第5話 国家機密
片方が、
「二重人格性」
ということで、紛らわしいということになるので、そのあたりが、分かりにくいところとなっているので、普通であれば、理解することは難しい。
それらのことを、かつての結核病棟としてのサナトリウムが、その役割を終えた時、精神疾患の人が増えてきたことで、ひそかに、それらの人たちを救うための、
「必要な施設」
ということで、この跡地を、研究所として供出されることになった。
だから、ここは、センシティブな問題として、民主主義における
「基本的人権の尊重」
というものの制限と、
「元々、最初からあったといえるかどうか?」
という意味で、疑問が残る、平等というものが、ここには存在しないことで、
「国家の最高機密」
とされてきたものであった。
これが暴露されると、
「他の国でもやっていない研究を、この国が行っている」
ということで、大問題になるのは、必至だった。
しかし、それでも、このことが暴露されて、一番世界という、
「世間的に、一番問題ない」
ということで決まったのが、日本だったのだ。
だから、これは、世界各国の機密としては、
「公然に秘密」
ということであり、
「誰も、そのことに逆らうことができない」
というものだったのだ。
ということは、この施設は、あくまでも、見つかった時の、言い訳として、
「人類の恒久平和のため」
ということにするためということで、日本が選ばれたのだが、実際には、その時の大きな世界の問題として、どのような作戦になるかということは、本当に、さらに機密であったということで、一部の機密だったのだ。
「二重にも三重にも、まるで、マトリョシカ人形のように、どんどん機密が深まってくると、そこに出てくることから、今のような、個人情報の問題が出てきたというのも無理もないことだったのだろう」
だから、他の国ではそこまで言われていないが、日本で言われるようになったことであるが、それを、
「コンピュータ開発」
ということの弊害として起こってきた、
「コンピュータウイルス」
という問題である。
これは、
「国家とは関係のない組織が、暗躍して、自分たち組織の利益のために暗躍している」
と言われているが、実は別の話もひそかにあったのだ。
これも、最高機密の中から生まれた噂なので、表に漏れるということもなかったのであるが、
「コンピュータウイルスというのは、実は、国家の暗躍ではないか?」
ということであった。
確かに、コンピュータウイルスの開発は、国家に関係のないところで起こった、ただの、
「金儲け組織の暗躍だった」
ということなのだろうが、実際には、この機密を、実は日本政府が、この組織を買収し、日本政府の組織として扱うという、一種の、
「諜報組織」
ということになったのだ。
というのは、
「二重人格性」
ということと、
「石ころのような機能」
を使うことで、
「人間のロボット化」
あるいは、
「サイボーグか」
ということをたくらむという考え方により、コンピュータウイルスで得られる金よりも、さらに、たくさんの金が入ることになり、ロボット開発では、どこの国も苦戦しているが、他の、
「核開発」
であったり、
「宇宙ロケット開発」
というような、兵器に近い開発では、百歩近くおいていかれているところか。日本の場合は、
「平和憲法」
というもののおかげで、それらの研究は、
「してはいけない」
ということになっていた。
だとすれば、日本という国がいかに、うまくやっていくのかということになると、
「日本は、他の国がしていない未来に向けての開発をしなければいけない」
ということになるのだ。
そうなると、
@ロボット開発」
であったり、
「タイムマシン」
の開発などの、具体性のない研究に見出すしかないのであった。
表向きは、
「他の国が開発したものを、日本なりに加工することで、精密機械に関しては、日本の右に出る国はいない」
ということで、輸出に関して、大きな一歩を踏み出し、どんどん景気はよくなり、国としては、全世界でも、アメリカを抜いて、
「トップ」
ということになった。
しかし、それは、実際には、
「国家による、カモフラージュでしかなかった」
というのは、
「日本という国は、そうやって表に、見事に戦争から復興して、今では世界一の国になったのだ」
ということを示していたが、それでは気に入らない国がいくつか出てくる。
そこで、それらの目をごまかすという必要がある。
そのためには、できるだけたくさん資金を手に入れて、
「これで少々は大丈夫だ」
というところまで行き、国家は自主的に、
「破綻する」
という青写真を作り、実際にそうなってしまったのだ。
それが、いわゆる、
「バブルの崩壊」
というものであり、実際に。その崩壊によって、経済はガタガタになり、日本よいう国は、表面上は、
「まったくそれまでと違う国になってしまった」
といってもいいだろう。
だか、考えてみれば、
「バブルの崩壊」
というのを、これだけたくさんの政府要人であったり、有識者であったり、経済学者がいるわけである。
一人として、
「こんな世の中になる可能性がある」
ということを、声を大にして言わなかったのか?
