第19話 あとしまつ

 大雨が降りしきる中、私たちの方へと向かってきた巨大な狼と、ランスの弟だという緑髪の騎士、トリス。


 私はすり抜けの魔法のおかげで無傷だった。けれど、助けてくれようとしたランスの手がすり抜けていってしまったのは、ものすごく申し訳がなかった。


 みんなは無事だろうか。そう思って周囲を見回せば、ケンさんやペイズさんたちはじめ憲兵けんぺいの皆さんは避けていたみたいで無事だった。


 けれど、空に飛んで行ったランスの姿が見えない。

 振り返れば、かわりに屋敷の庭にはトリスが狼と共に侵入していた。


「ランス! どこに行ったの!」

「デカ狼! 俺がお前を傷つけたあの魔女をやるから、お前はこの建物を壊せ!」


 再び遠吠えを上げる狼。けれどどこか苦しそうなのは、きっと背中の矢が痛いからなのだろう。

 呼応こおうするように鳴り響いた雷鳴も、心なしか悲鳴のように聞こえた。


 そのとき。私の横を赤色の影が通り抜けていく。その影はまっすぐにトリスに向かった。


「っ、ニール君!」

義兄上あにうえが戻ってくるまでの間、僕が義姉上あねうえを守らないと」

「フンッ! 基礎もなっていないようなクソガキが俺にまとわりつくんじゃねえ!」

「うわっ!」


 風魔法で吹き飛ばされたニール君は、壁にぶつかってその場に倒れ込んでしまう。

 その様子を一瞥いちべつしたトリスは、今度は再び私の方に向かって飛んできた。


「これで終わりだ! 黒魔女!」


 けれど、私の所まで彼が飛んでくるよりも先に、今度は紫の炎と雷が、美しい庭園を覆うように降り注いだ。私も熱風に目をつむってしまう。

 その炎が誰のものかなんて、考えなくてもわかった。


 熱風が止み、私が目を開けば狼もトリスも息絶え絶えといった様子だった。

 雨が降りやんだ灰色の空を見れば、竜の姿のままのランスが私たちの方に向かって急降下してくるのが見える。


 私の隣に降り立ったランスは四つんいになって、頭を私の背と同じぐらいの高さまで下ろしていた。


「ランス! もう十分よ!」

『これは君を傷つけようとしたトリスが悪い』

「でも、庭の草花は悪くないわ」

『……』

「黙りこむのはやめてちょうだい。……人の姿に戻らないの?」


 私がそう尋ねると、ランスは気まずそうに目を逸らした。

 後ろ暗いことでもあるのかしら? そう思っていると。


『君がキスしてくれたら』

「……こんな時にふざけるのも大概たいがいにして」

『……ふざけてはいない。闇魔法を使いすぎた副作用と言ったところかな。君がキスしてくれなければ俺はあと三日ぐらいはこのままだ』


 本当なのだろうか。

 けれど、彼が炎を吐いたところは草も水もなくて、五年前の森もきっとこんな感じだったのだろうというのがわかる。

 このまま竜の姿のままでいることになってしまったら、ランスと町の人たちとの信頼関係を築いていく上で問題になる気がするし。


 別に竜にキスするだけだ。ランスにキスをするわけではない。

 そんな頓珍漢とんちんかんなことを考えた私は、溜息ためいきをついた。


「もう! わかったわよキスすればいいんでしょ?」


 私は彼の口先におそるおそる口づけを落とす。

 彼の背中に乗った時もそうだったけれど、ごつごつした皮膚は、見た目通りドラゴンそのものだ。


 けれど、目を閉じていると、だんだんと口先に触れるそれが柔らかく、熱を帯びたものになっていって。

 そして背中に手が回された感覚を覚えたところで、私は目を開けた。


「ランス! 人間に戻れたならもうキスする必要はないじゃない!」

「レスティは俺とキスするのが、嫌?」

「……それとこれとは別の問題よ! それにこの庭、どうするの? 貴方がやったことでしょう? 片付けてよ!」


 半分くらい理不尽だなぁ、と自分で言っていても思う。

 だって森を元通りに戻せたのなら、工場長がそのことを話してくれていたはずなのだ。


 それなのにそんなことを言っていなかったのだから、ランスには森を元に戻すことができなかったのだろう。

 けれどこうでもしていないと、彼から恥ずかしいことを言われそうで、落ち着かない。


