18.大義名分(☆)(※薫視点)
「この! 待て!!」
一羽の悪戯
ここ『中奥』は
そのため出入りする者は限られている。
先日、
加えて僕の部屋は最奥に。従者の数も必要最低限に絞っているため、
快適であることこの上ないのだが……今日に限り、その静寂が災いしてしまう。
従者に命じる……という考えに至れなかったのだ。烏以外の妖の姿が、この目に入らなかったばかりに。
「はっ……! ここは……っ」
目の前には書院造の立派な御殿が。稲を模した屋根飾りの上で、
ここは『
先代当主であるお爺様は1000年程前に他界している。ここにいるのは最早お婆様だけだ。
「
不意に目玉が現れた。数は一つ。瞳の色は金色だ。
宙に浮いた状態で僕に目を向けてくる。酷く近い。それこそ
「ぐあ……っ!!?」
全身に痺れるような痛みが走った。体が動かない。これはまさか『
「うわっ!!?」
体が勝手に動き出した。やはりこれは『操術』。肉体の主導権を奪われてしまったようだ。
「ただ……見つめるだけで……っ」
制約が軽すぎる。僕は口移しで妖力を……っ。男娼紛いな行為をせねばならぬというのに。これが七尾の妖狐と天狐の差か。
奥歯を噛み締めている間に、車寄せ、大広間一の間、二の間、三の間の中を走り抜けていく。
この先にあるのは『御座の間』。お婆様の私室だ。
「ぐっ!」
藤の美しい絵が描かれた金
うつ伏せの状態だ。両腕は背中の上へ。目と口以外はまるで言うことを聞かず、術も練れそうにない。
「くそ……っ」
「カァー! カカッカッカ!!」
僕が動けないのをいいことに、烏が周囲を跳ね歩く。
睨みつけると、何故か機嫌を良くして顔を擦り付けてきた。
「この無礼者がっ!!!」
「くぅ~♡ くぅ~♡♡♡」
「んぅ!?」
硬い
「~~っ、この下等妖怪が!!」
「カーッカッカ!!」
烏は大人しくなるどころか一層上機嫌になる。
「~~っ、何なんだお前は」
調子が狂う。憎らしくて仕方がないはずなのに、何故か怒りの感情が持続しない。むしろ
いや、違う。救いを見出しているんだろう。この小さな鳥は何処までも純粋で裏がないから。
「……っ、愚かな」
「久しぶりだね、
「っ!」
「ふふふっ、見違えたよ。前見た時はこーんな小さな赤ん坊だったのにさ」
部屋の最奥。床を高くした座敷の上には、気だるげに
黒の
長い銀色の髪は飴色の
金色の瞳は妖狐らしい吊り上がった目に縁どられている。目鼻口は全体的に小さく、奥ゆかしさと気品が漂う。
しかしながら、その内面は見ての通りだ。
六つの尻尾をこれ見よがしに揺らして、値踏みするような目を向けてくる。
天狐・
尻尾の数は僕の方が多い……が、位はお婆様の方が数段上だ。
妖狐は
なお、そのきっかけは様々だ。
大事を成す、一定の年齢に達する、信仰心を高める……など。訳も分からず天昇するなんてことも間々ある。
まさに『神の気まぐれ』だ。
そうして一尾、二尾、三尾……九尾と天昇すると『天狐』に。
天狐になった後は、天昇するごとに尻尾の数が減っていく。
そうして最後の一本が消えた時、最上位格の『空狐』になれるのだとか。
雨司の初代当主が空狐であったと言い伝えられているが……真偽のほどは定かではない。
「単刀直入に問おう。薫、お前……
心臓が妙な音を立てる。落ち着け。答えはとうに出ている。溜息をつくように息をつきながら、僕は呆れた調子で返す。
「は? 何を今更。まさか……僕では雨司の当主が務まらないとお考えですか?」
「いや、当主はお前でなくてはならない。常盤は……あの子は至高の才を有しているが、それだけにどうにも……。
「それで僕にどうしろと」
「アタシの意思を継いでほしい。あの
お婆様には1000年にも渡って雨司による独善的な支配を否定、善良な指導者になるよう求め続けた過去がある。
随分と熱心であったようだが、結局誰一人として耳を傾ける者はいなかったそうだ。
そのため、お婆様は1000年程前から独自に慈善活動を展開。それに伴い雨司を不在にすることが増えていったとのことだったが。
「……まだ諦めていなかったんですね」
「アタシは確信してるんだ。アンタと常盤なら実現出来るって」
「話しになりませんね」
「寂しいんだろ、アンタ」
「……っ」
「恥じることはないよ。それは常盤も同じだからね」
「兄上も……?」
「そう。だから、アンタと常盤なんだ」
「~~っ、意味が分かりません――えっ? ……わっ!? ちょっ、ちょっと!」
僕の体が仰向けに。腰に手が伸びて――帯を緩め始める。
「なっ、何を……っ」
「うっしっし~♪ いやね? アンタがあんまりにも頑固なもんだから、ちょっとしたお仕置きをね♪」
「はぁ!? 意味が分からな――!?」
しゅるりと音を立てて帯が解けていく。黒い帯と白い着物が、畳の上にはらりと広がった。
「あっ……!」
白い
「まったく。
「~~っ、もうとうに元服しましたよ! あっ! やっ、ヤダ……!」
僕の手が褌に伸びる。いくら叫んでも止まらない。
「~~っ」
解ける瞬間、僕は堪らず目を閉じた。それと同時に尻尾から褌が抜けて、花茎が下腹部から零れ落ちる。
「カァー! カァー!!」
烏が僕の手から褌を取り上げた。
直後、僕の体はうつ伏せに。両手で股間を押さえ込むような恰好になる。
無論これも僕の意思じゃない。お婆様に操られてのことだ。