ということである。
「本当に誰も分からなかったのだろうか?」
あとから考えれば、
「小学生にでも分かりそうなこと」
というのは、確かに、あとからであれば、
「何とでもいえる」
というわけだが、それだけのことで許されるのだろうか?
昭和の終わりに、
「バブル経済」
というものがあり、その後には、平成に突入することで、
「バブルの崩壊」
というのが起こったのだ。
それにより、日本は、神話であったはずの、
「銀行不敗神話」
が崩れ去り、結果として、
「銀行の破綻」
というものから、それを助けるために、
「吸収合併」
という政策がとられた。
「前が何という名前の銀行だったんだっけ?」
というほどに、その名前すら忘れてしまっているのだ。
それが、バブル経済の正体で、それ以後、
「非正規雇用の促進」
などということや、一番大切なことは、
「経費節減」
ということになり、企業が、
「内部留保の確保」
に走るということで、それこそ、
「まわりがどうではなく、自分の身は自分で守らなければいけない」
ということになったことであった。
それを考えると、日本のそれまでというのが、いい悪いは別にして、
「終身雇用」
というのと、
「年功序列」
という制度があり、それが日本経済を少なくとも、バブル崩壊まで支えてきたといってもいいだろう。
それでも、国家が破綻することもなく、最近に起こった、
「世界的なパンデミック」
においても、
「被害がなかったなどということは口が裂けてもいえないが。まだ、他の国に比べてましだった」
という人がいて、その人がいうには、
「内部留保のおかげで、日本はかなり助かった」
ということであった。
これが、
「幸か不幸か」
ということなのか、
「災い転じて福となす」
ということなのか。
「ただの偶然なのか」
難しいところではあるが、いかに世の中で、少しでも、頭を使わないと出てこない結論に達したのだから、
「日本という国のすごさは、そこにある」
といってもいいだろう。
そんな中、水面下で、ずっと戦後から続いているものがあった。これは、ブレることのないもので、これが、
「ロボット開発」
であったり、
「タイムマシンの開発」
であった。
実際には。それらの開発は。
「不可能だ」
ということで、
「ロボット工学三原則」
「フレーム問題」
さらには、
「タイムパラドックスの問題」
と徹底的に、無理だということになっているが、日本では、水面下で進められている研究は、順調だった。
機密も守られていて。それが、
「結核病棟」
から生まれ変わった、今の時代の、
「サナトリウム」
ここに、すべてが隠されていて。しかも、最高国家機密となっていることで、
「この時代こそ、今の政府の愚行とまったく正反対である」
ということでの、
「パラレルワールドの、双極性なのではないか?」
といえるのではないだろうか?
そんな国家機密において、
まるで、
「マトリョシカ人形」
のようなものとして考えていると、そこに、
「限りなくゼロに近い」
という考え方が出てくる。
これは、
「合わせ鏡」
という考えにも似たところがあるのだが、この発想は、
「どんどんと小さくなっていくというものではあるが、決して、ゼロにならず、そして、マイナスの結界を超えることもない」
ということである。
「どんどん小さくなってくるが、ゼロにならない」
という発想は、その裏に、
「無限ではない」
ということを示しているということになるのだ。
もし、どんどん小さくなっていることで、ゼロやマイナスにならないということは、進んでいる以上、限りがなければ、ゼロに到達し、最後には超えてしまう
ということで、これは、
「時系列」
ということにも関連してくるといえるのではないだろうか?
だから、
「時系列」
であったり、
「時間の無限性」
ということを考えると、そこには、必ず、
「限りなくゼロに近い」
ということと、接しているということになるのではないだろうか?
