16.兄上が消えたその後で(※薫視点)

 兄上は――常盤ときわ兄様は完璧だと思っていた。


 一騎当千の武者でありながら、気さくで、賢く、民や臣下達からも慕われて。


 兄上以外に雨司あまつかさの当主は務まらないと……そう思っていた。なのに。


「兄上が……出奔……?」


「ああ! どうして!? どうしてなの、常盤……っ」


「捜せ!! 必ずや常盤を連れ戻すのじゃ!!」


 置手紙にはただ一言『家を出る』とだけ。理由は書かれていなかった。


 何故だ? 順風満帆であったはずなのに。


 皆は大小様々な疑問を抱え、兄上を捜して回った。


 けれど、成果は得られず。その徒労感、苛立ちからか次第に心無い噂が飛び交うようになる。


「ねえ、聞いた? 常盤様ったら、たぬきの娘と駆け落ちされたそうじゃない」


「嫌だぁ~! 醜女しこめがお好きでいらしたの?」


「俺は重圧に耐えかねて自害されたと聞いたがな」


「儂は大奥様と放浪の旅に出られたと聞いたんじゃがな~」


「ふむ……やはりしてしまわれたというわけか」


 根も葉もない噂を口にするのは、下賤な下働きの者達だけではなかった。


 兄上と共に戦ってきたはずの家臣達までもが、その輪に加わる。


「~~っ、お前達!!! 無礼であるぞ!!!」


 堪り兼ねた僕はヤツらを叱責した。


 虫唾が走って仕方がなかった。これまで散々兄上を祭り上げ、恩恵を受けてきたというのに、この者達は……!!


「兄上は! ……あに、うえは……っ」


 擁護するつもりだった。しかし――言葉は続かなかった。


「あっ……あぁ……っ………」


 この時になってようやく気付いたのだ。


 僕は何も知らない。


 兄上からすれば僕とこの者達は同列。


 僕もまた信用されていなかったのだと。


「~~っ」


「薫様!!!」


 僕は逃げ出した。嘲笑が木霊する。


 変わらず慕っているはずの兄上のことが、急に恨めしく思えて。


 ヤツらと同調するなど、真っ平御免であるはずなのに。


「はぁ……はぁ……っ」


 格技場の裏手に出た僕は、そのまま桜の木の上へ。


「う゛……はぁ……………ひぐ……」


 白い桜の花びらが粉雪のように舞い散る中で、声を押し殺して泣いた。


「……っ、…………あに、うえ……っ!」


 不意に物音がした。車輪の音だ。よくよく聞いてみると連動していない。だ。


 相手の目星がついた僕は、声を沈めて威圧する。


「何用だ、大五郎だいごろう


 案の定、姿を現したのは輪入道わにゅうどうの大五郎だった。


 家柄も働きも申し分がなく、兄上からも信を置かれている優秀な家臣だ。


 そのためか現在は『捜索隊の隊長』を務めるに至っている。


「恐れながら、その……せめてお傍にと」


 桜の木の下で、僕に背を向けるような恰好で立っている。


 ヤツの黒い車輪や、つるっ禿ぱげな頭の上に桜の花びらが1つ、2つと乗っていく。


「そんな暇があるのなら、とっとと兄上を――」


「お言葉ですが……若様が雨司に戻られることは、金輪際ないように思いまする」


「っ! お前……まさか、兄上が出奔した理由を知っているのか?」


「それは……」


「言え! 大五郎!!」


「……承知致しました」


 大五郎は逡巡した後、おもむろに語り出した。


「……若様はとてもお優しい方でした。故に、修羅にはなりきれず。……敵にまでその……お情けを――」


「は……?」


 怒りの炎が燃え広がる。優しく微笑む兄上のお顔がちりに変わっていく。


 憧れは軽蔑へ。親愛は憎しみへ。


 もう止めようとは思わなかった。


 胸の底から湧き上がってくる言葉を、抗うことなく口にする。


「その実はとんだ臆病者であったというわけか」


「いえ! そうではなく――」


「雨司のごうを背負うお覚悟が、兄上にはなかった。そういうことなのだろう、大五郎?」


「……若様はお優しいのです。どうしようもないほどに。それこそ同情を禁じ得ぬほどに」


「っは、くだらん」


 心が軽くなっていく。兄上を否定する度に力が湧いてくるようだ。


「大五郎」


「……はっ」


「兄上のことはもう捜さなくていい」


「……は?」


「僕が雨司の当主になる。不出来な兄上に代わってな」


 もうこれ以上、あの者達と同じてつは踏まない。


 僕自らが神輿みこしの上に立つ。真の武人となり、この雨司を率いるんだ。


「兄上、僕は決して貴方のような腑抜けにはならない」


.。o○○o。..。o○○o。..。o○○o。.


