君が月なら俺は太陽

こおの

彼女はまるで月のような人だ

 俺はなんとなく後悔していた。こんなときくらい、無難でビジネスライクな無地のクリアファイルにすれば良かったんだ。なんでエロゲの特典についてきたアニメ絵のファイルなんかチョイスしたんだよ俺は。

 10人の個性派美少女キャラ達が、可愛い笑顔を浮かべているが、空気を読めといいたい。いや、空気を読んでないのは俺か。

「資料、作ってくれた?」

「……ああ、作ったよ。徹夜で」

 ご苦労さま、と彼女は落ち着きを払った様子で俺が手に持っていたそれをチラと見た。絵……は恐らく見えていたはずだ。美少女達が薄ら笑いを浮かべている絵を見て、彼女は何か思ったのか、または何も思ってないのか、それは分からなかった。

 彼女の前に、座る。この四角い白い折りたたみテーブルは、彼女のものだ。もっといえば、俺が今尻に敷いてるクッションだって彼女のものだし、テーブルの上に置いてあるグラスと麦茶と溶けかけの氷だって彼女のものだ。当然か、ここは彼女の家なんだから。

 彼女の家にこうして上がるのは今日が初めてだ。本音を言うと、俺は今これから始まる緊張の時間よりも先に、彼女の家を物色したいと心の底から思っていた。

 玄関に足を入れた瞬間から何かが香っていて、オシャレなドライフラワーが壁に飾ってあった。靴は散らばっておらず、整頓されている。なんて綺麗な家なんだろう。

 それに廊下の簡易キッチンは、ピカピカでゴミひとつ無さそう。リビングは明るくて、白を基調とした家具で統一されているが、こちらも整然としていた。

 さすがだなぁ、と思う。真面目過ぎるほど真面目な彼女のことだから、毎日のように掃除しているのかもしれない。フローリングは光っているし、パッと見ホコリさえ落ちてない。

 俺のあのぐちゃぐちゃな家とは違う。

「まだなの?」

 彼女は、俺がなかなか喋りださないのでイラッときたのだろう、細いフレームに縁取られている目を少し釣り上げていた。でもそれでも声に出すことなく、静かな調子でいうのだから、俺はごくりを唾を飲む。

「あ、うんごめん」

 俺はそのエロゲのファイルから、A4用紙をとりだす。徹夜して書いた1枚の紙を机の前におずおずと置いた。

「これが……この3か月で感じた、ツキコさんの……好きなとこだよ」

 彼女━━ツキコさんは、その紙をじっと見ている。俺は恥ずかしさで死にそうになってきた。なんで手書きで書いたんだ、字が汚すぎるじゃないか。それに書いてるときは気付かなかったけど、全体的に文章が右斜めに上がっている。せめてワードで作れば良かった……もう遅いけど。いやその前にエロゲのファイルがもうダメだろう。

 ツキコさんはずっと口を開かない。俺は不安で仕方がなくなる。A4の紙の端が若干折れているのも気になりだしたし、何度も消しゴムで消した跡も妙に目立って見えた。

 何か。何か喋ってくれ。

 俺は念じた。でもツキコさんには届かなかった。

「あ、のさ。ツキコさんは……真面目だよね。ほら、出会ったときもそうだったんだけど……」

 ツキコさんと運命的な出会いをした5ヶ月前の、5月1日。その日はなんでもない日だったけど、俺にとっては転機の日となった。

 駅で切符を買ったんだけど、俺は慌てていたから釣り銭を取り忘れたまま、急いで改札をくぐった。取り忘れると機械がしばらく音を鳴らすらしいんだけど、俺はヘッドフォンでメタルを聞いていたから全然気付かなかったんだ。

 電車に飛び乗って、なんとか学校に間に合うなぁとほっと一息ついた。そしたら目の前で俺と同じように飛び乗ってきた女性が、肩で息をしながら、俺に向かって必死な顔で話しかけてきた。