矛盾していながらも、その形を証明できるという瞬間が存在すると言われる、
「メビウスの輪」
というものにかかわってくるのではないだろうか?
「矛盾というものを、いかに理論づけて。それが矛盾であるということを証明するか?」
ということから、時系列というものが結びついてくるという発想は、今に始まったことではなく、発想の終点が、無限であるかどうかということに結局は繋がっていくのだ。
「無限であれば、いずれはゼロになる」
「ゼロにならないということであれば、必ず、その限りは存在する」
ということになる。
では、
「無限でなければ、ゼロになる可能性がどれだけあるというのか?」
あるいは、
「ゼロになるということであれば、無限は本当に存在しないのか_?」
ということであり、
数式というものを、英語で表現するときの発想に、どこか似ているといえるだろう。
「例えば、アンドと、オアを使う場合。
「A=ゼロ OR B=ゼロ」
ということの反対は、決して。
「A≠ゼロ OR B≠ゼロ」
ということではない。
「A≠ゼロ AND B≠ゼロ」
ということになるのだ。
これは英語の問題だけではなく、コンピュータを制御するプログラミングで組み込まれている。文法としても、このように定義されている。
数式だけを見ていると、その理屈を解釈できず。実際に、他のパターンと辻褄を合わせるということは、こんな発想になるということを考えなければいけないといえるのだった。
戦後、実際に、プログラム言語というものが、いろいろ考えられ、実際に、実用化されたのは、
「1970年代」
くらいからだろうが、実際には、もっと昔の、少なくとも、マンハッタン計画よりも前からあったのではないか?
といえるだろう。
それが、国家機密と結びつくことで、その問題がクローズアップされてくるのだろう。
そんな国家機密を研究するためのところが、
「サナトリウム」
を改造した場所で行われるようになった。
表はなるほど、昔のサナトリウムさながらであり、そのまわりは、湖畔を森が取り囲んだ、まるで、
「陸に上がったサンゴ礁」
のようなところであった、
サナトリウムが、そんな場所に建築されたというもの、その設計がしっかりしていることと、そんな場所がいくつもあるというのが、日本ならではなのかも知れない。
「いやいや、欧州の方が、そういうところが多いのではないか?」
と言われるかも知れないが、実際には、それらを使って研究が行われているのは、欧州各国でも、
「公然の秘密」
であった。
かつての日本も、西洋視察ということで、何人もの人が欧州に渡り、いろいろな技術などを輸入してくることで、明治維新や、大日本帝国の礎を築いたということであったが、実際に、医学界の研究者も数多く海外に渡り、実際の医学界を見てきたのだ。
その際に、
「日本にはない文化」
であったり、それ以外にも、日本という文化だけではなく。国家の存続あるいは。興亡のために、いかに、
「国家を形成する個々の人間の存在が大切なのか?」
ということは、分かっていたのではないかと思える。
しかし、時代はどうしても、江戸幕府から、明治政府にその主権が移行するということで何といっても、
「武家政治」
という封建制度から、
「天皇中心」
という、中央集権国家へ移るという大きな変革は、尋常な考えでは、うまくいくわけはなかった。
実際に、そのための犠牲はハンパではなく、特に、それまでの武士というものの存在意義すら否定される時代になると、
「武士しかやってこなかった人たちが、いかに生き残っていくのか」
ということが問題であった。
そもそも、江戸時代というのも、
「士農工商」
という身分制度で、武士中心といわれているが、実際には、幕府が中心となって行う政治は、封建制度ということで、
「中央集権国家」
というわけではなかった。
それぞれの区画された土地には、大名というものがいて、幕府に所領として配置された大名が、藩主として、その土地を治めるということになっているのだ。
それを、幕藩制度というのだが、そのために、その幕藩制度を、行っていくために、
「大名が力を持ちすぎないようにするための工夫」
ということで、
「参勤交代
や、
「天下普請」
などを行って、藩が力を持たないように、金銭的に金を使わせるという方法をとってみたり、さらには、直接的に、改易ということで、
「大名に対して、因縁を吹っかけたり、あるいは、後継者がいなかったりすれば、それを理由として、領地召し抱えという、直接的な領地没収により、大名の地位をはく奪したりするという強硬手段を行った」
