17.兄上が消えたその後で(※薫視点)

 兄上は――常盤ときわ兄様は完璧だと思っていた。


 一騎当千の武者でありながら、気さくで、賢く、民や臣下達からも慕われて。


 兄上以外に雨司あまつかさの当主は務まらないと……そう思っていた。なのに。


「兄上が……出奔……?」


「ああ! どうして!? どうしてなの、常盤……っ」


「捜せ!! 必ずや常盤を連れ戻すのじゃ!!」


 何故だ? 順風満帆であったはずなのに。


 皆は大小様々な疑問を抱え、兄上を捜して回った。


 けれど、成果は得られず。その徒労感、苛立ちからか次第に心無い噂が飛び交うようになる。


「ねえ、聞いた? 常盤様ったら、たぬきの娘と駆け落ちされたそうじゃない」


「嫌だぁ~! 醜女しこめがお好きでいらしたの?」


「俺は重圧に耐えかねて自害されたと聞いたがな」


「儂は大奥様と放浪の旅に出られたと聞いたんじゃがな~」


「ふむ……やはりしてしまわれたというわけか」


 根も葉もない噂を口にするのは、下賤な下働きの者達だけではなかった。


 兄上と共に戦ってきたはずの家臣達までもが、その輪に加わる。


「~~っ、お前達!!! 無礼であるぞ!!!」


 堪り兼ねた僕は奴らを叱責した。


 虫唾が走って仕方がなかった。これまで散々兄上を祭り上げ、恩恵を受けてきたというのに、この者達は……!!


「兄上は! ……あに、うえは……っ」


 擁護するつもりだった。しかし――言葉は続かなかった。


「あっ……あぁ……っ………」


 この時になってようやく気付いたのだ。


 僕は何も知らない。


 兄上からすれば僕とこの者達は同列。


 僕もまた信用されていなかったのだと。


「~~っ」


「薫様!!!」


 僕はこれから何を信じて生きていけばいい? 何を目標に生きていけばいい? 何を励みに生きていけばいい? 道が見えない。これから先、僕は一体どうしたら。


「はぁ……はぁ……っ」


 格技場の裏手に出た僕は、そのまま桜の木の上へ。


「う゛……はぁ……………ひぐ……」


 白い桜の花びらが粉雪のように舞い散る中で、声を押し殺して泣いた。


 しかしながら、いくら泣いても気分は晴れない。死にたい。死にたい。死にたい。あんな卑小で軽薄な者達と生きて何の意味があるのか。


「……イヤだ。イヤだ。もう……っ」


 不意に物音がした。車輪の音だ。よくよく聞いてみると連動していない。だ。


 相手の目星がついた僕は、声を沈めて威圧する。


「何用だ、大五郎だいごろう


 案の定、姿を現したのは輪入道わにゅうどうの大五郎だった。


 家柄も働きも申し分がなく、兄上からも信を置かれている優秀な家臣だ。


 そのためか現在は『捜索隊の隊長』を務めるに至っている。


「恐れながら、その……せめてお傍にと」


「ボクに取り入るつもりか」


「えっ? ああ……はははっ、そうですね。ええ、そう取っていただいても構いませんよ」


「……っ」


 どうして? どうしてそんなふうに笑うんだ。快活に、温かに。


 ――兄上もそうだった。


 あの笑顔に嘘偽りはないと、そう思っていたのに。


「お前は……」


 お前は違うのか? 問いかけることは出来なかった。代わりに眼下の奴に目を向ける。


 奴は桜の木の下で、僕に背を向けるような恰好で立っていた。奴の黒い車輪や、つるっ禿ぱげな頭の上に桜の花びらが1つ、2つと乗っていく。


 それが何だか可笑しくて小さく笑みを零す。コイツはこのまま僕が下りるまでずっと傍にいるつもりなのだろうか。奴の頭の上に、こんもりと桜の花びらが積もる様を想像してまた笑みを零す。


