第30話 鎖の悪魔

 僕にはヘルの態度がよくわからない。

 感情ないんじゃなかったのか。

 戸惑いのあまり、思わず口ごもってしまう。


「ど、どうしたの? なに? そんなに怒って……?」

「私はなにも取り乱していない。不当な決めつけは不快」


 ぶっきらぼうな声。

 ヘルは僕の方を振り向きもせず、チェーンデビルの背中ばかり睨んでいる。

 巨大悪魔への警戒を怠るつもりはないようだ。

 ていうか……不快って、やっぱり怒ってるんじゃ……?

 と、ヘルが僕の顔を見もしないまま問いかけてきた。


「どうするの? このままこの場から先に進まないつもり?」

「え? どうするって……」

「あの大きな悪魔は彼等が引き受けてくれる。ならば、その間に私達は先へ進める」


そう言いながら、ヘルはラットをじろりと見た。


「そうすれば、この者のスキルをこれ以上強く発動させずに済む」


 それまで、なんだかはらはらした様子で僕らを見守っていたラット。急にヘルに話を向けられてびくっとした。


「え、えっと、あたしは別に使ってもいいんだけど……その、もっといろいろしても……」

「やめておいたら?」


 冷たい声だった。

 雰囲気悪……っ!

 僕は少しでもその場をうまく収めたくて、話を変えようとする。


「ま、まあ、ロイン達なら第4階層からやってきたモンスターでも簡単に倒せると思うよ。あの悪魔をロイン達に倒させて、その後安全に抜け穴<ピットフォール>を下れると思う」


 僕は抜け穴の縁の方に目をやる。

 ……まさか、もっと別の悪魔達が更に第1階層まで上がってくるなんてことないよな?


「ていうか、あの悪魔がもっと強いモンスターだったら、きっとロインはボコボコにされて僕の胸もスッとするところだったのに……第4階層のモンスターじゃ大した時間もかからないだろうね」

「あなたは彼等の力を随分信頼しているようだ。あの大きな悪魔を簡単に倒せると思っている」


 そう言いながら、ようやく僕の方を向いたヘルの表情は真顔。

 ヘルに見つめられて、僕は胸を突かれた思いになる。


「……そりゃあ、まあ、ね。……今まで一番近くで見てたから……」


 そして今では見捨てられた。

 一方、ヘルは言葉を続けている。


「……だが、あの大きな悪魔は容易くない。おそらく名前持ち」

「名前持ち?」

「地獄のあぶくから生まれたような有象無象ではなく、有力な一族に属する個体」

「それって、そんな上位の悪魔なの? ……そんなのが第4階層にいるなんて聞いたこと……」


 僕は改めてチェーンデビルとロイン達の方に目をやった。

 チェーンデビルはその体中に巻き付いている鎖を自在に操っている。それも同時に何本も。

 暴風のように吹き荒れる複数の鎖。

 そこから生じる風が唸っていた。


「……こ、こんなチェーンデビル見たことない……!」


 マミアナが悲鳴めいた声を上げている。


「記録では鎖2本までしか操れないはずなのに、5本も6本もなんて……」


 鎖の振り回しによって生じる風で頭の魔術帽が飛ばされないよう、マミアナは右手で頭を押さえていた。


「これは……もしかしてちょっとヤバいか……? 攻撃しようにも、あの鎖をかいくぐって近付くのは、きっと俺の鎧にも傷がつく……」


 ロインも眉をひそめている。

 そんなことをしている間に、チェーンデビルの鎖がダンジョンの壁や天井に当たって、火花を散らした。

 それでも鎖の勢いは衰えない。

 むしろ、ダンジョン内部を削り取って、ますます速度を上げるようだ。


「私の鎖の範囲内に入れば肉も骨もこそげ落ちる。さて、どうするつもりだ?」


 チェーンデビルはその場に足を止め、鎖を振り回し続けている。

 と、チンッ! と高い音が鳴った。

 割れた短剣が、刃と柄に別れて地面に落ちる。

 それはミャーンの投げたスローイングダガーだった。

 チェーンデビルの顔めがけて投げられたダガーは、だがしかし、鎖の暴風の前に呆気なく割られたようだった。

 ミャーンの口元が歪む。


「飛び道具もチェーンの壁を越えられないか。でも、魔法ならどうだ? マミアナ?」

「や、やってみる」


 マミアナが帽子を押さえたまま杖を掲げた。


「……万物のマナよ……!」

「実体のない魔法による攻撃なら鎖に遮られることも無いはず……やれる、マミアナならやれるぞ」


 そんなミャーンの励ましの言葉に被せるように、


「どうやらお前達の中で少し厄介なのは魔法使いだけのようだな」


 チェーンデビルが重々しく呟く。

 その途端、振り回されていた鎖の一本が、ひゅっ、と伸びた。


「ひ」


 マミアナの短い悲鳴。

 鎖は一瞬でマミアナに巻き付き、グルグル巻きになる。その締め付けで骨が軋み、皮膚が裂けたようだ。

 鎖に覆われたマミアナの、僅かに見える隙間からぶしゅうっと血が噴き出した。


「……!」


 ぎっちぎちに拘束され、マミアナは声も出せなくなっている。


「うわ!?」

「マミアナ!?」


 ロインとミャーンが叫び声をあげ、インプは嘲笑った。


「ヤッタ! ザマア!」


 チェーンデビルの重い声が響く。


「我が鎖は魂をも捕らえる。この魔術使の魂は私と共に地獄へ連れていこう」

「……そうはさせるか!」


 目の据わったミャーンが飛び出していた。

 鎖の暴風の中を、ミャーンが駆け抜ける。


「ほう?」


 チェーンデビルが鎖を何本もミャーンに向かって飛び掛からせた。

 一瞬の判断ミスで鎖に皮膚と肉ごと削られることになる恐怖。それをモノともせず、ミャーンは鎖を回避しつつ、チェーンデビルに接近していく。

 チュン、チュン、と鎖が掠めるごとにミャーンの肉がはじけ飛び、血の花が咲いた。

 それでもミャーンは止まらない。

 暗殺用のショートソードを構えて迫り、チェーンデビルへあと一歩。


「……マミアナを解放しろ!」

「蛮勇だな」


 そこで、ミャーンの足元にあった丸い輪の形の鎖がジャラジャラと動いた。輪が閉まる。ミャーンの足が絡めとられた。


「あ!?」

「お前は我が鎖のある場所へ誘い込まれていただけだ」

「ぐっ……!」


そして、ミャーンもまた鎖でグルグル巻きになった。


「もう半分か。お前達はどうする?」


 チェーンデビルが慈悲深く、ロインと新しい回復術師に尋ねる。


「生きたいか、戦って死にたいか、希望を言え」

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