第39話 黒龍の願い

 僕らの目の前に聳え立つ黒龍。

 その黒龍の口から漏れ出したのは、終わりを願う憔悴。

 終わりってことはつまり……。


「えっ!? 死んでくれるの!?」


 あんまりびっくりしてタメ口きいちゃった。

 自らヘルに頼むなんて、本気だろうか?

 僕は最初びっくりして、それから首を捻る。


「……いや、そんなに死にたいなら自分で死ぬこともできるはずじゃ……?」


 畏怖すべき怪物に思わずツッコミ。

 黒龍を前にしながら、そんな言葉が思わず口を突いて出ていた。

 そこで、はっとする。

 ……やばい!? 機嫌を損ねたら僕らなんか一吹きで炭になってしまう……!

 が、どういうわけか。

 黒龍は、大きく溜息を吐いただけだった。ごうっと風が鳴るくらいの溜息。


「……それができれば……。我を滅ぼすことができるのは恐らく死の女神の娘くらいだろう。このダンジョンに囚われていては、我自身で我を滅ぼすことはできない」


 どういうことだろう?

 このダンジョンは黒龍を封印するものらしいから、黒龍の力を制限しているのかもしれない。

 それで、自分を殺すほどの力も出せないとか?

 僕はそんな疑問をまたも、つい口にしてしまう。


「自分で自分にドラゴンブレスを吐いても死ぬほどの威力がだせない、と?」


 僕の続けての問いに、黒龍はようやくなにか気づいたようだった。

 訝し気に目を細め、僕を見つめてくる。

 そして、開く口。


「……小さき者よ。お前はなんだ? 我は死の女神の娘と話している。お前の話は後にするがいい」


 その言葉だけで空気が震える。

 これって言葉の暴力? 打ち倒されるかと思った。


「あ、あ、そうですよね。ご機嫌損ねないように大人しく隅っこにでも行ってますね。どうぞどうぞ」


 僕は今更腰を低くして、黒龍の視界から逃れようとする。

 これ以上目をつけられたら死ぬ……!

 黒龍はもう僕のことなど虫であるかのように見向きもせず、ヘルに向き合った。


「それで死の女神の娘よ。お前は我の願いを叶えに来たのだろう? そうでなければ……我以外なにもいないこのような場所に死神がやってくるはずがない」

「黒龍、私はあなたの願いを叶えない」

「……なに?」

「叶えない」


 いや、ちょっとぉ!?

 黒龍からのお願い拒絶。

 ヘルの塩対応に僕は震える。

 今はしょんぼりしているこの黒龍がキレだしたらどうするんだ!?

 だが、ヘルは淡々と続ける。


「なぜなら、あなたの命を死の女神の元へ返すか否かは私が決めることではないからだ」

「……我の死が近い内に起こるのではないのか? それがようやく定まったので、お前がここに来たのではないのか?」

「定まっていない。そして、私にそれを決める力はない。私には、あなたの願いを叶えられない」


 黒龍が地響きを巻き起こしながら震えた。


「……おお……おお……まだ我には死すべき定めが巡ってこないのか……あとどれだけ星が巡れば……」

「『私には』と言った」


 ヘルが遮るように言い添えた。


「私には決められないが、それを決めることができる者がここにいる。私から命を盗んだこのノアだ。あなたが小さき者と呼んだノア・ワイリー。ノアがあなたの名を私に告げれば、私はあなたを死の女神の元へ送ろう」

「なに? それはどういう……」


 黒龍は一旦口を閉じ、それからまじまじと僕を見つめてきた。


 まずい、完全に目をつけられた……!


 黒龍は細めた目を大きく見開いて。


「……つまり、この小さき者が我を滅ぼす力を持つというのだな? 死の女神の娘を操って我を滅ぼすことが可能だと……」

「操るのではない。彼は私に命を返す。私は取り立てる。それだけだ。私が彼の言うことを聞いて従っているなどと受け取られては迷惑」


 よくわからないけど、ヘルが急に不機嫌になった気がする。

 一方の黒龍は気が急いたのか、


「ならば小さき者よ。我を死の女神の娘に死なせるよう命じるがいい。さあ」

「い、いや……なぜそんな死にたがるの? 話がよく分からない……」


 急にぐいぐい迫られて、僕はたじろいでしまった。

 黒龍は一瞬黙り込む。

 なにか思い返しているのか、深く考え込んでいるようだ。そして、


「……よかろう。我がなぜ死にたがっているか理解すれば、我を死なせてくれるのだな?」

「ええと……」


 僕らの目的は黒龍討伐なんだから、話なんか聞かずにヘルにやってもらえばいいんだけど……。

 なんか気になるし、話を聞いてからでも結果は変わらない。


「聞かせてもらえるなら、聞きたい……かな?」

「……うむ。我がなぜ死を望むのか、聞かせてやるから納得するがいい」


 黒龍は重々しく呻いた。


「そもそも我は死なぬ」


 なんやそれ!

 初っ端から話ひっくり返してるじゃないか!

 死ねないくせに死なせろとか無茶言うな。

 ……といったツッコミを口にしないだけの冷静さは取り戻していた僕だ。

 ぐっと抑えて、


「へ、へえ……」


 と相槌を打つにとどめる。

 それで黒龍は話を続けた。


「そもそも、本来の我はこの地に渦巻く力そのものだった。元から竜の姿をしていたわけではない」

「え? ドラゴンじゃないの? 黒龍なのに?」

「そうだ。もともとはこの地に破滅的な破壊をもたらす莫大な力こそが我だった。大地を割るもの。河川、大海から溢れ出て全てを攫い、飲み込むもの。吹き荒れる風となってこの地に立つあらゆるものをなぎ倒し、熱波寒波で全てを焼き、凍てつかせる。それら全てが我だった」


 黒龍はどこか懐かし気に顧みている。


「……そんな我が、いつしか黒龍と名付けられた。古の種族たちからだ。曰く、黒龍が暴れるから山が火を噴く、黒龍を怒らせると川が氾濫する、黒龍へ捧げものを贈らねば干ばつが起こる、というように。名をつけられたことで、我はその名に相応しい実体を持つに至った」


 僕は眉をひそめた。


「ええっと……自然災害に昔の人達が黒龍って名前を付けたら……実際にあなたが生まれた? どういうこと? そんなことってある?」

「名を与えられるということは命を与えられるということだ」


 黒龍は厳かに言った。

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