第18話 過去

「五年前、今の領主様のランス様は、この領地の領主様ではなかった」

「では、他の方が?」


 町中で闇魔法を使って工場の機械を直したお礼に、私たちは五年前にランスがこの町でやったことについて話を聞いていた。


「当時の領主は俺らのことを一切かえりみないクズみたいな奴でな。だが、我が身我が屋敷は可愛かったんだろうな。そんな領主だったが、奴の要請を受けてこの地にやって来たのがランス様だった」

「それで、どうなったんです?」

「魔物は焼き払ってくださったが、その影響か森はところどころ草も生えなくなった。だが、そんな裏で前の領主は妻と二人で逃げ出そうとしていたらしくてな。町中の広場で馬車が見つかって幽閉され、魔物たちがいなくなってから王都の牢に収監されることになったらしい。逃げだそうとしていたところは俺も見たんだが、あれほど悲惨ひさんな最後もないだろうな」


 たしかに、ランスが残酷ざんこくなことをしたと考えれば、いくら町を救ってくれたといっても住民の感情が複雑なものになってしまうのも仕方のないことなのだろう。


 そんなふうに昔話を聞いている間に、工場で働いているであろう人から袋を受け取ったおじさんは、それを私たちへと差し出した。

 ニール君が受け取ってくれる。


「こいつは礼だ」

「こんなにも──義姉上あねうえ、さすがですね!」


 そのとき。


「キャ────!」

「えっなになに? 何が起こったの?」


 突然聞こえた悲鳴。

 いつの間にか外は曇っているし、何だか気分までどんよりしてしまう。


「この声の方向は広場だろうな。しばらくは近づかない方がいいかもしれな──おい、女神様! どこに行くんだ!?」

「お嬢様、お待ちください!」


 嫌な予感がした。

 だからなのだろうか。私の身体は気がつけば自然と工場出て走り出していた。


 急いで悲鳴のした方に駆けつけてみると、そこはお屋敷の前の広場だった。

 それから、肩までの高さだけで私の身長の倍ぐらいはありそうな巨大な狼が一頭。


 背中には何本もの矢が刺さっていて、興奮しているみたい。

 その側には、緑色の髪をした騎士の青年がいて、周囲に集まる人だかりをにらみながら剣を構えていた。

 私と同じくらいの年齢で、髪色からしてきっと風魔法の使い手なのだろう。


「邪魔する奴は斬る!」


 でも、心なしか青年は騎士というよりも、戦いに飢えた獣のような表情をしているような気がした。

 今はまだ狼もお屋敷の方を見てうなっているだけだけれど、いつ入っていってもおかしくない。


 町の家にぶつかってしまってはいけないけれど、お屋敷の中でもたくさんの人たちが働いているのだ。

 このままでは大変なことになってしまうかもしれない。そう思うと、いても立ってもいられなくなってしまう。


「ニール君、ペトラ。私行ってくる」

義姉上あねうえ、待ってくださ──!」


 荷物を預けた私は、狼と騎士の青年との間に割って入った。

 私は騎士の青年を背に、狼とにらみ合う。


「ああん? 今いいとトコなんだよ! そこの女、今すぐそこを退かないと、お前ごと斬るぞ!」

「レスティ殿ではありませんか!」


 後ろから、聞き覚えのある声がする。

 振り向けば、そこにいたのは。


「え? ケンさんにペイズさん? どうしてここに」

「俺たちはこの町の平和を守る憲兵けんぺいだ。非番ひばんでもないのに、こんな危機に駆け付けないわけがあるか!」

「お貴族様か何だか知りませんが、この領地に危機をもたらすなら容赦ようしゃはしません!」


 二人とも、よくよく見ればものすごく身分の高そうな装いをしている騎士の人に一歩も引く様子はない。

 私も少しぐらい彼らの助けになることはできないかな。そう思えば、いつのまにか自然と口が動いていた。


