第8話 ウクレレの謎

 だぼっとしたデニムから伸びた足。

 髪が見えなければ、男の人かと思った。

 帽子からのぞく、長い髪が背中に流れている。

 千穂から見て、年上のお姉さんと言った年齢の後ろ姿。

 公民館が気になるのか、入り口をのぞいているようだった。

 新しくウクレレを始めたい人の見学かなぁと、近づき追い越す一瞬、目が合う。千穂は思い出す。

 相手もわかったらしく、気の強そうに見えた最初の印象と違って「あわわわわわわ」と彼女は分かりやすくうろたえた。


 その視線が千穂が抱えていたカバンをとらえる。

 明らかにウクレレの入った形に気づくと驚いた顔で「それ! どうして、あなたがまだ持っているの!」と動揺し、 そのまま後ろに下がろうとした。

「あ、危ない!」

 後ろに階段が! と、彼女の背中を押し戻すように叩いた人がいる。

「千穂、こいつだろ? ウクレレ押し付けてきたの」

 奏太が面白くもなさそうな顔で指す。

 お姉さんは、千穂にウクレレを渡した謎の女子高校生だった。


 広場のベンチに座っても、足が長くてかっこいいと思った。

「こいつ、俺の従妹。笹本杏」

 ぞんざいで生意気な口調で言う、そんな奏太をひと睨みして、彼女は改めて千穂と向きなおる。

「謝罪と説明をさせて」

 五月は今、新緑の季節だ。頭上の木は枝を伸ばし、お姉さんと奏太くんの向こうには緑におおわれた山が見えていた。


「千穂のウクレレを見て驚いたのは。縁起の悪い呪われたウクレレだから触るなって、バアちゃんに相当言われたやつだったから。そんなヤバいものが、何でここにって思ったわけ」

「あの人、でも縁起が悪いとか言いながら、わりとちゃんと箱にしまってて。まあそれは、今思えば罪悪感あったからかもだけど。あんたそれを、わざわざ。物置の奥の方から見つけ出して、箱の中身開けたからガミガミ怒られたんでしょ」

「祖父ちゃんに、その辺の好きなウクレレ持っていけって言われたから、いろいろ出したんだよ」

 お姉さんは千穂に顔を向ける。

「うちね、祖父ちゃんと祖母ちゃんどっちもウクレレ弾いてたの。祖父ちゃんが先に病気になって死んじゃったけどね。その頃、奏太と私にウクレレあげるってなった」

 奏太とお姉さんのやり取りを聞いて、千穂はつぶやいた。

「二人のお祖父さんお祖母さんの家にこのウクレレはあった」

「今はその家に私と両親で住んでる。祖父ちゃんが病気になってから同居したの」

 お姉さんの肩ががっくりと落ちる。

「ごめん」

 頭を下げられた。

「強引に押し付けて、本当にごめんなさい。突然、あんなことして。変だったよね。怖いし、意味わかんなかったよね」

 反省したように、再度頭が下がる。


 確かに、意味の解らない不審な行動だった。

 とはいえ、そんなウクレレを今も大事に抱いて、自分のものにしてしまった千穂もあまり責める気持ちにはなれない。知りたいのは理由だった。

「どうして渡されたかわからなくて、びっくりして。けど、私そのおかげウクレレを始められたので」

 お姉さんの行動を全て悪いとは思えない。


「奏太から、そのウクレレ使って練習してるって聞いてびっくりした」

 それといったとき千穂の腕の中のウクレレに視線を送られた。どこか忌々しそうに見えたのは思い込みだろうか。

「白い線が入ってるの、結構目立つから。千穂の話聞いてわかった。似てる別なウクレレじゃなくて、昔、箱開けてすげぇ怒られたヤツだって思った」

「どうしてあんなことしたんですか」

 お姉さんが答える前に、

「うちのお祖母ちゃんのウクレレだったからですか?」

 と千穂がいうとびっくりされた。

「え、知ってたの?」

 彼女は、杏は驚いて目を見張った。

「おととい、ママから聞いたばかり、です。昔、お祖母ちゃんはウクレレをずっと弾いててでも、発表会で何か嫌なことがあって辞めて。でもそれがどうしてかはよくわからないって。あと、ウクレレが家になかったのは、辞めるから誰かにあげたのかもしれないってママは言ってました」

