第6話 ウクレレを弾く少年

 千穂が公民館に到着した時、いつも使う広場に面した部屋の窓が開いていた。

 こどもの声が聞こえ、小さな足が二つふらふらと揺れていた。


 入り口から入って、廊下を進む。ドアから、こんにちわと声をかけ部屋に入る。

「ねー、この前のやって!」

 窓の近くで甲高い声がして、いつもよりにぎやかだ。

 不思議な顔をした千穂に、

「うちの孫たち。たまに連れてくるんだけど。うるさくてごめんね」

 そういったのは、三原さんだった。

「何年生ですか?」

「三年生と一年生になったところ。千穂ちゃんは第一小学校よね、うちの孫たちは第二小学校に通ってるの」

 男の子がお兄ちゃんで、女の子が妹のようだった。


 その二人と一緒にいた少年の姿に、千穂の顔が強張る。

「あの小学生も練習しているんですか?」

奏太そうたくんのこと? 家がアパートだから弾けないって、練習日とか関係なく近いから公民館によく来てるよ」


 彼のウクレレがすべらかに曲を弾く。聞こえてきたのは子守歌だった。

 ねぇーむれ、ねぇーむれ、ゆっくりと正確できれいな音が響く。

 明らかに上手だった。

 指の動きが違う。

 聞いているうちに、ねむれねむれが早くなっていく。

 驚く間に、歌うのも難しいぐらいのスピードが出ている。その上、高速メロディの合間合間に、ジャカジャカと弦をまとめて弾く激しいリズムが加わっていく。

 それを聞いている低学年の二人は笑って、笑って。

 大きく体を揺らし、笑いながらとうとう倒れるぐらいだった。

 あまりに楽しそうな笑い声なので、見ていた千穂もつい吹きだして笑ってしまう。

 その声が聞こえたのか、奏太と呼ばれている少年が顔を上げた。

 彼の目が笑っている。

 この前、怖いと思った。あれは勘違いだったのかもしれない。そのぐらい悪い印象が一瞬で薄まった。


「奏太くんびっくりするぐらい上手でしょ。千穂ちゃんもうちの孫たちと一緒に、近くで聞いてきたら?」

 三原さんと穏やかで楽し気な雰囲気に背中をおされ、千穂も窓際に近寄って行った。

 次に彼が弾き始めたのはアルプス一万尺だった。

 メロディーを知っているのに、間でそれ以外の音も重ねられ重厚な音楽になっていた。跳ねるように楽し気なリズムで、けれど途中でゆっくりとスピードを落としていく。。

 あ、 る ぺっ ん お ど

 止まっちゃう、止まっちゃう。

 そう思えるぐらい空白をたくさんあけて、止まった。と思えば、また突然曲が走り出す。

 走って走って、リズミカルに踊る様に弾む。

 曲を弾く彼の身体がぴょんぴょんするようにのって、見ていた二人の笑い声があふれる。

 千穂は一気に心をつかまれ「すごい」と感嘆かんたんのため息しか出てこなかった。


 三年生のお兄ちゃんのほうが「ねえ」と千穂に話しかける。

「ウクレレ弾きに来たの?」

「そうなんだけど、わたしは始めたばかりであまり弾けないの」

 しょんぼりと言うと、ふーん、そっかと兄妹は言う。

「じゃあ、奏太くんに教えてもらったらいいよ」

「すっごい上手でしょ」

「上手。びっくりした」

「ねー、つぎの弾いて」

 んー、と奏太くんと呼ばれた彼がタブ譜のたくさんとじられたファイルをめくる。

 童謡から、クラシック、歌手が歌う最近の曲名。

 印刷されたもの、彼自身の手書きのようなものもあった。


 次の曲が始まった時、楽譜が千穂のいた場所からは影になり、曲名がわからなかった。

 でも軽快なメロディが始まり、何の曲かわかったところで、あっ! と大きな声を上げてしまった。

「なんだよ」

 びっくりしたように奏太は演奏の手を止めてしまう。千穂は自分の声の大きさに赤くなった。

「ごめん、聞いたことのある曲だったから」

 再開された続きを聞きながら、もしこの曲が弾けたならと思う。とても難しそうだ。でも。

「いいなぁ、こんなに上手に弾けて」

「まあ練習してたら、それなりに弾けるようになるんじゃない?」

 余裕で会話をしながら奏太が再び演奏を始める。

 それなりに弾けるように、それがいつになるか。

「この曲を弾けるようになりたい」

「これ?」

「でも何年もかかりそう……」

「初心者には難しいだろうなぁ」