「騎士様、やめてください」

「ん? 貴様、よく見たら黒髪か。もしや噂に聞く魔王の手先とは、貴様のことだったか」


 カチャリ、と緑髪の騎士が剣を構える。

 それからほとんど間をおかず、足に風魔法をまとわせて、飛ぶように地面を蹴って私のもとまで近づいてきた。


「民の平穏な生活を踏みにじるような奴は誰であろうと斬る!」


 彼は剣は私に目がけて、頭を真っ二つに割るように振り下ろす。

 ほんの一瞬でも反応が遅れていたら、私はもしかしたら──。


「死ねぇぇぇぇぇ!!!」

「──すり抜けウィアストラっ!」


 私は闇の魔法を発動した──つもりだった。

 けれどいつまで経っても、すり抜けた時特有の感覚がない。


 かわりに、私たちの視界を覆うのは紫の炎。続いて、ズシンと大きな衝撃が足裏から届く。

 炎が消えると、私の目の前にはよく知っている、一頭の黒い竜がいた。


「──ランス?」

「どうして兄さんはいつも俺の邪魔をするんだ! 消えろよ!」


 ランスが竜になれることを知っていて彼のことを「兄さん」と呼んだということは、もしかして緑髪の騎士はランスの弟なのだろうか。


 ということは、彼もシューバルト公爵家の……? 私がそんなことを考えているうちに、ランスはいつも通りの人間の姿に戻った。

 その手には、緑髪の青年と同様に、剣を手にしていた。


「トリス。俺のレスティに手を上げたこと、死んで後悔するといい」

「やめて、ランス!」


 身をていしてでも止めないと。

 気がついた時には、私は背中側からランスに抱きつくような格好になってしまっていた。


「レスティ? ものすごく嬉しいのだけれど……ここにいては君が」

「やめてランス。お願い」


 けれど彼が止まってくれるなら、今の私にとってそんなことは些細ささいなことだった。

 ランスが人殺しになってしまうぐらいなら、笑顔で私のことを「俺のお嫁さん」と言ってくれていた彼の方が、ずっといい。


 ──けれど。

 返ってきた答えは「どうして?」という疑問だった。


 こちらを振り向いてくれたランスに、私は感情のままに叫んでしまう。


「どうしてって、私が貴方に聞きたいぐらいよ! いっつも自分から壁を作って! 自分の力がみんなに恐れられるのが怖いからって、いっつも悪役を演じて!」

「どうして君は──」

「やっぱり、ランスはその子を手にかけたくないのね。弟だもんね」


 よかった。

 ランスが町の人たちに今よりも嫌われたら、いやだから。けれど、そう思っていたのは私の願望でしかなかったみたいだった。


「レスティ。俺のことを信じてくれるのはものすごく嬉しいけれど。ごめん、君に剣を向けるような騎士まがいの奴のことなんて、たとえ血の繋がりがあったとしても許せそうにないんだ。幻滅げんめつした?」

「ランス……」


 そのとき。

 それまで緑髪の静かにしていた狼が突然遠吠えを上げたかと思えば、灰色の空に雷がとどろく。

 本格的に雨が降り出すと、町の人たちはほとんどが方々に散っていった。


「そうだデカ狼! 魔王の手先の兄さんたちなんて食い殺してしまえ! お前を苦しめているその背中の矢は、闇魔法の力が宿っているんだ。あいつらは闇魔法の使い手、にくいだろう?」


 来る。私がそう身構えた次の瞬間。

 その巨体はものすごい勢いで私たちの方へと走ってきた。それからほとんど間を置かず、ランスの身体は紫色に輝いて、私に手を伸ばしていたのだけれど。


「レスティ、手を──」

すり抜けウィアストラ!」


 ほとんど同時に魔法を使ったせいか、彼の手は私をすり抜けていて。

 再び竜の姿に戻ったランスは、空高くへと飛んでいってしまったのだった。


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