それにより、大名は、取りつぶされることになり、そのため、武士は、ほとんどが、路頭に迷うことになる。
特に、秀忠、家光の時代には、関ヶ原において、
「徳川の家臣となった」
いわゆる外様大名系は、有力大名から、どんどん、改易させられていったといってもいいだろう。
だから、九州、四国、中国地区、東北地区などの大名は、結構怖かったことだろう。
しかも、
「三河時代から、徳川に仕えてきた、主力大名であった、本多正純など、正信から二代にかけて徳川に仕えた大名が、因縁をつけられて、改易させられた」
ということは、諸大名を震え上がらせた。
有力外様であった、
「福島正則」
「加藤清正の息子」
などが、彼らも、因縁を吹っかけられての改易処分であった。
とどめとしては、
「徳川忠長」
であった。
素行が悪いと言われ、秀忠に謹慎させられていた、家光にとっては、自分の実弟であるにも関わらず、
「駿河大納言」
と呼ばれていた有力大名を、改易どころか、
「切腹までさせた」
ということで、徳川の本気が大名たちに伝わったことであろう。
そうなると、幕府に歯向かうという勢力が、出てくるはずもなく、幕府の体制は、そこで、十分に確立されたといってもいいだろう。
ただ、この考えも分からなくもない。
室町幕府が、有力大名を抑えることができず。そもそもの幕府の体制も弱かったということで、起こってしまったのが、
「京の街を、焼け野原としてしまった応仁の乱」
というものが起こった経緯を考えると、
「幕府の体制」
を万全としておく必要がある・
というのは当たり前のことであろう。
そこから起こったのが、いわゆる、
「下剋上」
というものに裏付けられた無法コックであった、
「群雄割拠における戦国時代」
というものであった。
幕府の創設者である、家康の最大の目標は、
「戦国の世を終わらせる」
ということで、何とか生きている間に達成したことで、
「元和偃武」
ということを宣言した、
「戦国時代の終焉」
だったといってもいいだろう。
だとすると、それ以降の将軍は、まず第一に、
「二度と戦乱を起こさない」
ということであり、そのための体制をしっかりと作り上げることであった。
そういう意味では、
「秀忠」
「家光」
という、2代にわたっての、
「幕府の基礎作り」
というのは、一定の成果があったといってもいいだろう。
だからこそ、260年という間。大きな内乱もなく、江戸時代が続いたのだ。
「ペリーによる、黒船来航」
という外的要因によるものでなければ、きっと、江戸時代は、鎖国のまま。もっと続いていただろう。
それを思うと、逆に、
「歴史というものの変革は、いきなりやってくるものだ」
といっても無理もないことであろう。
そんな数百年も続くであろう体制をひっくり返したはいいが、新たに作り上げることがどれほど大変かということを、刑事の元勲は、
「外国に習う」
ということで達成しようと考えたのであった。
そんな日本に、戦後から蔓延ってしまった精神疾患という病気には、さまざまなものがあった。
かつての、
「時代の変革」
であった、明治維新に勝るとも劣らない、戦後の日本。
それは、それまでの大日本帝国が経験したことのない、対外戦争における敗戦であった。
もちろん、ノモンハン事件のような、国境紛争のような、
「小競り合い」
というようなものでの、局地的な敗戦というのは、いくつもあった。
しかし、
「国家の興亡を掛けた戦い」
というものに初めて敗れた日本であり、しかも、その状態は、完全に完膚なきまでのものであった。
国土は焦土と化し、焼け出された人々は、バラックを作って、その日一日を、
「いかにして生きるか?」
ということばかりが問題になっていたのだった。
そんな世の中において、
「それまでの教育、さらには、国家体制が、占領軍によって、まったく違うものへと生まれ変わらせるのだ」
しかも、その国家体制は、それまでの日本人が考えたこともない体制であった。
「国家のために、愛国心を持って、さらには、天皇陛下を神と崇めて、自分たちは、天皇のために死ぬことを悦びとされた」
そんな時代だったのだ。
それが、
「民主国家」
ということで、それまでの国防を担ってきた、軍の解体。
それにともなった、武装解除。
そして、
「鬼畜米英」
などと教え込まれ、敵国を殲滅するということが、日本という国に住む自分たちの生きる道だと教え込まれてきたものを、いきなり、
