15.理想と現実(※六花視点)

「死ねええぇえ!!! この化け物がぁあああ!!!!」


 人間の男が斬り掛かってきた。黒い鎧を身に着けている。さむらいだ。私は男の攻撃をかわし、振り向きざまに青い炎を放った。


「ぎゃああぁあああああ!!!!」


 男の体は勢いよく燃え、瞬く間に崩れ落ちていく。これで終わりだ。少なくとも今日のところは。


 ほっと息をつきながら空を見上げると、重たい雲が頭上を覆っていた。閉塞感、停滞。そんな単語が自然と思い浮かんでは消えていく。


「若様!!! ご無事ですか!!??」


 側近である輪入道の大五郎が土煙を立てながら駆け寄って来る。その遥か向こうには他の仲間達の姿が。数百にも及ぶ妖の軍勢が押し寄せてきていた。


「~~っ、お応えください!!! 常盤ときわ様!!!」


「っ!」


 大五郎の車輪型の大きな体が、炭になった人間を踏み潰した。バラバラになった男の体が、四方八方に飛び散っていく。


「……っ」


 私は反射的に目をそらした。人間だとは思わなかったんだろう。そんなふうに都合よく解釈しようとする。


「やっ、やはりお怪我を!!?」


「……ううん。無傷だよ。これは全部返り血で――」


「なんと!? 2万もの軍勢を相手にして無傷とは!! はははっ!!! まったく頼もしい限りですが、これでは我々の立つ瀬がございませぬな!!!」


「……ごめん」


 周囲には無数の人間のしかばねが広がっていた。


 いずれも私が。


 ――見たくなかったからだ。


 大五郎を始めとした仲間達が対象をほふる姿を。もっと言うと、のその姿を。わらうのか、憐れむのか、それとも無反応なのか。


 知りたいけど、怖くもあって。悩んだ末に、私は先陣を切るようになった。我ながら心底不甲斐なく思う。


「若様のお帰りだ!」


 城に入るなり従者達が沸き出す。


 返り血で濡れた私を前にしても、畏怖の念を向けてくる者はごくわずか。大抵の者達は嬉々とした表情を浮かべている。


「若様ー!」


「血濡れたお姿も素敵ね」


此度こたびも一騎当千のご活躍であったそうだぞ」


「いやはや人間共も哀れよな~、斯様な武人を相手にせねばならぬとは」


「はっはっは! 侍も術者も若様の前では塵に同じだな! 頼もしい限りだ」


「……っ」


 人間達の断末魔、絶望に満ちた暗い瞳が脳裏を過る。


 私は堪らず目を伏せた。それでもなお止まない。無数の屍が、私の体に覆い被さってくるようで。


「兄上! 兄上ー!!」


 そんな中、紺色の作務衣姿の少年が駆け寄ってくる。短い手足を精一杯に動かして。


「ふふっ」


 途端に頬が緩み、体がふわりと軽くなった。ああ、今日もまた彼に――かおるに救われた。


 薫は10人いる兄弟の末弟で、今はまだ50歳にも満たないわらべ。人間で言えば5歳前後。まさに可愛い盛りだ。


 腰まで伸びた銀色の髪に、三角の大きな耳、切れ長の目に、金色の瞳といった特徴を持っており、日に日に父上や私に似てきていると評判になっている。


「兄上! 今回もご活躍だったと――おわっ……!?」


「っ!? 薫!!」


 薫の上体が大きく傾いた。私は慌てて手を伸ばす。


「……あっ」


 だが、その手が薫に触れることはなかった。


 躊躇ちゅうちょしてしまったからだ。この血塗られた体で、無垢な薫に触れて良いものかと思い悩んで。


「あに、うえ……!」


 薫の瞳が絶望と悲しみに染まる。


「う゛! ぐっ……!」


 小さな体が地面に叩きつけられた。薫の血の匂いが鼻孔を突く。


「薫! ごめん。……っ、ごめんね」


 身を屈めて薫の様子を伺う。この時点に至ってもなお、私は薫に触れることが出来なかった。


「大事……ありません……っ!!」


 薫は作務衣の袖で目元を拭うなり、勢いよく顔を上げた。


 色白の頬が土で汚れている。その一方で、金色の瞳はべっこう飴のような澄んだ輝きを放っていて。


「ボクは将来……っ、兄上のような一騎当千の武人になるのですから!」


 薫の瞳が一層輝き出す。1本だけの尻尾もぴんっと立てて。


「……そっか」


 まざまざと痛感する。薫もまたしっかりと雨司の理念を抱いているのだと。


 ――神は妖狐の治世を望んでおられる。故に神は我らに試練を与え、評価し、力をお与えになる。


 この教えは真理に等しく、疑念を抱く者は誰一人としていなかった。ただ一人、私のお婆様を除いて。


 お婆様は自身を含め、神と対話した者がいないこと。自身の経験――戦場から退き、戦争被害者達への贖罪に励むことで「天狐」になったこと。


 以上2つを根拠に、私達の真理――選民思想、戦果至上主義を否定。


 雨司は独善的な支配者ではなく、善良な指導者になるべきだと訴え続けた。


 実に1000年以上にも渡って。


 だが、誰一人としてお婆様のご意見に耳を傾ける者はいなかった。故にお婆様は――見限られたのだろう。


 800年程前、お爺様が亡くなり、私の父上に代替わりをしたのを契機に度々不在に。直近で言えば、もう100年近くお戻りになられていない。


 一方の私はといえば……両親に命じられるままお婆様とは距離を置いていたが、内心ではそのお考えに傾倒しつつあった。


 とはいえ、決断には至れずにいた。当時の私の世界は途方もないほどに狭く、ろくな検討材料を持ち合わせていなかった。彼らのことをまるで知らなかったから。


 そんなある時――機会は唐突に訪れた。


「狐? ……白い狐だ! 怪我をしてる」


「ああ、脇腹の辺りをパックリ斬られてる。こりゃお侍様の仕業か?」


 迷いがあったためか私は戦場で負傷。狐の姿になって大五郎達の助けを待っていたところ――人間に遭遇してしまったのだ。


「ギャウッ!!!!」


「いけねえ! そんなに暴れたら傷が……っ」


「~~っ、お願い信じて! 助けたいの」


「ギャ、……う……?」


 助けたい? 私を?


 人間の女が涙ながらに訴えかけてきた。だまし討ち等と疑うのもはばかられる程に、その女の涙は綺麗で。


「ありがとう。大丈夫。大丈夫だからね」


 女とその父親と思われる男は、血で汚れるのもいとわずに必死になって手当をしてくれた。


「……っ、……」


 私はこの時初めて、自身や雨司を否定しにかかった。


 ――私達は何と浅ましく、臆病で、狭量なのだろう。


 私達は自らの正しさのために他者に手を上げるが、人間……少なくともこの人達は違う。自らの正しさのために、他者に手を差し伸べている。


 これまで私が手をかけてきた者達の中にも、こういった清き者達が。清き者達が待つ家庭があったのだろうか。


「おっ? 何だい、泣いてんのかい?」


「イヤね、雪は狐なのよ。泣くわけないじゃない」


 この人達は私が妖狐だと知ってもなお、その温かな手を差し伸べてくれるのだろうか?


「雪? あれ!? 雪ーー!! どこ行っちゃったの!?」


 結局私は正体を明かせぬまま彼らの元を離れた。


 そしてそのまま父上の元へ。他種族との争いを止め、対話をするよう強く求めた。


「母上に……天狐・みおに毒されたか?」


「いえ、機会を得て自ら学びました」


 父上は私とよく似ている。切れ長の目に金色の瞳、細い鼻筋、薄い唇。似ているところをあげだしたらキリがない。


 そのため父上は見分けやすいよう、外見を中年に寄せて、口元やあごに白く立派なひげを蓄えていた。


「なるほどな」


 父上はしたり顔を浮かべた。真意は不明だ。ただ、私の思いは正しく届いていないような気がした。


「良い兆候だ」


「……は?」


「まさしくその葛藤こそが、お前が「空狐」となるに必要な試練であるのであろう」


 私は首を左右に振り、きつく唇を噛み締める。


 予感は的中してしまった。父上の主義主張はほんの僅かも揺らいでいない。


 ご存知ないからか? 父上も彼らと触れ合えばあるいは。一縷の希望を胸に抱くも、具体的な手段が思いつかない。私はどうしたら……?


「はっはっは! まったくめでたいことだ! これに免じて此度の失態も不問としてやろう」


「……いえ、私は……もう戦えません」


「何? はっはっは! いいともいいとも、今は大いに悩め! 足掻け! そしてゆくゆくは空狐となり、雨司に更なる発展をもたらすのだ!!!」


「……っ、父上――」


「いや~、素晴らしい! 素晴らしいぞ常盤! やはりお前は、私の最高だ!」


 ――悟ってしまった。


 父上の目に映っているのは空狐となった私だ。今の私など眼中にない。


「…………」


 深く礼をして部屋を後にする。


 私が空狐になれば、事態は好転するのだろうか? いや、そもそも空狐は伝説上の存在。幻想と称される程の高みだ。そんなものを宛てにするべきではない。同志を集めるんだ。さすれば父上も。


 構想しかけたのと同時に――私の歩みは止まった。


「……いるわけない……か」


 私のこの主張はお婆様のものとほぼ同じ。


 過去、お婆様は1000年以上にも渡って皆を説得し続けたが、結局誰一人として賛同する者は現れなかった。


 それ程までに雨司は保守的であるのだ。お婆様と私が組んだところで、大した意味をなさないだろう。


「……ならば私も貴方のように」


 決意した直後、顔の横を何かが掠めた。


「雪……?」


 曇天の空から舞い下りた「六つの花」は、はかなくも清らかで。眺めている内に、強い憧れにも似た感情が芽生えていくのを感じた。


 合わせて思い浮かんでくるのは、恩人であるあの親子の姿だ。


『おぉ! 雪! 怪我の具合はどうだ?』


『雪? あれ!? 雪ーー!! どこ行っちゃったの!?』


 あの心優しき親子は私のことを「雪」と呼んで労わってくれた。思い返すだけで胸がじんわりと温かくなってくる。


「……六花りっかと名を改めさせてもらおう」


 雪と名乗るのは気が引けた。彼らには結局正体を明かせず、ろくに礼も出来なかったから。


 今からでも……とも思いかけたが、を踏まえると難しいと言わざるを得ない。場合によっては彼らにも危害が及ぶことになる。残念だが控えるべきだろう。


「……行くか」


 私は城の天守の方に向かって深々と頭を下げた。そして。


「はっ……はっ……!」


 着の身着のまま出奔した。予想通り雨司は全国に捜索隊を手配。お婆様との対面も叶わず、文を通じての交流に留まった。


 逃亡生活を続ける内、私は私で麦や梅といった、あぶれ者の妖達と知り合っていった。


 類は友を呼ぶとはまさにこのこと。彼らもまたそれぞれの理由で、人間に対して憎しみを抱けずにいた。


「あぶれ者の楽園……そんな世界があってもいいのかもしれないな」


 彼らを抱えての逃亡生活に限界を感じた私は、天昇により新たに得た力・世界創造によって里を築き上げた。


 しかしながらそれは、妙手でもなんでもなく、単なる逃げでしかなかった。


 妖狐や他の妖達、人間達の意識を変えない限り、根本的な解決には至らない。これから先も悲劇は続いていく。


 そんな確信を抱いていながらも、私はぬるま湯に浸かり続けてしまったんだ。


 ――今日この日、薫と再会するまで。200年もの間ずっと。



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