 こうして僕は兄上と決別。150年に渡ってありとあらゆる努力を重ねた。


 結果、僕は8いる兄上や姉上達を差し置いて、雨司の時期当主に抜擢されるに至る。


「薫様が次期当主に内定されたらしい」


「当然だな。齢200にして七尾の妖狐。神童と崇められた常盤様をも凌ぐ勢いであらせられるのだから」


「では、最上格の空狐くうこにおなりあそばされるのも……?」


「夢物語ではあるまいて――っ!!? かっ、薫殿……!!」


 僕の姿を認めるなり、家来の妖狐達が深々と頭を下げた。


 その肩は皆、揃いも揃って小刻みに震えている。


「くるしゅうないぞ~」


「お前が言うな、お前が」


 僕の背後で、白い着物姿の2人の妖狐がさえずり出す。いずれも五尾の妖狐。僕の直属の部下だ。


 片方は細身長身の男。名を定道さだみちと言う。小麦色の髪を一つ結びに。パッチリとした大きな瞳が印象的な女顔の妖狐だ。


 もう片方は屈強な大男。名を穂高ほだか。銀髪の坊主頭で、やたらと彫の深い顔立ちをしている。


 いずれも僕よりも一回り以上年上。家臣の中では一、二を争うほどの実力を持つ者達だ。


「俺が把握している限りでも、反対派は皆無に等しい。皆、薫様こそ次期当主にふさわしいと仰せですよ」


「穂高、何が言いたい」


「え~? いや~? その……ね?」


 屈強な男――穂高が顔を寄せてくる。僕が不快感に眉をひそめるのと同時にヤツが切り出した。


「ご両親や重臣の方々にもを――ぐっ!!?」


 穂高が胸を押さえて苦しみ出した。戸惑う家来達を他所に、僕と定道は構うことなく前進していく。


「すっ、すんません! 冗談ですよ! じょーだん!」


 直後、穂高の息がほっと軽くなる。息を整えた穂高は縮地で僕の後ろについた。


「そんな怒んないでくださいよ~。ただの可愛いじゃないですか」


「ヤキモチだと?」


「だって、手段は変わらずなわけでしょ?」


 穂高が生々しい音を立てて舌なめずりをした。


 途端におぞましい記憶が蘇る。


 唇に、全身にこの男のやわらかで生温かな感触が広がる。


「……っ」


はいつでも。俺は大、大、大歓迎ですからね」


 穂高が僕の耳元で唇を鳴らした。背筋が凍る。両手には自然と力が籠っていく。


 無論、恐怖してのことではない。怒りに震えてのことだ。


「身の程を弁えろ」


「つれないねぇ~――~~っ、てぇ!!」


 今度は頭を押さえて悶え出した。どうやら定道がヤツの頭を叩いたらしい。


「阿呆」


「お~、お~、ヤキモチかぁ?」


「っ! 何をバカな――」


「意外と独占欲強めなのね~。いや、見たまんまか? ははっ、女々しいねぇ~」


「ふざけるな! あれは同意の上では……~~っ、このが!」


 周囲がざわつく。ここは城内の大広間に続く大廊下。重臣が多く出入りする場所だ。


「……定道、場所を考えろ」


「もっ、申し訳ございません!! これはその……っ、若様がそうだというわけではなく、このバカが! ほっ、穂高のことでございまして」


 定道が弁解をし始めた。かなり動揺しているのが見て取れる。


 定道は理知的で、気も回る方だが突発的な事態への対応力はいまいちだ。故に――。


「はーい! つい先日、わたくし穂高は定道殿を強姦致しました~」


「っ!!? 穂高!!」


 故に、ふてぶてしいまでの精神力を持つ穂高の支えを期待しているのだが……このありさまというわけだ。


「……お前達、もう何も喋るな」


「っ! はっ、……はっ! 申し訳ございません」


「はっはっはっは! 怒られてやんの~」


「~~っ、誰のせいだと」


 頭が痛い。定道も穂高も優秀な家臣ではあるのだが、その反面何かしらなケチが付く。


 術の精度を上げてところではあるが、負荷を考えるとあまり現実的ではないように思う。


「そうだ! あの、若様」


「……何だ」


「大奥様がお戻りになられるそうです」


「マジか!? ははっ、そりゃ何百年ぶりの話だ?」


 大奥様というのは、僕から見て祖母にあたる存在だ。とはいえ僕個人には何の思い入れもない。


 お婆様は九尾の妖狐ではあるものの所謂『うつけ者』。


 奔放で常識知らず。それでいて弱きを愛でる傾向にある。


 雨司においては酷く浮いた存在だ。


 故に物心付いた頃から距離を置いてきた。


 最初は父母に言われるまま。今は自発的に。


 ただ、一つ気になる点がある。


 お婆様は兄上を特別に可愛がっていたらしい。


 父母の命を受けて、兄上もお婆様を避けるようになったが、文の形で極秘裏に親交を持ち続けていた……との噂を耳にしたことがある。


 兄上の乱心も、お婆様の影響を受けてのことであると考えれば納得もいく。故に。


「大奥様であれば兄君の居所をご存知であるかもしれませんね~?」


「…………」


 兄上が出奔して150年。


 大五郎が離反し、僕が正式に雨司の後継者に選ばれたことで、兄上の捜索は実質打ち切りに近い状態になりつつあった。


 このまま何もせずにいたら、大五郎の予言通り兄上はもう二度と雨司に戻ることはないだろう……が。


「どうでもいい」


「冷たいね~。あんなに慕ってたのに」


「昔のことだ」


 兄上は今となっては不必要な存在だ。お婆様共々捨て置けばいいと……そう思っていた。なのに――。


「カァー!!」


「なっ!? 何をする!」


 数日後。何の前触れもなく一羽の烏が僕の書斎に乗り込んできた。


 ヤツは何を思ってか、大事な書簡を持って飛んで行ってしまう。


「待て! っ!? なっ……」


 術で捕縛しようにも、『闇紛れの術』に阻まれて思うようにならない。


「カーッ! カッカッカッ!!」


「~~っ、この下等妖怪が!!」


 思わぬ苦戦と挑発により、この時の僕は相当に頭に血が上っていた。


 部下である定道や穂高に命ずることもなく、自らの足で一羽の烏を追いかける。


 ヤツとヤツの主人に踊らされているなどと夢にも思わずに。



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