「人類は平等であり、国家の主権は国民にある」
と言われ、
「個人の人権は保障される」
と言われても、すぐには、納得がいくものではないだろう。
何といっても、それまでの日本民族は、貧しい中にも、誇りをもって生きてきたのに、その誇りを、敗戦という形で失うことになり、占領軍による統治、さらには、日本が作り上げようとしてきた、
「大東亜共栄圏」
というのも否定され、すべてを、勝者の論理で、日本を否定されたのだから、国内で、精神疾患の患者が増えても、無理もないことであろう。
生き抜くために、治安は悪くなる。
確かに、戦時中のように、空から焼夷弾が降ってくることはなくなり、
「今日明日の命」
ということはなくなったが、食料もなく、すべてが配給ということで、その配給もほどんど滞っている状態で、こちらも、
「今日明日の命」
といっても、無理もないことであろう。
そんな状態において、日本人は。
「戦争」
というものを、今までは、
「決して敗れることのない」
という不敗神話で、見てきたものだ。
「国民生活も我慢していれば、いずれ、勝戦国ということになり、いずれは、国家が興盛国となることで、自分たちのプライドが保たれ、国家の安寧が約束される」
ということになると、信じて疑わないことであろう。
それが、敗戦ということになり、それまで味わったことのない屈辱と、苦しみを味わうことになる。
それが民主化の第一歩であり、それがよかったのか悪かったのか、今の段階では、その答えは出ていないだろう。
そんな答えが出ないことは、前述のように、
「何が答えなのかが判明しない限り、永久的に出る答えではない」
ということになるのだ。
そんな答えを見つけるには、まず、自分が答えを出すということが大前提ではないだろうか?
確かに何が答えなのか分からないが、最終的に、
「決めるのは自分」
ということである。
ということは、決めるための材料、つまり考え方を見つけるのも自分であり、答えだと言い切れるまでに、自分を高めるのも、自分である。
そのことを、誰が分かっているというのか、それを考えると、
「どこに、その答えがあるというのか?」
そんなことを考えていると、
「問題は、その考えをはぐくむだけの環境が、その場にあるかどうか?」
ということになる。
その時代の日本にあるわけはない。精神疾患の人が増えてきて、先の見えない状況において、本来であれば、国民に前を向かせるだけの力がない状態の政府では、何もできるわけはないということである。
そういう意味では、
「大日本帝国というものを、臣民を導くということでの体制というのは、いい悪いの判断を抜きに考えれば、少なくとも、今の時代にはないものである」
といえるだろう。
実際の政治体制にて、民主主義というものの基本として、
「自由、平等、博愛」
というものが、民主主義だと言われているが、果たして、
「この三つが、共存できるということなのだろうか?」
ということである。
つまりは、
「自由というものを優先させれば、平等であるということはありえない」
「自由に行動するということは、行動を起こした人間が優位に立つということで、高みの場所では、それを平等というのだろうが、行動を起こすことのできない、諸事情を持った人もいるわけで、それが、肉体的な、あるいは、精神的な疾患を持った人間であると考えると、そこに、本当の平等というものがあるのかどうかということになる」
ということではないだろうか?
逆に、
「平等を最優先に考えるのであれば、自由競争というものはできなくなる。平等ということは、皆が同じ立場ということになり、それこそ、貧富の差があることは、許されないということになるだろう」
それぞれの考えが、少なくとも相手の主張をことごとく否定するという形であり、そこに、
「共存」
という形はありえないのだ。
そして、この考えが、前者を、民主主義だと考えると、後者は、社会主義ということになる。
その二つは、絶対に共存できない。なぜなら、社会主義というのは、
「資本主義の限界」
という考え方から、生まれたものだからである。
その考えが、裏となり表になるということで、精神疾患を患っている人にとっては、生きていくうえでの大きなヒントになる場合があるということであった。
そのことをさらに研究するために作られたプロジェクトを、この、サナトリウムで実践するというわけである。
サナトリウムというのは、かすみは、以前に一度だけ覗いたことがあった。
それが、いつ、どこでだったのか?