「そっか、まあ、あげたと考えるのが自然かもね」

「発表会で何があったんですか?」

 千穂が重ねて問いかけると、発表会じゃなくて演奏会と言われた。

「それもいくつかの音楽団体で、音楽ホールを借りての結構本格的なものだったらしいよ」


「その話、詳しくは聞いたことなかった」

 奏太が言って、でも顔をしかめた従妹同士の二人には何か通じるものがあるらしい。

「あたしの母さんと奏太の父さんが兄妹で、だから二人の両親、あたしらにとっては祖父母が同じってわけ。で、その祖母さんが性格悪くてね」

 何かと上げ足を取る、嫌味を言う。

 お祖父ちゃんと出会ったのもウクレレ仲間としてらしいが、ウクレレを弾ける以外のいいところは無いと杏はいう。

「だからうちの母さんでさえ、別の家に住んでいた頃、たまに会って帰ってきてから腹立つ言われたって怒ってたし」

 千穂のお祖母ちゃんは優しくて、本当に悪いこと危ないことをしたときにしか叱られないのであまり想像がつかない。


 そのお祖母さんは良子さんという名前だった。

「名前が良いなのに、性格は正反対」

 と、杏が口の端を曲げて笑う。

 その良子さんと千穂のお祖母ちゃんの入っていたのが『ウクレレハーモニークラブ』だった。


 毎年恒例こうれいのウクレレのコンサートに出ていたという。それはいくかの会が集まったもので、隣の市の音楽ホールを借りての大きなイベントだった。

 それぞれ集まりごとに内容は違って、ウクレレだけではなく、他の楽器との組み合わせや、歌や踊りと合わせるものもあったという。

 ウクレレハーモニークラブは、知り合いのプロのヴァイオリニストに依頼して一緒に演奏するという計画だった。

 けれど、その本番で千穂のお祖母ちゃんは失敗をしてしまった。

 ヴァイオリニストは良子が知り合いに頼んで声をかけたもので、千穂の祖母を本番の舞台を台無しにしたとかなり責めた。


“全部あんたのせいだ! そんな下手くそな演奏で、ウクレレを弾く資格なんてない”

“二度と弾くな、辞めてしまえ”

 言われて、そして千穂のおばあちゃんはひどいショックを受けたのだろう。


『わかった辞める。二度とウクレレなんて弾かない』と舞台から降りた後、ウクレレを良子に押し付けるようにして会場を飛び出していったという。

「残されたウクレレというのが、その白い線の模様が入ったウクレレ。で、他のメンバー達は、仲直りさせようと話したり、引き止めたりしたらしいんだけど上手くいかなかったんだって。そんな喧嘩別れで、クラブは解散」

 知らなかった。

 そんなことがあったんだ。自分だったら、そんなに責められたら耐えられない。

「大丈夫?」

 涙目になっていた千穂は、平気だと首を振り話の続きをうながした。

「本当にごめんね。こんな嫌な話して。それで、どうして私がそれを知っているかと言うと、ババアが病気になって入院した時はじめて弱気になったというか」

 過去を思い出して、話し出したのだと言う。

「病気が進んで、どんどん弱って、声も小さくなって。で、こんなことがあって後悔してる悪かったって、同じこと繰り返すの。その時は、そうなんだ昔から性格悪くて周りの人大変だったなってしか思わなかったんだけど」

