第2話 友人、亜理紗と気まずくなる

「それを、本当に受け取っちゃったの?」

 学校の門を目の前に、亜理紗が驚いた声を出す。


 放課後の校庭では、手前ではサッカーの練習、奥ではソフトボールが始まっていた。

「うん。調べたらウクレレっていう、ギターに似ててそれより小さい楽器で。練習して弾けるようになりたいなって」

 あなたが持つべき。

 あの時告げられた一言。

 千穂には、まるで運命の出会いだと思えた。 

 昨日の帰り道は、みんなの前で何も言えなくて、恥ずかしすぎて学校に来たくないと思っていたのに。

 登校してクラスメイトの視線が気まずいのは確かだったけれど。謎のウクレレ事件のせいで、落ち込みが薄れたのは良かった。


「千穂ちゃんのパパとママは、いいよって言ったの?」

「実は、まだ言ってなくて。今日話してみようかなって」

「げ。隠してたの?」

「うん」

 だから亜理紗が、ウクレレの秘密を聞いた最初の人なのだ。

「知らない人から貰ったって言ったら、そのウクレレで練習するの辞めなさいっていいそうじゃない?」

「友達の友達から貰えたって言ってみるつもり」

「ほら、嘘つくってことは、千穂ちゃんだって怪しいって思って、後ろめたいんだよ」

 チクリと胸が痛んだのは、考えないようにしていたことを、当てられたからだ。

 亜理紗は、さらにするどく言う。

「だって、実際。突然、知らない人が、わけの分からないものを押し付けてくるのはおかしいよ」

「それは、……すごく不思議ではあるけど」

 普通にある出来事ではないかもしれない。けれど、だからこそ千穂は運命的な出来事だと信じたいのだ。


「しかも、その睨み付けてきた人、こんなものって言ったんでしょ?」

「うん。……あ、違うの。睨んだように見えただけで、本当は緊張してたのかも」

「どうして緊張するわけ? こんなものがあるのが悪かったって、つまり何かすっごく悪いものってことだよ」

「そうかなぁ。楽器弾けるようになったら、楽しそうなんだけど」

 千穂のどこまでも呑気な態度に、ううん、と亜理紗は低くうなった。

「早く返した方がいいんじゃない?」

「住んでいる場所も、なんて名前の人かもわからないから。もう簡単には返せないよ」 

「本当に、一度も見たことない人だったの? この家の子みたいに聞いてきたのなら、偶然じゃないでしょ」

「知らない人だったと思う」

 あれから何度も思い出したのだけど、千穂には思い当たる人が浮かばなかった。


「返せないにしても、そんなおかしな楽器を弾くのはどうかと思う」

 千穂は困った。

 そこまで亜理紗に否定的に言われるとは、少しも予想しなかったのだ。どちらかといえば秘密を一緒に楽しんでくれると思っていた。

「だって見知らぬ人からウクレレを貰うなんて、すっごく気持ち悪いよ」

 亜理紗は“すうっっごく”と強調した。

「どうしてそんな不気味なの弾こうと思えるの?」

 やめなよとはっきり言われて、千穂もむっとしてしまった。

「そんなに変なものじゃないよ」

「変だって」

「そんなことない」

 普段なら、もっと穏やかに話せるのに。千穂の気持ちも珍しくとがってしまった。

「あっそ。じゃあ、好きにすれば」

 亜理紗は不満そうな顔で口を尖らせた。

「わたし、千穂のこと心配して言ってるのに」

 もやもやと苦い気持ちが残った。二人はいつもの場所で別れるまで、少し離れて無言で歩いた。




 亜理紗と言い合いになったことで、家に帰っても千穂は暗い気持ちを引きずっていた。

 ベットの下からウクレレの入った箱を取り出す。音が聞こえないように毛布を頭からかぶり、弱くウクレレの弦を弾いてみた。

 どう弾けば音楽になるのか。

 ピアノとも笛とも違う。ドレミもわからなかった。

 親指で四つある弦を、ゆっくり一つづつ指ではじく。

 ポロ、ポロ、ポロ、ポロと鳴らす。それぞれが違う音だ。それから上から下まで撫でるようにすると、ポロロロンと鳴った。何度も、ポロロンと弾いてみる。

 明るい、シャボン玉の光みたいな音。

 どうして亜理紗にあんな言い方をしてしまったのだろう。

 きれいな音は少しだけ千穂をなぐさめた。


 夕食の時間が近付き、階段を降りる。キッチンから聞こえたのは、ママが誰かと電話をしている声だった。

 亜理紗と喧嘩なんて、ほとんどしたことがない。

 まだ暗い気持ちが残ったまま、千穂は階段をゆっくり降りてきたところだった。

「母さんも、無理しないでよ。うん、それならいいけど。あ、千穂が来た」

 電話の相手が大好きな和子お祖母ちゃんだと気づき、沈んでいた千穂の心が動く。


 話したいと近づくと、ママがスマホを渡してくれた。

 離れていても電話では話していたのに、千穂と呼ぶ声が、ずいぶんと懐かしく感じる。

 それは和子お祖母ちゃんも同じだったようで「なんだか久しぶりねぇ、学校はどう? 変わったことあった?」と言われた。

「あ、うん」

 言葉に詰まってしまう。

 聞いてほしかった。

 ママはフライパンで、お肉を焼いている。

 出来るだけさりげなくキッチンを出て、階段の途中に座る。

 

 何かあった? という優しい問いかけに「亜理紗ちゃんと、喧嘩みたいになっちゃって」と小声で、なるべく何気ないように言う。

「それで、元気が無いのね」

「ん、ちょっと」

「仲直りしたい?」

「ん、」

「そう。仲直りしたいなら、きっとチャンスは来ると思うの」

「チャンス?」

「話しかけやすいときとか、謝る機会とか。お祖母ちゃんは何もしないで、後悔してることあるから」

「喧嘩したの?」

「そう、そのまま。会わなくなっちゃった」


 亜理紗ちゃんと前みたいに話せなくなるのは、絶対に嫌だと思った。

 だからといって、ウクレレは不吉なものだと、隠したりしまい込み、二度と触らないことも千穂には出来そうになかった。

「不吉じゃなければいいのかな」

「千穂?」

 あのウクレレが、不吉でも不気味でもないと証明できれば。

「お祖母ちゃん、聞いてくれてありがとう」 

 通話を切ってから、お祖母ちゃんにはウクレレの話をしなかったことに気が付いた。

 喧嘩の話をしていたから、言うのを忘れた。

 けど。上手になってから話して、お祖母ちゃんを驚かせたほうが、楽しそうだと思い、千穂は笑顔になった。


 スマホを持ち、キッチンに戻る。フライパンの上のお肉から、おいしそうな匂いがしていた。

 千穂は真剣な顔で言った。

「ママ、わたし始めたいことがあるの」



 その夜、千穂は夢を見た。

 昼間に喧嘩をしたせいかもしれない。ベットで眠っているのに、しとしと雨のような、誰かの泣き声を聞いている夢だった。

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