 そのとき。ずっと倒れていた緑髪の青年、トリスがすぐ近くに落ちていた剣を手に、立ち上がろうとしている様子が目に入る。


「このクソ兄貴ぃぃぃ!」

「トリス、俺からしてみればクソなのはお前の方だ。……レスティ? 危ない、トリスに近づくな!」


 私は彼に近づいてその鎧に触れると、闇の魔法を唱えた。


崩壊ディストラ!」


 次の瞬間、私の言葉に応えるように鎧が、そして剣にヒビが入っていく。

 数秒後、彼の武具は跡形もなく割れて消えてしまった。


 その様子を眺めていると、気がつけば私の肩にはランスの左腕ががっちりと回されていた。

 右手に持っている剣先はトリスの首にまっすぐと向けられていて、ふとランスの顔を見ればその表情は冷たく弟の方を見つめていた。


「レスティに手を出したこと、後悔しても遅いぞ」

「俺の上司はリシャール殿下だ! できるもんならやってみろ!」


 喚いたトリスの周りに、緑色に光る風が起こったかと思えば、その風は彼を包んでどこかへと運んでいった。


「強がりを言って逃げたか……。レスティ、君を危険な目にわせてしまった。約束を守れなくて、ごめん」

「そんなことはいいから! ランス。後片づけ」

「ありがとう」


 倒れた狼に近づいた私は、ランスと一緒にいつもの要領で背中に刺さった矢を壊し、傷口を塞いでいく。

 すべての傷を塞げば、狼はまだ少し苦しそうではあるけれど、それでも先ほどよりは穏やかな様子で眠りはじめた。


「後は庭だけれど、本当にこれどうするの?」

「……五年前と同じだ。あの時も、森の草木を焼いてしまった」


 ぽつり、と呟いたランス。彼の中には後悔の念があるのかもしれない。

 ランスの炎を受けた庭は、すっかり草がなくなっていて、石と土と枯れ木だけが残っていた。

 池の水も空っぽだ。


「でももしかしたら、君ならできるかもしれない」

「どういうこと?」

「俺にはできなかった方法で昔、本で読んだんだけどね──」


 ランスが私に耳打ちで教えてくれた方法は、私の中では突拍子もないものだった。

 でも、私よりも外の世界に詳しい彼が言うのだから、きっと成功するのだろう。


「わかったわ。やってみる」

「俺の言うことを信じてくれて、ありがとう」


 私はランスの言う通りに庭の中の闇魔法で灰色に染まってしまった場所に足を踏み入れた。

 すると、靴を通り抜けたように足裏から温かな何かが流れ込んでくる。


「いけそう?」

「ええ!」


 私は目をつむり、足裏に感じる温かな「それ」を身体で吸い上げる様子を頭の中で思い描いた。

 すると、温かなそれは私の身体を満たしていく。そのまま続けていくと、今度はすねにくすぐったい何かが当たる感触を覚えた。


「──もう目を開けても大丈夫だよ」

「ん……え!?」


 ランスに言われた通り、目を開けて周囲を見渡せば、そこには花畑が広がっていた。足がくすぐったかったのは、きっと風に揺られる草のせいなのだろう。

 狼も気持ち良さそうに眠っていて、池の水も戻ってきていた。


 灰色になってしまった庭が一瞬で花畑に変わったという事実に、理解が追い付かない。


「君がやったんだ、レスティ」

「でもランスにはできなかったんでしょ? どうして私は──」


 ふと後ろの方を振り返れば、町の人たちは口々に「女神様~!」だとか「聖女様!」といったことを叫んでいた。

 先ほどまでと言っていることは同じだけれど、より一層大きな声でそんな呼ばれ方をしているのが恥ずかしい。


 ふとランスの方を見れば、彼は笑顔で──私を抱き上げた。


「ちょっと! 離して!」

「顔が真っ赤になってるし、頑張ったレスティは安静にしていないとね」


 なぜか先ほどよりも町の皆さんの声のボリュームが大きくなっている気がするけれど、きっとランスがいるからだ。うん。


 そんなふうに現実から目を背けた私がランスに運ばれていった先は、数日前から間借りしている豪華な部屋だった。


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