ということを忘れてしまっているが、今でも夢で思い出すということは、そこにある何かの結果が、形となって現れるということであり。
「夢と現実」
というものが、
「自由と平等」
の発想だと思うと、
「どちらかが、どちらかの限界を踏まえて、生まれたものではないか?」
と考えるのであった。
サナトリウムでの研究において、かすみの先祖が、どうやらかかわっていたということは、以前から分かっていたような気がする。
母親から聞いたのか、誰かから聞いたのか、自分では意識はなかったことで、どこまでが意識のうちなのか、よくわかっていなかった。
しかし、時々、その研究を行っていると思われる、
「ご先祖様」
というような人が出てくるのだが、その人は、最近の人ではない。
どちらかというと軍人に見える。
サナトリウムが、結核病棟から、精神疾患相手に変わったのだとすると、軍人であるのはおかしい。
ということは、かすみの中の考え方として、
「結核患者と、精神疾患には、何か関係があるのではないか?」
ということが考えられるのではないか?
という考え方であった。
確かに、戦前では、サナトリウムは、完全に、
「結核病棟」
であった。
結核患者を隔離することで、結核菌というものの蔓延を防いでいたわけだが、ここで結核患者から、何かを採取することで、これを、
「細菌兵器」
という形で使おうと考えていたということは、聞いたような気がする。
しかし、細菌兵器というだけではなく。結核菌を、
「精神疾患患者の特効薬として、利用できないか?」
という研究が行われている部署があったということも聞いたことがあったのだ。
しかし、それは、あくまでも、何かの対策だったと聞いたことがあった。
それを夢の中で、最近よく感じるようになった。
というのが、
「結核菌による、覚醒を使い、それが、戦争において、恐怖心を和らげる効果に使う」
というものであった。
当時は、日本でも、
「麻薬使用」
というのは、厳禁だった。
特に隣国の中国、さらには、日本の傀儡国家と言われた満州国でも、その猛威はすごいことになっているようだ。
何しろ、
「アヘンというものの蔓延は、それ以前からすごいもので、特に、アヘン戦争からこっち、患者が増え続け、収拾がつかなくなっている」
という。
しかし、当時の傀儡国家を統治し、さらには、大日本帝国というものの存在を危機に瀕しないようにするためには、その存在は、
「絶対不可欠のものだ」
といってもいいだろう。
そうなると、大日本帝国は、アヘンを中心とした、
「化学兵器」
の研究を行うしかなかった。
特に、現代では、
「貧者の核兵器」
と言われるほどの、核兵器や化学兵器。
しかし、これを敵にまともに使うと、国際法上の問題となる。
確かに、日本は満州国建国という既成事実と引き換えに、
「国際社会からの孤立:
というものを選んだ。
これは、考え方によっては、
「仕方がない」
といってもいいくらいだったが、正直、あまりにも簡単に、脱退したということを考えると、
「日本は、国際的な孤立というものを、最初から予知していたのではないか?」
ということも言えるだろう。
国際的に孤立するとどうなるか?
