第4話 チューニング
公民館の玄関から入ると、事務所のような所があり前を通りすぎる。古い病院みたいな、灰色の少し薄暗い廊下を歩く。
二つ目のドアの横に『矢坂町ウクレレの会』と紙が貼られていた。
少し緊張した顔のママが「こんにちわ」と言って、ドアを開ける。
中から、どうぞと明るい男の人の声がした。
イスと机が並んでいる。
大きめの窓から光が入り、広場と木が見えた。学校の特別教室みたいな部屋だと思った。
千穂にウクレレを教えてくれることになったのは「私は、足田と言います」と自己紹介したおじさんとおじいさんの間ぐらいに見える人だった。
学校の先生をしていましたと言ってママが「音楽の先生ですか?」と聞くと「いいえ、中学で国語を担当していました」と言って少し笑っていた。
「ウクレレの持ち方は左手でネック、その首みたいなところを人差し指の付け根あたりで支えて、親指はネックの裏に。本体のボディの部分を右手のひじと体ではさむように抱える」
足田さんがお手本を見せたように、千穂が真似をしてウクレレを持つと、そうそうとうなづいた。
「
ウクレレの小さなボディをしっかりと抱え、千穂のぎこちない指が、弦に触れる。
ポンと音が鳴った。
「曲を弾く前に、音程を合わせるためにチューニングをするんだけど。スマホでも出来るし、後はこういった機器があって便利なんだ」
千穂の持っていたウクレレの一番上の部分に、小さな液晶画面のついたものをクリップではさんだ。
「弦を弾くと画面の中のバーが動く。中央で止まるように調整していくと、正しい音になる。まず一番上の弦を弾いてみて」
言われた通り弾く。
液晶画面の中で、メモリのようなものが動いた。
「この弦が繋がって巻かれている、ここ。ペグと言うんだけど、ここをひねって調整していく」
千穂が弦を弾くと、音が高くなったり低くなったりする。
足田さんがネジのような部分を動かす。
動いていたメモリが中央にきた時に、オレンジから緑色に変わった。
「緑色になるように。さあ、やってみよう」
「は、はい」
同じ繰り返しで、ウクレレの4本の弦の音を合わせた。
どっちに回せば、合うのかわからなくてぐるぐる回し、中々上手くいかなかった。曲を弾く前から、こんなに時間がかかって大丈夫だろうかと千穂の顔に不安がよぎる。
「準備が出来たね。次はドレミを弾いてみよう」
机の上にある用紙に、ドレミファソラシドが書いてあった。
楽譜だと思った。音符が書いてあるのは、音楽の教科書と同じだったが、その下に四本の線と番号が書いてある。
「ウクレレの楽譜はタブ譜って言うんだ。何番目の弦の、どの位置を指で押さえるかを示しているよ。まずドは下から3番目の弦をそのまま弾くから0。弾いてみて」
ウクレレを抱えた右手、丸い穴の位置で弾いてみる。
ポロンと音が鳴った。
「次は今と同じ3番目の弦、その上に2と書いてあるね。3弦2フレット。これはウクレレのネック部分にある線フレットと言って1、2と数えるんだけど、1番と2番の間を指で押さえるという意味なんだ。人差し指で押さえて弾いてみて」
左手で押さえながら、右手親指で、ポロンと鳴らす。先ほどより高い。
そのままと、押さえてと弾いて比べてみると、確かにドとレに聞こえた。
「弦は下から1弦、2弦、3弦、一番上が4弦となるんだ」
何度か弦を弾くうちに、ドレミファソラシドの音が少しずつ形になり、公民館の静かな空間に響く。
千穂の顔にはほのかな微笑みが浮かび始めた。何度か弾いていると、左の指が痛くなったが、一歩ずつウクレレの世界に足を踏み入れていったのだ。
始めての練習ではドレミファソラシドの後、きらきら星を少し習った。
「最初は指が痛くなるから、ここまでにしましょう」
千穂と見守っていたママの二人は「ありがとうございました」とあいさつをして、部屋を出た。
そういえば外でウクレレを弾いていた男の子は、部屋に一度も現れなかったと気が付いた。
ウクレレを習いに来ているわけではないのだろうか。
ママが車を取ってくると言って、一足先に駐車場へ向かった。
玄関すぐのホールのような所には、重たそうな二人がけのソファが置かれていた。千穂が座ってみると、ぎしぎしと沈み古い匂いがした。
待っている間にも、忘れないように覚えたことの復習をしようと、ウクレレを取り出し教わったばかりの指の位置を確認しようとした。
その時だった、足音がして顔を上げる。
「それ」
見上げた先に、さっき外で見かけた男の子がいた。
彼は千穂の持っているウクレレを見て、驚いた顔をしている。どこか強張った様子で近づき、千穂のウクレレをじっと観察していた。
「白い線が入ったウクレレ」
「え?」
千穂の持っているウクレレを見て低くつぶやく。
「どうして、君がそのウクレレを持ってるの?」
持っていてはいけない、という悪い意味のように聞こえた。
知らない女の人に渡された。そんな本当のことを話してはいけない、重たい雰囲気がただよっていた。
「……貰ったの」
「誰から? いつ?」
知らない相手に冷たい目で問い詰められ、怖くなる。
どうしようと手が震えそうになる。車の排気音がして。公民館のガラスドア越しに、ママの車が見えた。
「車、来たから」
千穂はカバンとウクレレを抱えて、逃げるように外へ出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます