15.再会/再開(※六花視点)

 死と破壊の匂いがする。他でもない私の体から。


 幸いなことにほぼ無傷だ。けれど、色はすっかり変わってしまった。


 白から赤へ。人間の血でべったりと。


『若様のお帰りだ!』


 城に入るなり従者達が沸き出す。


 畏怖の念を向けてくる者はごくわずか。大抵の者達は嬉々とした表情を浮かべている。


『若様ー!』


常盤ときわ様ー!!』


『……っ』


 私は堪らず目を伏せた。それでもなお状況は好転していかない。は増すばかりだ。


『兄上! 兄上ー!!』


 そんな中、紺色の作務衣姿の少年が駆け寄ってくる。短い手足を精一杯に動かして。


『ふふっ』


 途端に頬が緩み出す。ああ、今日もまた彼に――かおるに救われた。


 薫は10人いる兄弟の末弟で、今はまだ50歳にも満たないわらべ。人間で言えば5歳前後。まさに可愛い盛りだ。


 腰まで伸びた銀色の髪に、三角の大きな耳、切れ長の目に、金色の瞳といった特徴を持っており、日に日に父上や私に似てきていると評判になっている。


『兄上! 今回もご活躍だったと――おわっ……!?』


『っ!? 薫!!』


 薫の上体が大きく傾いた。私は慌てて手を伸ばす。


『……あっ』


 だが、その手が薫に触れることはなかった。


 躊躇ちゅうちょしてしまったからだ。この血塗られた手で、無垢な薫に触れて良いものかと思い悩んで。


『あに、うえ……!』


 薫の瞳が絶望と悲しみに染まる。


『う゛! ぐっ……!』


 小さな体が地面に叩きつけられた。薫の血の匂いが鼻孔を突く。


『薫! ごめん。……っ、ごめんね』


 身を屈めて薫の様子を伺う。この時点に至ってもなお触れることは出来なかった。


『大事……ありません……っ!!』


 薫は作務衣の袖で目元を拭うなり、勢いよく顔を上げた。


 色白の頬が土で汚れている。その一方で、金色の瞳はべっこう飴のような澄んだ輝きを放っていて。


『ボクは将来……っ、兄上のような一騎当千の武人になるのですから!』


 薫の瞳が一層輝き出す。1本だけの尻尾もぴんっと立てて。


 対する私は――何も言えなかった。


 ――父上も母上も、他の弟妹達や臣下達も皆口を揃えて言う。


 我らは正しい。


 我ら雨司あまつかさは太平の世を築かんとしている。


 そのために仇である人間共をほふり、奴らにくみする妖達を淘汰とうたしている。


 平和のために、誰かが手を汚さなければならぬのだと。


 ――私は……。皆の主張を。声を。


 取り返しがつかなかったからだ。摘み取ってしまった命はもう二度と蘇ることはない。


 その罪を認めてしまったら、私はもう動けなくなってしまう。戦場には立てないと思ったから。


『はっ……はっ……!』


 ――案の定、。楽園を創造し、閉じこもってしまったんだ。今日の今日まで。


「ご無沙汰しております、兄上」


 今日この日に薫と再会した。実に200年ぶりのことだった。


 無地の黒い着物に、観世水文かんぜみずもんが映える真っ白な五つ紋羽織を合わせている。


 長い銀色の髪は横に束ねて流していた。


 人間で言えば20歳前後。見た目だけで言えば優太に近い年頃に見える。


 ただその目は暗く鋭利に。修羅を知る者の目になってしまっていた。加えて尻尾の数は7本だ。


 一体どれだけの努力と苦難を強いられてきたのだろう。私が出奔などしたばかりに。


「ごめんね」


「何か誤解をされているようですね。僕は貴方を恨んでなどおりません。むしろ感謝しているのですよ」


「っ! まさか」


「ええ、次の当主はこの僕です。でね」


「……それで今回協力を?」


「ええ」


 本心なのだろうか? 探ろうにも情報が足らない。兄弟とは名ばかりの関係にあるのだとまざまざと痛感する。


「しかしながら、……よもや人間までおいでとは」


「えっ……?」


 念入りに匂い消しをしたつもりだった。まさかこんなにも早く暴かれてしまうなんて。


「何と!」


「お里に人間が……」


 移住予定の2人の妖狐達が目に見えて動揺し出す。


 私に似た思想の持主とのことだったが、人間との共存はやはり難しいのだろうか。


「厳密に言えば妖力を持った人の子だよ。里の守護に協力してもらっているんだ」


「半妖……ということでしょうか?」


「いいや。半妖とも違う。新しい種族だよ」


「なっ、なるほど……」


「ごめんね。やっぱり難しいかな――」


「滅相もございません!」


「はい! 戸惑いは確かにありますが、常盤様がお認めになられた方です。信頼に足る者と見てよろしいかと!」


「何? まったくお前達は……お婆様の一件から何も学んでおらぬのだな」


「おっ、恐れながら、大奥様の一件があればこそです!」


「ちょっと待って! お婆様? お婆様がどうかしたの……?」


 心臓が早鐘を打つ。薫からはお婆様は病にかかり亡くなられたと聞いていたが。


「まさか……人間に?」


「ええ。退治屋に呪い殺されました。たぬきの奴らが裏切ったのですよ」


 お婆様は戦火に巻き込まれた『化け狸』達を支援していた。彼らとの関係は良好で、お婆様自身もまた復興にやりがいを見出されているようだったが。


「……大奥様ほどの手練れであれば、呪詛返しなど容易たやすかったでしょう。なれど、


「我らは足らぬ頭でその真意を想像し、思い至ったのです」


「憎しみは憎しみを生むだけだと……大奥様はお示しあそばされたのではないかと」


「それで君達は……」


「はい。勝手に感銘を受けて立候補をさせていただきました」


 2人の青年妖狐達は照れ臭そうにはにかみながら語った。


 視界が歪む。お婆様の意思が、命を賭した訴えがこの2人を変えたんだ。その事実に胸が震える。


「ありがとう……っ、……本当にありがとう」


「とんでもございません!」


「そうです! どうか頭をお上げください!」


 2人の妖狐達が慌て出す。私は促されるまま頭を上げて――改めて2人に目を向けた。


 片方は細身。薄茶色の髪を一つ結びにしている。吊り上がった目をした妖狐らしい風貌の青年だ。


 もう片方はガッチリとした体形で私よりも背が高い。銀色の坊主頭で一見すると僧兵のよう。目は体に反してつぶらで愛嬌がある。


 いずれも紺色の作務衣姿で、尻尾の数は1本。


 修行段階にある『野狐やこ』であることは明白だった。


 そのため妖力はまだまだだ。けれど、伸びしろは十分。何とも頼もしい限りだ。


「私は、今は六花りっかと名乗っている。君達の名前も教えてもらえるかな?」


「はっ! 樹月きづきでございます!」


「けっ、けいでございます!」


 細身の方が樹月、屈強な方が桂という名であるらしい。


「ふふっ、ありがとう。どうぞよろしくね」


「「はい!」」


 前向きで一所懸命なところは優太にも通じるところがある。きっと仲良くなれるだろう。 


「薫、紹介をしてくれてありがとう。2人のことは責任を持って面倒を見させてもらうから――」


「帰れと仰せですか?」


「嫌だろうし、興味もないだろ?」


「また貴方はそうやって決めつけて、口を閉ざすのですね」


「……っ」


 強い私怨と悲しみを感じた。私の胸が大きく震える。


 あの日と同じ、幼い日の薫の面影が見て取れたから。


「お婆様は貴方のとして僕を選んだ。何故だか分かりますか?」


 関係修復を願って? 声に出しかけて――控えた。あまりにも烏滸おこがましくて。


 薫はそんな私を前にして深く溜息をついた。


とお考えになられたからです。僕は雨司しか知らない。外の世界のことをまるで知らないから」


 私が出奔したせいだ。父上は原因を外にあるとお考えになり、情報を遮断しにかかったのだろう。当然の選択。想定出来た事態だ。


「ごめ――」


「早とちりしないでください。僕は謝罪が欲しいんじゃない。……ご教授いただきたいのです。貴方とお婆様、そしてこの者共が見ている世界を」


 ――ツケが回ってきた。この200年分のツケが。


 私はこれまで伝わるはずがない、理解してもらえるはずがない等と言い訳をして逃げ続けてきた。


 そんなどうしようもない私でも……変わることが出来るのかな?


「僕のこの凝り固まった思想を解きほぐすことが出来たのなら、貴方が夢見た革新が。雨司は『独善的な支配者』から『善良な指導者』へと変貌を遂げることになるでしょう。それでも貴方は僕に帰れと。……この機会を棒に振ると言うのですか?」


 薫の薄い下瞼が持ち上がって、金色の瞳がしっとりと濡れる。


「~~っ、薫!」


 気付けば私は薫の手を取っていた。


「っ! 何を――」


「ありがとう、薫! 本当にありがとう!」


「兄上……」


 私は深々と頭を下げた。直後、控えめに笑う声が聞こえる。薫の声だ。ほっとしたように。それでいて何処かくすぐったそうでもあって。


「薫――っ!?」


 私が顔を上げたのと同時にが吹き荒れた。


「カァ! カカァ!!」


 からす型の妖怪・紅丸が、私の肩に乗って顔や黒い羽を擦り付けてくる。


紅丸べにまる! 良かった。


「無事とは? 聞き捨てなりませんね。お婆様が亡き今、誰が主人を務めているとお思いで?」


「ごめん! その……つい……」


「カァ! カァ! くぅ~♡♡」


 硬いくちばしが私の唇を突いた。求められるまま小さな音を立てて口付けてやる。


「カァ~っ♡」


斯様かような者に口吸いなど……」


「減るものではないし、それに何より喜んでくれるから」


「~~っ、貴方がそんなんだから僕にまで……っ」


「えっ?」


「っ! ……いえ。何でもありませ――」


「奪われちゃった?」


「~~っ、兄上!!!」


 薫の顔が真っ赤になる。そんな彼の姿を認めた私の頬は、ほろほろととろけ出して。


「かっ、薫様? うっ、嘘でしょ……? 何でそんな烏相手に。今更で――」


「っ!! ケイ!!」


「っ!? ヤベ――っ! おっ、お許しを!!!!!」


「カッカッカ!!!」


「~~っ、嗤うな!! この下等妖怪が!!!」


 腹が痛い。笑い過ぎてのことだ。またこんなふうに薫と笑い合える日が来るなんて夢にも思わなかった。お婆様に改めて感謝をしなければ。


「……さて。では、行こうか。私の体に触れて」


「っ! はっ、! しっ、失礼致します」


「おっ、恐れ入ります」


 樹月と桂は遠慮がちに私の肩に触れ、薫はしっかりと私の腕を掴んできた。


「……? 何か?」


「ふふっ、いいや」


 私は緩みかけた頬を引き締めて正面を見やる。


「開界」


 白い光に包まれていく。


 優太。お陰様で私も変われそうだよ。今度こそ、君のように。



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