第3話 泉のほとりで

「君が無事でよかった」

「──! 下ろして!」


 私は彼の顔を引き離そうと頬を強く押す。けれど、ランスは私を解放してくれない。

 やっぱりこの人と一緒にいるとろくな目に遭わない気がする。


「君をこのまま離したら逃げていってしまいそうだからね。一人で森に入ると最悪死ぬよ」

「えっそうなの!?」

「君は何も知らないのに、外の世界に出たいと思っていたの?」


 私は家にいた頃、ミスティと違ってほとんど勉強をさせてもらえなかった。

 ほとんど一日中刺繡ししゅうをしてばかりの毎日。ミスティはきちんと先生がついていたのに、いつも勉強をさぼってばかりで、私がかわってあげたいと思ったぐらいだ。


「で、でも私が一人で森に入る前に貴方は竜の姿のまま森に入っていこうとしたじゃない」

「きちんとここに着陸するつもりで下りたよ」

「じゃあなんで教えてくれなかったのよ。最悪私が吹き飛ばされて死んでいたかもしれないじゃない!」

「君が『もう黙って』と言ったから黙っていただけだよ。それに、闇魔法があれば大丈夫」


 それを言われると強く出られない。

 闇魔法があったら急降下しても大丈夫だと言うなら理由も説明してほしいけれど、彼は教えてくれそうにない。


 ひとまず「逃げない」と約束して下ろしてもらうと、私はようやく落ち着いて周囲の様子を見られるようになった。

 何台かの馬車が停まっているので、もしかしたらここからはこれに乗り換えて行くのだろうか。


「お手をどうぞ、レスティ」


 それでもランスは私のことを疑っているのか、手を繋ごうと提案してくる。

 もう逃げる気もないのに、この人は私のことを何だと思っているのだろうか。


「それで、私はどの馬車に乗ればいいの?」

「あの馬車だよ」

「そう。それじゃあお先に」


 私はそう言って周囲の景色を楽しみながら意気揚々いきようようと歩き出すと、後ろからランスの手が伸びてくる。

 この人、今日が初対面なのに距離が少々近すぎると思う。


「一人で乗れるわ」

「待って。君が首につけているそれ、魔封石のチョーカーだよね」

「そ、そうだけどどうかしたの?」


 ミスティにだまされてお屋敷よりも狭い部屋に閉じ込められることになったあの日、私は「闇魔法を使えないように」という理由で白い宝石のついたチョーカーをつけられた。


 たぶん白だった……はず。それ以来外したことはなかったし、何より部屋には鏡がなかった。

 というわけで、母には双子の妹のミスティとそっくりだと言われて育った私だけれど、今でも同じ顔つきなのかとかはわからない。それはさておき。


「取ってあげるから、池の景色でも楽しんでいて」

「私が遠くの山を見て綺麗だって言ったからって何でもいいと思ってるでしょ」

「その通りだよね? それとも、レスティは今からまたあの塔の上に戻りたいの?」

「ないない! それは絶対にない!」

「それなら、このチョーカーは見た目は綺麗にしてあるけれど、罪人の証だから取っておくね」


 私の後ろ側に移動するランスに私が少しだけ顔で振り返ろうとすると、彼の手はまっすぐに私のうなじ──のチョーカーのリボンに伸びてきた。

 ジュウ……と聞いたことがないような音がすると、リボンの一部が黒く焼け焦げたチョーカーがぽとり、と地面に落ちる。


「これは俺が貰うよ」

「どうぞ。……気にかけてくれてありがとうございます」

「気にしないで」


 私は感謝の言葉を伝えたのに、ランスは。

 彼の注意が逸れたことを確認すると、私は今度こそ一人で馬車に向かう。けれど、ランスの護衛と思わしき騎士が、馬車の入口に立ちふさがった。


 心なしか、怯えているように見えるけれど──私、やっぱり怖がられてる?


「だ、旦那様の背中に乗っていたがお前はな、何者だ?」

「私? レスティよ」


 できるだけ怖がらせないように、笑顔で。

 そう思ったのだけれど、騎士の人を余計に怖がらせてしまったみたいだった。


 そのとき。後ろの方から誰かが近づいてくる。誰だろう、と私が振り返る間もなくその主は私の肩に手を置いた。


「彼女は俺のお嫁さんだよ。俺と違って優しいから、そんなに怖がらないで」


 すぐそこから聞こえてきたランスの声に、警戒してしまうのはもう仕方のないことだと思うのだ。

 彼に何かしてあげた覚えはないのに、彼の中での私の評価が高すぎるのはどういうことなのだろう。


「私、貴方と結婚なんてしていないわ!」

「俺の花嫁は君しかいない」


 話が通じない。

 リシャール王子やミスティからは明らかに敵意のようなものを感じたけれど、彼から感じるのはそういった感情ではない。


 ──間違いなく、私のことを好ましくは思ってくれているのだろう。

 それだけに、話が通じないのがある意味怖い。


「そろそろ行こうか。レスティ──」

「わかったわ乗ればいいのでしょう」

「うん、俺を信じて。──何があっても君を守るから」


 私は彼の手を取らず、馬車に乗り込む。

 「俺を信じて」という胡散臭うさんくさい言葉の後に何かを小さく呟いていたみたいだったけれど。


 彼は一体何を企んでいるのだろう。

 けれどそんなことを気にしていたのはほんの少しの間で。馬車の中で私は隣にいる彼のことを無視して、変わりゆく窓の外の綺麗な景色を満喫するのだった。


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