 慌ててヘッドフォンを外すと「釣り銭! 忘れ、……てるって、はぁ、はぁ、言って……るじゃないの!」と淡々とした口調で、怒っていた。

 俺は面食らってしまった。その女性が、渡してきた120円を、こわごわと受け取った。

「あ、有難うございます……」

 俺なんかより、その女性の方がまだ息が乱れてた。細い肩が、ぜいぜいと上下に動いている。きっと叫びながら、全速力で追いかけてくれたのかもしれない。

「あの……すみませんでした……」

 俺とは違って学生服は着てないし、見るからに俺よりも年上な感じだった。メガネをかけていて、薄いグレーのカーディガンと、白い細身のズボンを穿いていた。派手ではないし、どちからというと地味で落ち着いた印象だった。背は俺よりも少し……高い。その人は次の駅で降りてしまった。そして、反対側の電車に飛び乗っていた。もしかして……。

 俺は青ざめた。

 俺を追いかけるためだけに電車に乗ったのかもしれない、と━━。

 

 そのあと、その駅で何度かその人を見かけたんだ。そして気になって話しかけた。彼女は、最初は怪訝そうにしてたけど、毎日顔を合わせるうちに色々話してくれるようになった。

 歳は22で、この近くで1人で住んでいて、就職の為地方からでてきたばかりだから友達がいないと。たまに読書するぐらいで、あまり趣味はないこと。強いていえば自炊するのが楽しいことくらい。インドア派で休日は引きこもってること。

 色々聞いてるうちに、俺は彼女のことが好きになっていた。俺の視線に困ったように伏せ目がちにしながらも、淡々と質問に答えてくれる彼女に。照れたときは、長い髪を触る癖があって、昔話を語るときだけは、そのきりっとした目を少し柔らかくさせる、そんな彼女のことが好きになっていたんだ。

 だから、付き合ってください、と言ったんだけど……。

「私なんかのどこが好きなんですか? 付き合っても面白いことなんてないですよ」

 とばっさり、フラレそうになった。俺はそれで引くつもりは無かった。むしろ、そういう風に言われるような気もしていたから、フラレることは想定内だった。

 だから俺は、提案したんだ。

「3ヶ月だけ、お試しで付き合ってほしいんだ。で、3か月後付き合ってどうだったか、ってお互い話し合ってそれから決めませんか!?」

 ツキコさんは……長い長い間のあと、静かに頷いたんだ。

 

 そしてその3ヶ月が経って今日この日、俺は初めてツキコさんの家にお呼ばれした。

 昨日徹夜で書いたA4用紙は、いわばラブレターなんだ。ツキコさんと出会って、いかに俺がツキコさんといる日々が楽しかったかを汚い文字で綴ってある。

 ホントは、もっと便箋とか使うべきだったよな……。かっこいい大人っぽいやつ。なんでA4用紙なんだよ。こういうところが子供っぽいって言われるんだろうな。ホント俺ってキマらねぇの。後の祭りだけどさ。

 

 ツキコさんは俺の字を見ながら、何を思ってるんだろう。まるで美術館で絵と向き合ってるみたいに、静かだ。

 俺はその横顔に、胸が騒いでる。いい匂いのする、このツキコさんの部屋の真ん中で。

「……桐尾くん」

 ツキコさんは、唐突に声を出した。

「桐尾くんは私のこと、誤解してるわ。私、こんな真面目じゃないし、いい人間じゃないもの」

「そんなことないよ、ツキコさんは━━━━」

 ツキコさんはスッと立ち上がり、リビングの端っこのクローゼットに手をかけた。何するんだろう。一瞬俺の方をチラ見してから、クローゼットの戸を押した。開いたと同時に、バラバラとまるで濁流のように何かが落ちてきた。