「薫様……?」


「こうも桜が似合わぬ男がいたとはな」


「まぁ、このなりですから」


 照れ臭そうにはにかんでいる。僕への世辞は続きそうにない。そのことに僅かながらに好感を抱いた。故にだろう。僕はつい口走ってしまう。


「兄上のことはもう捜さなくていい」


「は? いや、しかし……」


「会いとうない」


「そんな悲しいことを……常盤様にも何かご事情があったのでしょう」


「…………このっ」


「???」


 鈍い奴だ。僕の真意がまるで伝わらない。


「必ず連れ戻しますよ。この私が必ずや」


「……まったく」


 長い目で見てやるつもりでいた……のに。結局、奴が僕の真意に気付くことはなかった。いや、気付いていて見て見ぬフリをしていたのかもしれない。


「薫、齢200にして六尾の妖狐とは実に見事!」


「これもひとえに父上からのご鞭撻べんたつがあってのことです」


 あれから100年、僕はありとあらゆる努力を重ね次期当主候補として名を連ねるまでになっていた。


 正直なところ雨司の当主の座になど興味はない。卑小で軽薄な奴らがどうなろうと知ったことではない。ただ、僕が当主になったら


「ご当主様!! お知らせを致します!!」


「何だ騒々しい」


「大五郎殿、離反!!! 雨司を離れる旨を一方的に伝え、姿をくらましました」


「何!? まさか人間に、鬼に寝返ったのか!?」


「分かりません。ただ、一言雨司にはもう付いてゆけぬと」


 ――僕は独りだ。


 あるのは力だけ。これで何を成せというのだろう。孤高の覇者にでもなれと、神はそうおぼし召しなのだろうか。


「……いいでしょう。ならば、そのように生きて御覧に入れます」


 気に入らない奴は黙らせてやる。もう二度と嗤わせはしない。


 それから50年後、僕は8いる兄上や姉上達を差し置いて、雨司の次期当主に抜擢されるに至った。


「薫様が次期当主に内定されたらしい」


「当然だな。齢200にして七尾の妖狐。神童と崇められた常盤様をも凌ぐ勢いであらせられるのだから」


「では、最上格の空狐くうこにおなりあそばされるのも……?」


「夢物語ではあるまいて――っ!!? かっ、薫殿……!!」


 僕の姿を認めるなり、家来の妖狐達が深々と頭を下げた。


 その肩は皆、揃いも揃って小刻みに震えている。


「くるしゅうないぞ~」


「お前が言うな、お前が」


 僕の背後で、白い着物姿の2人の妖狐がさえずり出す。いずれも五尾の妖狐。たった2人しかいない僕の直属の部下だ。


 片方は細身長身の男。名を定道さだみちと言う。小麦色の髪を一つ結びに。パッチリとした大きな瞳が印象的な女顔の妖狐だ。


 もう片方は屈強な大男。名を穂高ほだか。銀髪の坊主頭で、やたらと彫の深い顔立ちをしている。


 いずれも僕よりも一回り以上年上。家臣の中では一、二を争うほどの実力を持つ者達だ。


「俺が把握している限りでも、反対派は皆無に等しい。皆、薫様こそ次期当主にふさわしいと仰せですよ」


「穂高、何が言いたい」


「え~? いや~? その……ね?」


 屈強な男――穂高が顔を寄せてくる。僕が不快感に眉をひそめるのと同時に奴が切り出した。


「ご両親や重臣の方々にもを――ぐっ!!?」


 穂高が胸を押さえて苦しみ出した。戸惑う家来達を他所に、僕と定道は構うことなく前進していく。


「すっ、すんません! 冗談ですよ! じょーだん!」


 直後、穂高の息がほっと軽くなる。息を整えた穂高は縮地で僕の後ろについた。


「そんな怒んないでくださいよ~。ただの可愛いじゃないですか」


「ヤキモチだと?」


「だって、手段は変わらずなわけでしょ?」


 穂高が生々しい音を立てて舌なめずりをした。


 途端におぞましい記憶が蘇る。


 唇に、全身にこの男のやわらかで生温かな感触が広がる。


「……っ」


はいつでも。俺は大、大、大歓迎ですからね」


