第2話 どこまでも続く世界

 私を数年にわたり閉じ込めていた檻は、一頭の巨大な黒い竜によって跡形もなく壊れてしまった。


 その竜は私たちのいる塔の上まで急降下してきたはずだったのに、命の危険を感じた私が再び目を開いた時に立っていたのは竜ではなく、私よりいくらか背の高い青年。

 顔は芸術品のようで、まるで夢でも見ているかのようだった。


「もしかして夢、かしら」

「え?」


 本当に夢か気になった私は、自分のほおをつねってみた。

 でも痛かったので、本当にこれは現実なのかもしれない。


 そんなふうに呑気のんきなことを考えていた私を本当の意味で現実に引き戻したのは、リシャール王子の怒りを含んだ声だった。


「ランス・シューバルト。貴様は黒魔女を閉じ込めていたこの檻を壊したんだ。どうなるか分かっているんだろうな?」

「俺が彼女を閉じ込めるから問題ないとお伝えしたはずですが?」

「愚か者が! やはり貴様は弁償が必要だということが分かっていないようだな!」


 再び、指先で円を描いて無数の光の矢を発生させるリシャール王子。

 ここは塔の上だ。壁がなくなったので先ほどとは違い飛び降りることはできるかもしれないけれど、そんなことをしたら間違いなく死んでしまうと思う。


 どうすればいいのか分からず立ち尽くしていた私に、ランスと呼ばれた黒髪の男は私の肩を寄せ、何かを耳打ちしてきた。


「俺がさん、に、いちと言ったら後ろの方に走って」

「何だ? 貴様、闇魔法を使うように犯罪教唆きょうさでもしているのか? 残念ながらその魔女がつけているチョーカーは闇魔法を使えなくする力を持っているのだぞ! 今離れるならランス、貴様の命だけは助けてやろう」

「さん……に……」


 ランスはリシャール王子の話を全く気にしていないようだった。

 むしろ余裕綽々しゃくしゃくといった様子のリシャール王子の言葉を好機ととらえたのか、楽しそうにカウントダウンを初めている。


 彼には、きっとこの状況から助かる方法がわかっているのだ。

 私は彼の言う通りに動くことを決めた。


「どうやら最後通牒つうちょうを理解していないようだ。せいぜいあの世で誰にたてついたのか自覚のなかった自分たちに憤るがいい! 光矢雨シャイニング・アロー!」

「いち……走って!」


 ランスの言葉に、後ろを向いて走る。

 けれど、すぐにここが塔の上だと思い出す。え、これ私このまま死んでしまうのでは? そう思って立ち止まった私の手を掴んだのは、ランスの大きな手だった。


「大丈夫。だから飛び降りて」

「へ?」


 けれど、彼は私の手をつかんだかと思うと、そのまま私と一緒に空に足を踏み出した。

 もちろん、私は次の瞬間には彼とともに自由落下していたわけで。


「え、キャ────!」


 ふわりとした柔らかい感覚なのに、命の危険を覚える。

 もちろん、上の方からは光の矢が雨のように降って来ていて、上も下も助かる気がしない。


 けれどそう思ったのもつかの間、突然目の前が紫色に光ったかと思えば、今度は身体全体に下の方へと引っ張る強い力を感じた。


「貴様ら! 待て~!」

「あ~! ランスさま~! 待ってください~!」


 やっとの思いで自身の置かれた状況を確認すれば、リシャール王子とミスティの声がはるか下の方から聞こえてきているようだった。

 そして私はいつの間にか、黒い竜の背中の上にいつくばるように乗っていた。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! 何これ!?」

『落ちることはないよ。安心して』


 どこからともなく頭の中に響いてくる男性の声。

 もう一度周囲を見回してみても、周りに人は見当たらない。


『君が塔の上に閉じ込められていたのは心苦しかったけれど……。無事でよかった』

「えっもしかして今私の頭の中に話しかけているのはランス、あなたなの?」

『うん。俺の名前をもう覚えてくれたなんて、さすが俺のお嫁さん』

「お嫁さんって何よ! 私は貴方と結婚した覚えなんてないわ!」

『俺は本当に果報かほう者だ。君は俺のお嫁さんなのだからお屋敷から出る必要はないんだ。一生外出しなくても君が笑顔で生きていけるように俺が支えるから』


 ランスは先ほどからずっと私のことを「俺のお嫁さん」とか言っている気がする。

 百歩譲ってそれはあまりよくないけれどいいとして──。けれど、私個人としては外の世界をもっと見てみたいわけで。


『俺は君のことが好きだよ、レスティ。君は?』

「…………」

『聞いてる?』


 私がランスのことを無視して前の方に視線を移してみると、遠くの方に広がっていたのはごつごつとした、けれど上の方は白く雪化粧をしたとっても大きな山脈だった。


「──すごい! 綺麗──!」


 空の上から見た世界は、私が知っているよりもずっと大きくて、輝いていた。

 ずっと憧れていた。広い世界を見たかった。そんな夢がこんなタイミングで叶うなんて。


 もしかして本当はあの光を見た時に死んでしまって、今私は天国にいるのかな?

 でもあんな人生を送るぐらいだったら、これでよかったのかもしれない。


『随分と楽しそうだね』

「ずっと夢見ていた願いが叶ったのだもの!」

『君の願い?』

「今までこうして外の世界を見たことがほとんどなくて」

『そうか。でも、外の世界は君一人では生きていけるような場所ではないんだ。だから、君がずっとお屋敷の中でのびのびと暮らしてくれたら俺は嬉しいよ』


 どうしてランスはさっきからいちいち人の神経を逆撫さかなでするようなことばかり言ってくるのだろう。

 傷ついてほしくないという気持ちは嬉しいけれど、「だから外に行かないで」と言われたら私も簡単に「はいそうですか」と頷けるものではない。


「さっきから私のことをからかっているの?」

『えっ君可愛すぎない? どうしてこんなに可愛いレスティをあんなところに閉じ込めておいたんだ。あいつら可哀そうがすぎないか?』


 私を閉じ込めていた人たちのことを「可哀そう」だなんて、ものすごくわけのわからないことを言っている。

 もしかして自分も今から私のことを閉じ込めたいと言っているのに気がついていないのかな?


 ランスの言っている言葉の意味が、私には理解できない。ちょっとだけランスが「可哀そう」だなと思ってしまったのは秘密だ。


「もう黙って。その頭に響く声やめて」

『そんなに俺と話すのが嫌?』

「わかった?」


 そこから、頭の中に声が聞こえなくなった。

 ほっとした私は、遠くの景色を楽しんでいた──のだけれど。それからしばらくすると、ランスがいきなり急降下を始めた。


「!? もう! 今度は何!?」


 猛スピードで降りていく彼はどうやら、森の中にある小さな池を目指しているようだった。

 あれ? もしかして私のことが嫌になって溺れさせようとしているとか……? もしかして私、また死ぬの!?


 けれどそんな私の予想に反して、ランスは池の水面すれすれを飛んでいく。目の前にあるのはもちろん、うっそうとしげる森の木々だ。


「きゃぁぁぁぁ──! 死んじゃう! 私死んじゃう!」


 池の端を過ぎて森にぶつかる──と思って目を閉じた瞬間。木々が私にぶつかることはなくて。


 目を開けば、私はランスにお姫様だっこされていた。


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