「おわっっ!?」

「……私ってこういうとこあるの」

 落ちたものは布団とか、服の固まりとか、雑貨とか、とにかくいろいろだった。「昨日桐尾くんを呼ぶからって頑張ってそこに押し込んだの」とツキコさんは、髪を触っていた。

「ね。私、真面目なんかじゃないよ。本当は家の片付けなんて嫌いで、人の呼べないレベルにぐちゃぐちゃだし。それにおっちょこちょいだ。あの日だって……」

「……?」

 ほら、とツキコさんは遠い目をしながら口を開いた。

「あの日……桐尾くんに120円を渡したあと、反対方向の電車に飛び乗ったでしょう? ……傘を忘れたからなの」

「…………えっ?」

「桐尾くんを追いかけるのに必死で、自分の傘を切符売り場に置いてきちゃって……」

「…………」

「ほらね。私真面目そうだって言われるけど全然違うの。そんなんじゃないの」

 ツキコさんは、俯いた。長い髪が、肩からスルリと落ちる。

「そういうイメージを持たれるから、そうでなきゃって頑張ってるだけだよ。実際はこんなんなんだから」

「……どうして、今それを俺に教えてくれたの?」

 ツキコさんは、俺の書いたラブレターをスッと指差した。だって私真面目じゃないもの、と小さい声で言った。

 俺は、確かに真面目なツキコさんが好きだと書いた。

 いつもキリリとしてて、背筋も伸びていて、喋るときも静かで、落ち着いている。俺がポツリと漏らした愚痴にも、真剣に聞いてくれて、アドバイスもしてくれる。年上だからって威張ったりもしない。そんなツキコさんが好きだと書いたんだ。

「その考え方がもう真面目なんだと思うけど」

「……だとしたら、桐尾くんの方が真面目だと思うよ」

 そこに俺の名前がでてくると思わなくて、びっくりした。そんな訳ないよ、と首を横にブンブンと振ったら、ツキコさんはそっと何かを差し出してきた。

 封筒だった。白い、封筒。

 読んで、とツキコさんが静かに言う。

 中には便箋が3枚入っていた。俺が好きだと話したからなんだろうか、青い空がイラストで入った、オシャレで大人っぽい便箋だった。

 

『桐尾くんの好きなところ』

『コンビニの店員さんにもきっちり挨拶してるところ』

『ルーズそうなのに時間はきっちり守るところ』

『楽しそうに毎日話しをしてくれるところ』

『いつも気遣ってくれるところ』

 そんなのがいくつも書いてあった。ツキコさんらしい、繊細で柔らかで、でも芯のあるしっかりとした字だった。

「ツキコさん。これ、全部俺のこと……?」

 ツキコさんは答えず、黒い髪を指に絡めていた。頬は少し赤く見えた。

「俺だって。真面目じゃないよ。だってツキコさんの前でカッコつけたいだけだし、友達の前とかじゃもっとテキトーだって。ただでさえツキコさんとは歳離れてるし、俺もっと大人になれなきゃって思って……」

「………」

「やっぱりさ。……ツキコさん」

 俺はツキコさんを見据える。メガネの奥で、控えめな色した瞳を、まっすぐ見つめた。

「お互いのこと知るには3か月じゃ足りないと思うんだ。もっと俺に……本当のツキコさんを見せてよ」

 俺はまだ彼女のことを全ては知らない。何時に起きて、朝ご飯はどんなものを食べてるのとか。何を考えながら電車に揺られてるのか、とか。休日、1人のときはどう過ごしてるのとか。俺はまだ、彼女のほんの側面しか見ていない。

『桐尾くんの好きなところ』

 そう書かれた文字を、もう一度見つめる。きっと真剣に考えてくれたに違いない。何度も消した跡がみえる。俺と同じようにツキコさんもまた、俺と過ごした僅かな時間を思い出しながら、真剣に悩んでくれたんだろうか。

「ね、桐尾くん。1つ教えておきたいことがあるの」

 ツキコさんは棚の引き出しから、ペンをとりだして俺が渡したA4用紙にさらさらと何かを綴った。

「私の名前、こう書くの」

 月輝子。

 細い字で書かれた文字を、俺は食い入るように見る。月が輝くなんて私には明るすぎるでしょ、と笑ってる。

 初めて見る、笑顔だった。暗い夜の中で穏やかに静かに輝く、月のような━━。

「……月輝子さん。俺の名前って、知ってる?」

 彼女は頷いて、旭くん、と俺を呼んだ。しとやかな、優しい声で。

「私が輝く月なら、あなたが眩しい朝の太陽ね」

 いい組み合わせだと思わない?

 そう笑った月輝子さんの笑顔を、俺はずっと見ていたいなと思った。

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君が月なら俺は太陽 こおの @karou_nokoko

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