第5話 はじめてのことばかり(1)
王城の塔からランスに救ってもらったその日の夜。
私は彼に連れられてやって来たお屋敷で、温かな食事をいただいていた。家や塔の外でこんな食事をいただいたことなんて、今まで経験したこともなかった。
だからなのだろう。私の知らない料理もいくつか並んでいるみたいだった。
「これは何?」
「この地方に伝わる伝統のスープだ。飲むと身体が温まるぞ」
まるで絵本に出てきたお城のようなホールで食事をいただけるなんて、やっぱりここは天国なのではないだろうか。
……と考えかけて、ぶんぶんと首を横に振る。もし本当にここが天国だったなら、きっとランスのように私に嫌がらせばかりするような人はいないはずだ。
「うーんおいしい!」
「ですよね! 僕もこのスープが大好きで……。
「やはりニールとはあまり会わせないのが得策か」
「
本当に逃げようとしていた……というのはニール君には言わないようにしておこうと思う。それにしても。
「温かい料理を食べるのって、本当に久しぶりだわ。昨日までは乾いた硬いパンばかりだったのだもの」
何気なく口にしたその一言。
けれどそれは、ランスには許せないものだったらしい。
「あんな狭い部屋に無実の君を何年も閉じこめて、あまつさえ食事も
スープの中の豆をフォークで串刺しにして口に運ぶランス。
ちょっと怖いですよ、ランスさん。
私はそんなしょうもないことを考えながら席を立つ。
夕ご飯はおいしかったけれど、ここに長居するのはさすがに迷惑な気がするのだ。
「……ごちそうさま」
「レスティ?」
「ごちそうさまでした。それでは私はこれで」
「こんな時間からどこに行くつもりなの?」
「へ? フランソワ伯爵邸?」
私は首を
彼が「シューバルト公爵」でここで「旦那様」と呼ばれる立場の人間なのだとしたら、ここは間違いなくフランソワ伯爵邸ではないわけで。
「レスティは伯爵家に帰りたいの?」
「それはもう。ミスティは私のことを
「……そうか。君は愛されて育ったんだね。よかった」
そう告げるランスの表情はどこか寂しげだ。
共に食卓を囲んでいるニール君に「
だからもしかしたら、彼らの家庭は何らかの──世界のことを知らなさすぎる私には、想像もつかないような問題を抱えているのかもしれない。
「助けて」。そんな声すら聞こえてきそうな気がする。
私のことを「お嫁さん」だなんて呼ぶ変な人だけれど、助けてあげたい。
「わかった」
「レスティ?」
「私がランスの力になるわ。だからそのために、この屋敷の外に出たいの」
「交換条件ってことか……わかった。でもひとつ条件がある」
ランスは椅子から立ち上がると、私の目の前まで歩いてくる。
彼は私の両肩に手を置くと、耳打ちでその「条件」を伝えてきた。
「闇魔法を使いこなせるようになったら、ね」
☆☆☆
「今日からここが君の部屋だよ」
使用人が扉を開く。
夕食を終えた私がランスの案内で連れてこられたのは、屋敷の片側の端にある大部屋だった。
この屋敷はコの字型になっているようで、真ん中の南側に玄関がある。そして二階に上がって東側に進んだ先にあるのが、私に用意された部屋らしい。
中は明かりがついていて、もう日も沈んでしまったというのにまだ明るい。
けれど装飾は控えめで、落ち着いた雰囲気でまとまっている。
それでも決して
「ランス、さすがにこれはちょっと広すぎない?」
「奥には衣装部屋が備え付けられているし、わりと普通だけれど?」
そういうものなのだろうか。
ランスの言うことなのでちょっと信用できない。
「こんな豪華な部屋に住まわせてもらうわけにはいかないと思うの」
「何か不満があった? 君の好みがわからなかったからシンプルで使いやすいものを選んだつもりなのだけれど……欲しいものがあるなら、何でも買ってあげるよ」
はい出た。ランスみたいなお金持ちの人はすぐに何でもお金で解決しようとする。昔読んだ絵本でも、大体そう。
ちょっと悪い癖だと思うので、直してほしい。
「結構です」
「なぜ? 君は今日からここで暮らすのだから、せめて快適に過ごして欲しいんだ。ドレスも奥の部屋にあるから、好きなものを選んでほしい。後でメイドを呼んでおくから、着替えてくれると嬉しいよ」
「それじゃあ」。そう言い残して私のもとを去っていくランスと使用人。
私が早速、靴を脱ごうとしたら「あ、そうそう」と何かを思い出したようなランスの声が聞こえてきた。
「魔法が上達するまでは、決してこの屋敷からは出ては駄目だからね? 俺との約束、守ってね」
「はいはいわかりましたおやすみなさい」
その言葉を最後に、ランスは使用人を連れて部屋を出ていった。
扉が閉まる音がすると、だらしないとわかっていながらも靴を脱いでソファに寝転がってしまう。
「あーしあわせだな~……。こんな暮らしをしていたら、フランソワ伯爵家に帰れなくなってしまいそうだわ……」
今日ははじめてのことがいっぱいで疲れてしまった。
このまま眠ってしまいそうだなぁ。そんなふうに久しぶりの柔らかな触感を楽しんでいると、すぐにコンコンコンと部屋がノックされた。
もう少しぐらい楽しんでいたかったけれど、さすがにこんなだらしない姿勢で出迎えるのはマナーが悪いので、きちんと座って靴を履き直した。
「どうぞ。入って」
「失礼いたします」
入室してきたのは、軽くウェーブした栗色の髪を首の下あたりで切り揃えた若い女性だ。
私と同年代か、少し年上ぐらいだろうか。
「お初にお目にかかります、奥様」
「おく、さま……?」
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