 良子さんはそのまま亡くなったという。

「三年ぐらい経つんだけど。二月にうちの父さんと母さん交通事故に会って、母さんの意識が戻らなかったの。怖かった、二度と目を覚まさないんじゃないかって」

 杏さんは身震いするように自分の体をさすった。

「そのとき、お祖母ちゃんが何度も夢に出てきて。何かぶつぶつ言って。後悔してるってなげいて。最初はよくわからなかったけど。私、ウクレレのことが浮かんだ」


 ウクレレは、二人の祖母、良子が亡くなって荷物をまとめたときに一緒になっていたという。

 その中に、ウクレレハーモニークラブの住所録もあり、杏はそこから祖母と千穂が住んでいる家を探した。遠くは無い場所だ。


「それで、あたしとにかく元の持ち主に返さないとって。返したらこの悪い状況が治まる、母さんの意識が戻るんじゃないかって思って。千穂さんのお祖母さんは元気?」

「あ、はい」

「そっか、良かった。それもわからない状況だったから。それで偶然かもしれないけど、母さんはすぐ意識が戻ったの」

「意識、戻って良かったです」

 心から言えた。

「ありがとう。もう退院して、少しずつ元の生活に戻って来てる」

 しんと静まり返った。

 優しい風が三人の間を通り抜けた。


「ウクレレはこのまま貰っていいですか?」

 疲れたような顔で杏が、

「貰うも何も。返したかったの。そもそもあなたのお祖母さんのウクレレだから」

 と言った。

 和子お祖母ちゃんに聞くべきなんだろう。

 このウクレレを弾いてもいいか。

 でも、昔あったつらい話を聞いてお祖母ちゃんはどう思うだろうか。思い出したくなんて無いのではないか。

 ウクレレの謎はとけたが、千穂の気持ちは重かった。 


「あのさ、ウクレレ渡してから何かおかしな出来事なかった?」

 お化けも、事故も何もないが。

「夢にウクレレが出てきたりはしましたけど」

「それだけ? 怖い夢?」

「誰か泣いてるような夢は見たような」

「やっぱり縁起の悪いウクレレかも」

「いい加減にしろよ、杏姉」

 奏太がうんざりと言う。

「だって」

「杏さん、私はこのウクレレが好きなんです」

 杏と奏太に千穂を見られて、緊張した。

「どうしてかわからなかったんですけど、やっぱりお祖母ちゃんのウクレレだったから。忘れているだけで、小さいころ、このウクレレを見たり、弾いてた音を聞いていたのかもしれません。懐かしいのかもしれないって、思いました」

 

 でも、千穂がウクレレを弾いていたら。

 祖母はウクレレを辞めた。過去を捨ててしまいたかったのかもしれない。

 自分が嫌な記憶を思い出させるウクレレを持っていたら、つらい気持ちになるだろうか。

 不吉と言われてしまうウクレレ。

 だけど、

「これからは悪い思い出ではなく、このウクレレと楽しい思い出を作っていきたいと思うんです」

 千穂は杏に伝え、杏が大きなため息をつく。それから顔を上げた。

「私、千穂ちゃんに協力するわ」

「協力って、今更なんだよ」

「何かを取り戻せそうな気がする。大切な思い出とか」

「せいぜい罪をつぐなえ」

「つぐなうわよ。千穂ちゃん、私にできそうなことあったら言ってね」

「ありがとうございます」

 千穂はその時、自分の選んだウクレレを弾くと言う決意が間違っていないと言う気がした。

 安堵の笑みを浮かべる。

「あ、そうだ。おわびにね、高級クッキーをね、カバンに入れて」

 それは自転車のカゴに入れていた、杏が立ち上がる。


「私、ウクレレと出会えてよかった」

 千穂はあらためて、その思いをかみしめた。

「もっと上手になりたいな」 

 自転車置き場から、杏が手を振って戻ってくる。千穂は杏もいい人だと嬉しくなっていた。


「でもどうせウクレレは。ピアノやヴァイオリンと違って玩具だ」

 小さな小さなつぶやき声。

 え。

 千穂は聞き間違いかと思った。

 だって、奏太くんがそんなことを言うわけがない。

 声の方向へ千穂が顔を向けた時、奏太はうつむいていた。一瞬だけ見えた表情は複雑なもので、その時杏が紙袋を持って戻ってきた。

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