駄目なことですか」

「駄目じゃないけど。家族の嫌なことをしてるって、知られることを、奏太が望んでるかどうか」

 あんなに上手なのに。もったいないと思う気持ちは、確かに千穂のただの余計なお節介かもしれない。

「ここ暑いから、とりあえず戻ろう」


 住所録と、杏の家の電話。

 住所録は古ぼけて、こすれたあとがあったり、角が三角に折れていた。

 文字は問題なく読める。

 千穂の家の住所も確かにのっている。全部で八件。千穂と杏の家をのぞいたら、六件になる。

 杏は、テーブルに置いていた麦茶をゴクゴク飲む。

 はぁーと息を吐き出し、気合の入った顔で振り向いた。

「かけてみるよ」

  

 杏が緊張の面持ちで番号を押す。呼び出すコール音が、千穂の耳にも微かに聞こえる。

 十回目のコール音で杏は「出ない」と言った。

 次の番号は、何の音も反応もなかった。

 次もコール音はなるが、十回をこえてあきらめた。

「十年以上も前だしね。知らない番号は詐欺かもって疑って、出ないのかも」

 確かに、千穂の家にも固定電話はあるがいつも留守電で、相手がだれか分かってから出ている。

 三回目のコール音。相手の声に、期待で杏と千穂の背が伸びる。

「島田さんのお電話でしょうか? 幸代さんはいらっしゃいますか? あ、ああ……、そうだったんですね」

 話をして電話を切った杏が、去年亡くなってたとため息をついた。 


「次、四人目。えーと、ひらかわさん? かな。珍しいね夫婦で会に入ってたみたい」

 住所録をのぞきこむと比良川と書いてあり、二人の名前があった。

 コール音が鳴って、六回目。

 はい、と低い男性の声がした。

「あ、えっと、ひらかわさんの、お電話でしょうか」

 杏が、やっとつながったと興奮した面持ちで話す。

「突然、すみません。ウクレレの、昔あったハーモニークラブのことで聞きたいことがありまして、……あ、はい、私は」


 千穂は、杏に、かわってほしいとうったえた。

「あ、あの、私、奥村千穂といいます。奥村和江の孫です」

 電話の向こうで、ああと明るい驚きの声がする。お祖母ちゃんと年が近いと思われる、男の人の声だった。

「お祖母ちゃんが一緒にウクレレを弾いてた方なら知っていると思って、聞きたかったんです。昔の、お祖母ちゃんのウクレレを辞めた演奏会について、どんな曲を演奏したか教えてください」

 千穂と杏は顔を寄せ合って、質問の答えをノートに書いていく。

 聞いた言葉を、杏が書き留める。

「ありがとうございました」

『和子さんは、あれからウクレレを弾いてないのかな?』

 その問いかけに、弾いていないはずですと沈んだ声で千穂は答えた。


「来月、ウクレレの演奏会があって、お祖母ちゃんに聞きに来てほしくて。でも、すごく嫌な思い出があって、それなら無理に何度もさそう方が悪いのかと迷って、昔のこと聞いて見たかったんです」

「そっか。……僕も、同じ会に入っていた妻もウクレレまでやめたら勿体ないと、和子さんとずいぶん話をしたんだけど。あの時、会自体の中でも、すごくもめてしまったから。たくさん嫌な思いをさせてしまったんだ。僕らも思い出すのが辛くて。偶然仕事で引っ越して、あの町を離れてほっとしてしまった。こんなことを言うのは勝手だけど、僕らももう一度和子さんにウクレレを弾いてほしいよ」

 電話は、しんみりとした空気の中切れた。


 千穂と杏は浮かない顔で、書き留めたものを眺めた。

 ノートに書き留めた、演奏した曲。

 その中に千穂の知っている曲は無かった。

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