「カカーッカー♪」
「ご苦労」
お婆様は烏から僕の褌を受け取った。何をするのかと思えば。
「なっ!!?」
僕の褌に顔を寄せてにおいを嗅ぎ始めたのだ。
立場上、祖母ということになっているが、その見た目は妙齢の女妖狐だ。
「……っ、最低だ」
何がどうして祖母から
「はんっ、思った通りだ。青いね~。
「~~っ、この変態ババアが!!!」
「おぉ? はっはっは! そう! その意気だ」
「は……?」
「素直になんな、薫」
「……っ」
言うなりお婆様は僕の褌を放った。透かさず烏が駆け寄ってきてその褌に包まる。
「かぅ~ん♡♡♡」
「嘘……だろ……?」
烏はご満悦だ。戸惑う僕を他所にお婆様は続ける。
「いいかい、薫。アタシ達は不死ではない。病気にだってなるし、殺されて命を落とすことだってある。無限なようでいて有限。寿命はないようでいて確かに存在するんだ」
お婆様は烏の頭を撫でた。その表情はらしくもなくどこか寂し気で。
「だから、アンタにも常盤にも後悔のないように生きてほしい」
「兄上は後悔などしていないでしょう。出奔されてもう200年にもなるのですよ」
「いいや、未練たらたらさ。あの子はアタシと違って真面目だからね。でも、その実はどうしようもなく不器用で。……たぶんね、
ぎこちなく笑う兄上の顔が頭に思い浮かんだ。
不覚にも腑に落ちてしまう。だから、逃げてしまった。
「ふふっ」
「なっ、何ですか」
「いいや。何でもないさ」
「言いたいことがあるならハッキリと――」
「頼んだよ、薫。この腐り切った世界を変えておくれ。紅や狸の里の者達のように、
そう言ってお婆様は僕に頭を下げた。
勝手だなと――改めて思った。お婆様も。兄上も。
.。o○○o。..。o○○o。..。o○○o。.
それから半年後――お婆様は亡くなった。
支援していたはずの
僕は――葬儀には参列しなかった。
聞いた話によると、参列者には狸の襟巻が配られたらしい。とんだ皮肉だ。
他の身内同様に嗤ってやりたい。なのに……どうにも思うようにならなくて。
「カー! カッカー!!」
葬儀後まもなく、烏が玉手箱を持ってきた。
警戒しつつ手を伸ばしてみると、案の定精巧な術が施されていた。
僕以外の者が開封出来ないよう強力な結界が。
開封後、四半刻後で『焼却の術』が展開されるよう設計されていた。
「~~っ、あのババア」
僕は決死の思いで中身を確認した。いずれも
「……後悔している? っは、どこが。偉く楽し気ではありませんか」
人間好きのあぶれ者の妖怪を囲って悦に浸っているらしい。
まったく、ままごと遊びにも程がある。これでは何の解決にもならない。兄上の保護下に入っていないあぶれ者の妖怪達はどうなる? 変わらず虐げられ続けることになるだろうに。
「雨司の追跡を恐れてのことか? ……いや」
『お婆様もご存知の通り、雨司は酷く保守的です。私が加わったところで、父上を始めとした雨司の者達の考えを改めさせることは出来ないでしょう』
兄上が父上に意見したのはたったの一度きり。出奔する直前のあの一度だけだ。いくらお婆様の前例があるとはいえ、及び腰が過ぎるように思う。
「ああ、そうか。不器用なのではなく腑抜け……なのですね」
この調子では仮に協定を結べたとしても、また逃げ出すかもしれない。
「ふっ、……ふふっ……」
――ならば、致し方がないですよね?
僕の口角が持ち上がる。ああ……この上なくいい気分だ。
「ありがとうございます、お婆様。お陰で大義名分が立ちましたよ」
僕は軽く指を鳴らした。すると瞬時に穂高と定道が現れる。僕は二人を一瞥しつつ手にしていた文を、背後の玉手箱に向かって放った。
すべては読み切れなかったが、まぁ情報量としては不足はないだろう。
「
「ヒュ~、あの常盤様も俺等の
穂高が舌舐めずりをした。まさか兄上までもが
「貴様! 恐れ多いぞ! あの天狐・常盤様であらせられるのだぞ?」
「今やただの放蕩息子だろ? ねえ、薫様?」
「ああ、好きにしてくれていい」
「やりー!!」
「なっ!? 若様!? お気は確かで――ぐぁっ!?」
定道が胸を押さえて苦しみ出した。僕の『操術』を受けてのことだ。その気になればいつでも心の臓を止めることが出来る。
兄上にもこれと同じ術をかけるつもりだ。そうして僕がしっかりと管理をすることで、天狐の力を余すことなく活用していく。
これでいいのでしょう? お婆様。
「申し訳、ございません……若、さま……っ」
術を解いたのと同時に、定道が床に倒れ込む。
穂高が定道を気遣って手を伸ばすが、定道が透かさずその手を弾いた。邪な感情を感じ取ってのことだろう。
「お前達は常盤と面識があったな?」
「あっ、はい。はぁ……はぁ……です、ので、身分と容姿を偽る必要があるかと」
「おぉ~いいね~♪ それじゃ……定道殿、貴方は
「? 何か意味が?」
「
「っ! 悪趣味にも程が――っ!?」
玉手箱の中の文が燃え出した。四半刻丁度。腹立たしいまでに正確だ。
「っ!? なっ、何事です!?」
「案ずるな。お婆様の術だ」
「は~ん、証拠隠滅って奴ですか。流石は大奥様。抜かりないね~」
燃え盛る文の横で僕は筆を取り、文を
復讐と大望を遂げる、その瞬間を夢見ながら。
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