第4話 義兄弟(きょうだい)
馬車が町についたのは、私がランスと会ったその日の夕方のことだった。
窓から見える町の人たちの表情は、私がミスティに連れられてはじめて町に出た時に見た人々とは違ってとても穏やかだ。
「いい町だろう?」
「ええ! こんなにも素敵な場所があるなんて。ここに暮らす人たちはきっと幸せなのね」
「どうだかな」
ランスが肩を竦める。
住んでいる人たちが幸せではないのにいい町なんて、あるのだろうか。やっぱりランスの考えていることは理解できない。
家々の間に流れる川の上を通る橋を過ぎれば、視界が徐々に開けてくる。
目の前に見えてきた門をくぐれば、そこには広大な庭が広がっていた。フランソワ伯爵邸の何倍もありそうだ。
「もうすぐ降りるよ」
「ランスはここに住んでいるの?」
「俺はシューバルト公爵だけれど──」
「聞いてないわ!?」
「公爵」という言葉に私は自身の耳を疑った。
公爵と言えば、この国では王家や王族の次に地位のある人物ということになる。まさか「
「あらごめんなさいね私ったらおほほほ……」
「何そのわざとらしい笑い声。君は俺のお嫁さんなのに、今更俺の前で猫を被るつもり?」
「猫をかぶっ──! げほっごほっ」
「レスティ!?」
またランスが変なことを言いだしたせいでむせてしまった。
そんな私のことを気にかけてくれたのか、背中をさすってくれる。
さすがの彼も責任を感じているのかどうなのか、私のことを心配してくれているのだろう。
それはそれとして、優しい人ではあるのだと思うけれど、本当に「お嫁さん」だけはやめてほしい。
私は今日一日だけで、一体何回「お嫁さん」という言葉を聞いたのだろう。
「これで大丈夫だよ」
「は? え……苦しくない。貴方は光魔法も使えるの?」
「そんな訳ないでしょ。闇魔法は魔法の中では嫌われ者だけれど、役に立つこともあるんだ。例えばこうして、君を助けたりね」
得意げにウィンクするランス。私が先ほどまで感じていた苦しみは、どこかに消えていた。
それから、いつの間にか馬車も止まっていて、扉も開いていた。
「お手をどうぞ、レスティ」
「っ──」
今度は乗った時と違って、先にランスが降りて私の方に手を差し伸べていた。
先ほどと違って、今度は逃げ場がない。
彼の手のひらの上で踊らされているような気がして悔しい。
けれど、そんな気分にさせられてしまうのはなぜだろう。
私がランスの手を取って馬車を降りると、屋敷の前にはたくさんの使用人や騎士の方々が並んで立っていた。
その中でも一番お年を召していそうな老執事が一歩前に進み出る。
「お帰りなさいませ、旦那様。そちらが──」
「ああ。この子が俺のお嫁さんのレスティだよ」
「ストーーーップ! ランス、ちょっと待ちなさい!」
「そんなに怖い顔をしてどうしたの?」
自分では自覚していないみたいだけれど、こんなにも身勝手な嘘を言われたら怒ってしまうのも仕方のないことだと思う。
「私たち、まだ結婚していないでしょう?」
「うん。まだだけれど、将来結婚するなら俺のお嫁さんでしょ?」
「まって。絶対わかってないでしょ!」
私はランスの両脇を掴んで前後に揺らそうとしたけれど、びくともしない。
狭い部屋で運動もしないという不健康極まりない生活を送っていた私に、よく鍛えられたランスをどうこうするなど、できるはずがなかった。
ちょうどそのとき。
誰かが私たちの間めがけてまっすぐ突撃してきた。
「
「あにうえ……?」
私が気づいた時には、いつの間にか私の隣に、私とほとんど背丈の変わらない少年が入り込んでいた。
髪も瞳の色も炎のように真っ赤で、炎魔法の使い手なのだと一目見てわかる。
「ニール、留守の間も行儀よくしていたか?」
「はい
まってほしい。ランスの
ランスにも半分くらいその可愛さを分けてあげてほしいと思ってしまうぐらいだけれど、こればかりはやっぱり年齢の問題なのだろうか。
「俺のおよ──」
「レスティよ! よろしくねニール君」
ランスが不穏なことを口にしたので、私は
けれどそれで正解だったみたい。
「
「ある意味誘拐だな。俺のお嫁さんだから、ニールは
「まってランス。さっきからずっと思っていたけれど、私たちどうして結婚したことになっているの?」
悪ふざけはよしてほしいと伝えても無駄な気がしてきた。
この人は根は優しいのかもしれないけれど、どうやら私をいじりがいのある相手だと認識して楽しんでいるのだろう。
やっぱり、タイミングを見計らってこの屋敷から逃げだした方が幸せになれるのかも。
そう思ってどう逃げ出そうか──と計画を立て始めた私だけれど、その計画はあっさりと崩れ去った。
「家族が増えて、僕とっても嬉しいですっ! これからよろしくお願いします、
「! ええ、もちろんよ!」
かわいい。ニール君が癒し。
ランスとは大違いだ。やっぱり彼にはニール君を見習ってほしい。
再びランスの方に視線を戻すと、彼はこの世の終わりみたいな表情を浮かべていた。
「……レスティ、君はそんなにニールのことが好きなのか」
「ええ。とってもかわいいのに、嫌いになれるはずがないでしょ?」
「さすがの俺もへこむのだが。やはり君はこの屋敷に閉じ込めておくべきなのかもな」
「そういうところ! まず出会ったばかりの相手に結婚もしていないのに『お嫁さん』と呼ぶのやめてくれない? それから、さっきも言ったのだけれど。私は外に出たいの。わかる?」
私が語気を強くして言えば、ランスはすっかり小さくなってしまった。
……さすがにちょっと言いすぎたかもしれない。
「……でも私を助けにきてくれたのは本当に嬉しかったわ。一生あそこに閉じ込められたまま死んでしまうなんて、今考えたら恐ろしすぎるもの」
「──俺も俺の欲望があって君を助けただけだ。感謝される筋合いなんてない」
ふいと目を逸らされてしまう。
するとなぜか、ニール君が突然お腹をかかえて笑い出した。
「ブッ! こんな
「ニール、年上を
「でも、必死な
「お前は俺のことを好きなのかもしれないが、俺のお嫁さんはレスティただ一人だけだ」
今度は熱のこもった
つられて私まで恥ずかしくなってしまう。
「あーあ
「お嫁さん呼びはやめて。いい?」
今度はランスに目を逸らされてしまう。
しかも今度は「面倒くさいなぁ」という感情が伝わってくるのだから、私もさすがにちょっと怒りたくなるもので。
「ラン──」
「旦那様、ニール様、そしてレスティ様。そろそろ屋敷に入らないと日が暮れてしまいますぞ。元気は取り
老執事の言葉に、もうすぐ日が沈む時間になってしまっていたことにようやく思い至る。
ランスも時間が経つのが速く感じたのか、びっくりしているようだ。彼が驚いた表情を見られただけだったけれど、私の
「そうだった。今日は君に食べさせたい夕食を準備してもらっていてね」
「僕はてっきりこんな綺麗な
「ニールも言うようになったな」
「ちょっとランス! 続きは夕ご飯を食べた後にしましょ。ね?」
「
再びランスに差し出された手を拒否した私は、エスコートを受けずに屋敷の中にお邪魔した。
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