星のウクレレ

森沢

第1話 千穂と謎のウクレレ


 千穂ちほは逃げるように教室を出て、通学路を通り、見なれたクリーム色の家の前で足をゆるめた。

 クラスメイトのたくさんの視線が頭に浮かぶ。

 忘れたいのに、帰り道の途中で繰り返し思い出してしまう。

 五年生のクラス替え。新しい教室で、自分の名前と一言という自己紹介があった。

 人前に立つと緊張する。どうしようと順番が近付くほど、どきどきが大きくなった。


 クラスメイト達が、イスの前で立ち尽くす千穂を見ている。

 沈黙。

 何か言わなきゃと思うほど、あせって。言葉が出てこない。

 奥村千穂です。名前の後の、何か一言。みんな特技や好きなことを言っていたのに。

 頭は真っ白だ。

 情けなくて、恥ずかしすぎて。

 顔に熱が集まる。赤くなった所を、早くしなよと、何で言えないのと、もの言いたげな視線がいくつもぶつかってくる。

 私は人前が苦手だ。

 それを改めて苦痛とともに思い知る。

 先生がまた別の機会に教えてねと言って、ようやくのろのろと席に着くことが出来た。


 前の学年から仲の良い亜理紗が「みんなそのうち忘れるって。あんまり気にしないほうがいいよ」と慰めてくれた。

 そんな亜理紗ありさは「音楽劇が好きです。三年生の時、文化センターでみた演劇鑑賞会から好きになりました。見るのも聞くのも、歌うのも大好きです」と、楽しそうに発表していてた。

 みんなの前で堂々と言える亜理紗が、千穂には羨ましかった。


 自分の中に何もないみたい。

 玄関のカギをランドセルから出しながら、和子お祖母ちゃんがいたらすぐに話を聞いてもらえるのにと悲しくなった。

 千穂たち家族と、和子お祖母ちゃんは一緒に暮らしていたが、お祖母ちゃんの一番上のお姉さんが怪我をし、一週間前からお姉さんの家で過ごしているのだ。

 今日みたいな日は、和子お祖母ちゃんの作ってくれる蒸しパンを食べながら、優しくなぐさめて欲しかったのに。

「千穂も、もう五年生になったし。お祖母ちゃんが居なくても大丈夫よね」と家を出るとき言われたけれど。何も、大丈夫じゃない。


 悲しい気持ちがグルグルして、千穂は玄関の前で立ち尽くしてしまった。

「ねぇ!」

 突然背後から声がして、驚きと共に振り返る。

 制服を着た女の人が立っていた。彼女は、じろじろと観察するように千穂を見ていた。

「あなた、この家の子?」

 大人ではないけれど、あきらかに千穂より年上の人に話しかけられ、また言葉が出なくなる。

 睨み付けるような強い視線。

「ねえ」


 不安そうにも、怒っているようにも見えた。不機嫌に眉をひそめる態度に、怖くなりどうにか「そうです」と、うなづく。

 すると、彼女はずかずかと千穂に近づいてくる。

「こんなものがあるから悪いのよ」

 背が高い人だ。その両手に箱を持っている。

「うちで持つ必要なんて全然ないんだから」

 乱暴に箱を千穂の前に突き出す。

 何が入っているのだろう。どうして私に話しかけるのだろう。

 意味が解らず、呆然としていると、「早くっ」と、強引に押し付けられた。

「あなたが持ちなさいよ!」

 びくっとしながら、思わず千穂の両手は箱を受け取ってしまった。


 それはけして重くはなかった。

「あの、これは」

 ようやく声が出たときには、女の人はすばやくスカートをひるがえし、遠ざかっていた。後ろ姿の、制服の襟はもようもなく真っ白だった。その時になって、あの人の目は泣きそうだったのかもしれないと思い当たった。


 箱を地面に置き、たくさんの疑問を浮かべながらも家のカギを開けた。

 玄関に座り込む。

 突然のことについて行けず、千穂はまだどきどきしていた。

 靴も脱がずに、渡された箱のふたをそっと持ち上げる。


 灰色の紙が何かを守るように包んでいた。がさがさと、かきわけ確かめる。古い匂いがした。しめ切った、物をたくさんしまってある場所を開けた匂い。

 紙の奥に、すべすべとした木の感触があった。


 取り出してみると、丸い雪だるまのような形。

 頭から、一本の角のように伸びている部分がある。そこから胴体まで、プラスチックの糸のようなものがピンと張ってある。

 これはきっと楽器だ。千穂でも抱えられる大きさ。

 どうしてという気持ちと同時に、どんな音がするのだろうと興味がわいた。

 本物だろうか。

 玄関の明り取りの窓の下。よくよく見れば新しくはない。すり傷のようなものさえある。

 けれど千穂に抱えられながら、あたたかく鈍い光を返しているようだった。

 全体的に茶色だが、中央に流れ星のようなアイボリー色の模様が走っていた。


 糸を指で弾いてみるとポーンと高く広がる。虹のように明るくてキラキラとした音だ。

 耳に、あの人が言った言葉がよみがえる。

“あなたが持ちなさいよ!”

 驚いたし、怖いとも思ったのに。この出会いは、運命ではないかと感じた。

 それが千穂がウクレレを手にした瞬間だった。 

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