「物資の致命的な不足は、日本だけが把握しているわけではなく、他の国にも分かっていることだった。だから、日本に対しては、経済制裁を行うと、必ず、南方資源を求めて、戦争に踏み切ることになる」
ということは、どの国にも分かり切っていたことだっただろう、
だから、相当な準備を他の国でもしていたのだろうが、実際に、日本の戦略をあそこまで完璧に青写真通りに行わせたことに、違和感を感じる人間は、少なくないような気がする。
確かに、ナチスにしても、日本軍にしても、最初の電撃戦は、あまりにもうまくいきすぎている。
かといって、ドイツと日本の間では、同盟を結んでいるとはいえ、事情がまったく違う。
何といっても、第一次大戦が終わった時点では、正反対だったことは明らかだ。
ドイツは敗戦国として、ベルサイユ体制で、虫の息状態だったのにも関わらず、大日本帝国は、逆に、戦勝国として、
「世界の大国」
として君臨していた。
それが、世界恐慌から始まる昭和恐慌などによって、
「天国から地獄」
へと叩き落されたことで、満州の権益を手に入れ、中国問題との一気呵成な問題解決ということで、行われた、
「電撃作戦としての満州事変」
が、ある意味、日本の運命を決定づけた」
といってもいいだろう。
その時、ある程度、
「日本は行く末が見えていたのではないだろうか?」
というのは、
「孤立した時点で、国家の存亡は見えていた」
つまりは、
「天国へ行く場合、地獄へと突き進む場合」
とそれぞれに、運命が分かっていたことだろう。
しかし、最初に進む道は、一つしかない」
ということであれば、どちらい転ぶにしても、日本は前に進むしかない。
本来であれば、見えているのは、
「天国か地獄か?」
というそのどちらかなのだろうが、実際にその道を探ってみると、出てきた答えは、
「それぞれ極端な道」
だということであった。
「まるで、人間の二重人格性のようなものではないか?」
と考えられたようだ。
「国家が、二重人格性を持っているということは、人間というものを研究しないと、先に進めない」
ということで、
「ひそかな、人間研究が行われていた」
といってもいい。
実際に、どこまでが本当か分からないとは言われているが、ある程度ハッキリした形での言い伝えとして、ハルビンに存在したという、
「731部隊」
と呼ばれるものがあったという。
しかし、実際には、
「一切の証拠はなく、戦犯で裁かれた人もいない」
あくまでも、
「満州国における伝説」
ということであり、
「大東亜戦争の黒歴史」
といっても過言ではないだろう。
大東亜戦争というものが、
「大陸に進出したことで、列強を怒らせた」
ということになっているが、途中から、
「列強に轢き釣り出されて、さらには、逃げる中国軍を、日本軍が追いかけるということで、泥沼の全面戦争」
と言われるようになった。
しかし、実際には、どちらも、
「宣戦布告なき戦争」
ということで、いくら、お互いが、アメリカに中立の立場を取られては困るということでの、宣戦布告ではなかった。
そういう意味では、
「異様な戦争だった」
といってもいいだろう。
中華民国としては、
「さらに日本軍を追い詰めて、どこから、いかに、日本を孤立させるか?」
ということであった。
そもそも、アメリカは日本を戦争に巻き込むことで、自分たちが、ヨーロッパ戦線に踏み込みたいという野心があった。
この辺りの事情が、いろいろと言われているが、実際のところは分からない。
日本という国、アメリカという国、それぞれに事情を抱えていて、いかに戦争に踏み切るかということであったのだろう。
両国ともその覚悟はできていたはずだ。
「まさかとは思うが、宣戦布告を行う」
というところまでは、それぞれに納得があったのかも知れない。
「のっぴきならない状態になって、それぞれに大義名分がある間に戦争をはじめ、日本が最初に抱いた、青写真通りに進行してくれれば、アメリカの方としても、そこまで戦争が長引かず、余裕をもって、ドイツに当たれる」
と思っていたのかも知れない。
それはもちろん、見ているのは、
「ドイツの後ろに見えている、ソ連だった」
ということであろう。
実際に、日本が描いたような、
「半年やそこらで、和平を言ってくるであろう」
ということは、日米で一致した作戦であったとすれば、両国とも、日本という国の世論を甘く見ていたということであろう。
それだけ、日本軍による、国民の洗脳はすごく、
「勝っている状況で、何を和平とか、寝ぼけたことを言っているんだ」
ということである、それらがなければ、本来であれば、茶番だったといえる、アメリカとの戦闘を、そこで終わらせれば、アメリカも、日本も面目が経ち、戦後、ソ連に対して、立地的に、日本、朝鮮、満州とが、
「共栄圏を持っている」
という方が。アメリカとしても、戦後の問題としては、いい立ち位置に入れたことであろう。
そもそも、日本がソ連に攻め込まれるということ自体が、作戦上の致命的な間違いで、そのせいで、起こってしまった朝鮮戦争であったり、中国の共産化ということであった。
それが、国家機密としてあった、
「もう一つの青写真」
であり、これが、本当であれば、一番ありえるシナリオだったはずである。
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