 穂高が僕の耳元で唇を鳴らした。背筋が凍る。両手には自然と力が籠っていく。


 無論、恐怖してのことではない。怒りに震えてのことだ。


「身の程を弁えろ」


「つれないねぇ~――~~っ、てぇ!!」


 今度は頭を押さえて悶え出した。どうやら定道が奴の頭を叩いたらしい。


「阿呆」


「お~、お~、ヤキモチかぁ?」


「っ! 何をバカな――」


「意外と独占欲強めなのね~。いや、見たまんまか? ははっ、女々しいねぇ~」


「ふざけるな! あれは同意の上では……~~っ、このが!」


 周囲がざわつく。ここは城内の大広間に続く大廊下。重臣が多く出入りする場所だ。


「……定道、場所を考えろ」


「もっ、申し訳ございません!! これはその……っ、若様がそうだというわけではなく、このバカが! ほっ、穂高のことでございまして」


 定道が弁解をし始めた。かなり動揺しているのが見て取れる。


 定道は理知的で、気も回る方だが突発的な事態への対応力はいまいちだ。故に――。


「はーい! つい先日、わたくし穂高は定道殿を強姦致しました~」


「っ!!? 穂高!!」


 故に、ふてぶてしいまでの精神力を持つ穂高の支えを期待しているのだが……このありさまというわけだ。


「……お前達、もう何も喋るな」


「っ! はっ、……はっ! 申し訳ございません」


「はっはっはっは! 怒られてやんの~」


「~~っ、誰のせいだと」


 頭が痛い。定道も穂高も優秀な家臣ではあるのだが、その反面何かしらなケチが付く。


 術の精度を上げてところではあるが、負荷を考えるとあまり現実的ではないように思う。


「そうだ! あの、若様」


「……何だ」


「大奥様がお戻りになられるそうです」


「マジか!? ははっ、そりゃ何百年ぶりの話だ?」


 大奥様というのは、僕から見て祖母にあたる存在だ。とはいえ僕個人には何の思い入れもない。


 お婆様は天狐ではあるものの所謂『うつけ者』。


 奔放で常識知らず。それでいて弱きを愛でる傾向にある。


 雨司においては酷く浮いた存在だ。


 故に物心付いた頃から距離を置いてきた。


 最初は父母に言われるまま。今は自発的に。


 ただ、一つ気になる点がある。


 お婆様は兄上を特別に可愛がっていたらしい。


 父母の命を受けて、兄上もお婆様を避けるようになったが、文の形で極秘裏に親交を持ち続けていた……との噂を耳にしたことがある。


 兄上の乱心も、お婆様の影響を受けてのことであると考えれば納得もいく。故に。


「大奥様であれば兄君の居所をご存知であるかもしれませんね~?」


「…………」


 兄上が出奔して150年。


 大五郎が離反し、僕が正式に雨司の後継者に選ばれたことで、兄上の捜索は実質打ち切りに近い状態になりつつあった。


 何も行動を起こさなければ、このまま一生涯顔を合わせることもないのだろう……が。


「どうでもいい」


「冷たいね~。あんなに慕ってたのに」


「昔のことだ」


 そう。今となっては兄上など不要な存在だ。お婆様共々捨て置けばいいとそう思っていた。なのに――。


「カァー!!」


「なっ!? 何をする!」


 数日後。何の前触れもなく一羽の烏が僕の書斎に乗り込んできた。


 奴は何を思ってか、大事な書簡を持って飛んで行ってしまう。


「待て! っ!? なっ……」


 術で捕縛しようにも、『闇紛れの術』に阻まれて思うようにならない。


「カーッ! カッカッカッ!!」


「~~っ、この下等妖怪が!!」


 思わぬ苦戦と挑発により、この時の僕は相当に頭に血が上っていた。


 部下である定道や穂高に命ずることもなく、自らの足で一羽の烏を追いかける。


 奴と奴の主人に踊らされているなどと夢にも思わずに。



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