 切りのいいところで、奏太は演奏を止めた。

 しゅんとした千穂に、気を使ったのか、これそのままは無理だろうけどと言って、

「なんの曲かわかるぐらいでいいなら、結構すぐ弾けるかも」

「え?」

「ドレミとか弾ける? いま、何弾こうとしてんの?」

「きらきら星の簡単なの」

「タブ譜、読める?」

「う、ううん。何となく」

「じゃあさ、前奏とばして、まずこのタブ譜の上の音だけ拾ってやってみたら? それなら出来るかも」

 奏太が指し示す、四本線の一番上にある番号の3を左の指でおさえる。右の親指でポロンと弦をはじく。

 同じことを繰り返した後は、2が続く。2小節弾いたところで、メロディになった。

 ひとつ、ひとつ。

 たどたどしい、けれど微かに聞いたことのある知っているメロディになった。



 千穂は毎日練習を続けた。

 公民館で部屋を使うには、前もって予約をしないといけないという。

 それもいつもとれるわけではなく、他の歌を練習している人や、将棋をしている人、集まって俳句をする人などいろんな人が利用している。

 だから多くても毎週や毎日、部屋を予約するのは難しいのだ。集まる人だって、別の用事があったりするし。


 少し開いた窓から、合唱の練習の声が聞こえる。

 部屋を予約していない日でも、奏太は自転車でふらりとやってきて、広場のベンチや花壇の座れそうな場所にいると聞いた。

 外にいる時が多いが、公民館の廊下のソファにいるときは、ウクレレの穴をふさいだりして、いつもより小さな音で練習していると言う。


 集まっての練習日ではないけど、奏太がいるかもしれないと千穂は一人で自転車にのり公民館へ来た。


「どのぐらい練習したらそんなに上手になるの? いつからウクレレ弾いてるの?」

「一年生ぐらいから」

「そんなときから……。ウクレレ買って貰ったの?」

「従妹の家に会ったやついらないっていうから貰って、それからずっと弾いてる」

「どのぐらい練習して?」

「毎日」

「毎日、すごいなぁ」

「一日、五分とか十分の時だってあるけど、出来るなら数時間ずっと。取り合えずいつも弾いてる」

「そのぐらい練習したら、わたしも弾けるようになるのかな」

「たぶんね。そっちは、何でウクレレ?」

 すっかり忘れていたが、最初に奏太と出会った時の、とがった様子を思い出してしまう。

 誰に貰ったと問い詰められた、不穏な感じを思い出して身構えた。

 その上、亜理紗に『知らない人から押し付けられたウクレレを弾いて』気持ち悪いと言われたことも思い出す。

 ママに言ったように友達からゆずってもらったと噓をつくか。

 でも、本当のことを話したら。

 奏太はどんな反応をするだろうか。

 問い詰められた理由も知りたい。だから、千穂は本当に起きた事実を伝えることにした。


「本当に、おかしな話なんだけど。歩いていたら突然、知らない人に話しかけられてウクレレ渡されて」

「今持ってるやつ?」

「そう、このウクレレ」

 奏太が真面目な顔で首をひねる。

「それさ、最初会った時。驚いた。何でそのウクレレ持ってるんだって」

 千穂も最初の怖かった出会いを思い出す。今なら聞ける。

「どうしてあんなに驚いたの?」

「むかし、祖父ちゃん家で見たやつと似てたから。変だなって。でも同じようなウクレレなんてたくさん売られてるだろうし」

 それだけなら、あんなに怖い顔しなくて良かったのに。


「それ突然、渡されたって?」

 千穂は、亜理紗に話したように、女の人との会話を話した。

「あなたが持つべきだって、言われて、そうなんだって思って」

 おかしいって思われるだろうな。

 理由を話す千穂の声が小さくなる。

「そんな怪しいやつからウクレレ渡されて、そのウクレレで始めてみるって」

 へんなヤツだなと、奏太は少し笑った。

 でも不思議と嫌な笑いじゃなかった。馬鹿にしているというよりも、面白くて笑っているように見えたからだった。

「どんな人だった?」

 白い襟の制服を着た女子高校生のことを話すと、奏太の笑みが小さくなる。

「白い襟の制服」

 それから何か考えたように黙ってしまった。

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