第29話 正体を現した者
チッ! という鋭い舌打ちのような音。
それは辺りを貫いた。
もちろん、僕らの後ろからやってくるロイン達にもそれは届いたようで、
「……警戒しろ……私でも何がいるかまでは知覚できない……」
「……待ち伏せか……それともおびき寄せるための罠か……」
めっちゃぴりぴりしてる……!
どうするんだこれ……?
と、僕はヘルの表情を窺った。
「だから。私じゃない」
ヘルは今や不貞腐れたような顔つきに見える。
「あなた達が口づけを交わしたところで、なぜ私が舌打ちすると思う? 意味がわからない」
「……でも、他に誰が……?」
「しーっ!」
僕に密着しているラットが自分の唇に人差し指を当てていた。
「……ミャーンに勘付かれたとしても、このまま静かにしてれば場所まではバレないかもしれないよ……! だから静かに……」
僕らの後ろの通路に影が差した。
いよいよ来たか。
僕らは口を閉ざし、そちらに視線を集中する。
すぅっと、身を低くしてこちらを窺っている者がいる。
おそらくミャーンだ。
その後ろから、ぬっと顔を出したのは……ロイン。
傷一つない顔に訝し気な表情を浮かべ、
「なにかいるか?」
「シッ! まだ顔を出すな」
「なにも見えないが……」
「ケケ……」
濁った笑い声がロイン達の方から響いてくる。
「オマエタチ、モウ終ワリダ」
「ほほ……インプさんがなにか言いたげですね」
「オレノ知ラセデ仲間ガキタ。ツヨイ」
「ははっ! 俺達に返り討ちにされた雑魚悪魔が急にイキりだすじゃないか」
小突く音。インプの呻き声。
「ちょっと。捕虜をいたぶるのはダメだよ」
あの声はマミアナだ。どこかフワフワとした魔法使い。僕にもそんなに酷いこと言わなかった。
となると……、
「ほほ……インプさんは別に捕虜というわけではありませんよ」
今、笑い混じりに声を上げたあの女が、僕の代わりに入った回復術師か……。
黒衣に、妙に凝った飾り付けをつけている。
冒険に出るにしては華美な服装だ。
その回復術師が言葉を続けている。
「……インプさんは間抜けな情提供者さんです。ほほ……ありがたいですね」
「ナニ!? ナニ馬鹿ナコトヲ!」
「ほほ……強いお仲間がいるのでしょう? 身を隠している仲間がここにいるのをわざわざ教えてくれたのですから」
「ググッ!?」
インプが言葉に詰まり、ロインが馬鹿笑いする。
「はははっ! なるほど、バカだこいつ。……ってことで、そこにいるのはわかってるんだ。姿を見せたらどうかな? お仲間さん?」
僕らの方に向かって挑発して見せてくる。
……いや、ここには僕らしかいないんだけど……。
「チッ!」
その僕らのすぐ傍で、先ほどに劣らないほどのでかい舌打ちがさく裂した。
え!? なに!?
そして地の底から響き渡るような重い声。
「……これは何の茶番だ」
そこで僕らはようやく気付く。
僕らのすぐそばに、巨大な悪魔が佇んでいたことに。
体中に鎖を巻き付けたヤギ頭の巨大な悪魔。
毛並みは血で撫でつけられたかのように赤黒い。
なんでこんなのが近くにいたのに気づかなかったんだ!?
急に卵の腐ったような強烈な臭いまでしてきた。
それに悪魔が纏っている地獄の業火の影響だろうか。
肌がチリチリ焼かれるくらい周囲が熱くなっている。
気付けばこんなに存在感があるのに、これまで僕らの知覚ではとらえきれなかったようだ。
ロインの挑発に乗って、姿を現してくれたからこの悪魔に気付けた。
「うわ!? 本当に出てきた!?」
挑発した当人のロイン、半分腰が引けている。
巨大な悪魔は、じろりとロイン達に目を向けている。
どうやら……僕らがこの悪魔を見つけられなかったように、この悪魔も僕らが見えていないようだった。
巨大悪魔はインプに問いかけている。
「マジックミラーの呪い持ちがいるのではなかったのか? 我が主の印を持つ者が」
「ソレヨリコイツラヲ! コイツラ敵!」
縛り上げられたインプがロイン達を憎々し気に睨みつけている。
「コイツラノ中ニマジックミラー持チガイルカモ!」
「いない」
巨大悪魔は短く否定した。
それから、再び大きく舌打ち。
「……反響させても居場所がつかめぬ。よく隠れたものだ。いや、そもそもこの場にもういないのか、最初からいなかったのか」
巨大悪魔はインプを睨みつける。
「元々この場にいもしない印持ちがいると貴様にたばかられてここまで来てしまった、とんだ茶番というわけだ」
「イヤ、マジックミラー持チ、キットイル……」
そこでマミアナが青い顔になる。
「あの悪魔……おそらくチェーンデビルよ……!」
「チェーンデビル?」
ロインが首を傾げ、ミャーンが耳をピンと立たせた。
「第4層のレアボス級か……!」
「チッ!」
巨大悪魔チェーンデビルが再び舌打ちする。
「有象無象共ににチェーンデビル呼ばわりされるのは心外というもの」
チェーンデビルは僕らのことにはまるで気付かないまま、ずん、とロイン達の方へ歩みを進めていってしまう。
ヒュンヒュンと鎖を振り回し始めながら。
結局、全部こいつの舌打ちだったのか。
舌打ち音の反響で見えない相手の居場所を探るスキルがあるって聞いたことがある。
それを使って、僕らを探していた……?
と、ずい、とヘルが僕を覗き込んできた。
何か言いたそうな顔。
実際、言った。
「どうだ?」
「う、うん……」
僕はヘルの圧の強さに頷くしかない。
そんな僕を見て、ヘルは心なしかドヤ顔。
「私は嘘は言わない。私が正しかった。誰が舌打ちをしたか、あなたにももう明らかだと思うが?」
「わ、わかったよ……」
「理解したのならそれでいい。私は死の女神の使徒として嫉妬のような感情からは最も遠いところにいる存在だ」
「そ、そうだね……」
て、ことは。
僕はヘルにとって、嫉妬も何も感じない存在。
言ってみれば、どうでもいい相手ってことで……。
思い至って、僕はちょっと落ち込む。
「……やっぱり、ヘルにとって僕は、ある意味、ただの契約を果たすべき相手……ヘルは盗んだ命を返すまでの間同行する取立人みたいなもので……好きとかじゃないんだね」
「う……む」
ヘルの表情が無表情に戻った気がした。
「私は……あなたが好きではない」
「うん……」
「だが嫌いでもない。そこは間違えないで」
「実はちょっと……期待してたんだけどね。あはは、バカだな、僕って」
僕は頭を掻いた。
「仲良くなれたら……って思ってたんだ。僕、結構ヘルのこと、好きになってたみたいだ。あ、いや、い、いやらしい意味じゃなくてだよ!?」
「……そう」
「でも、そういうの逆に失礼だよね。ヘルは死の女神の使徒で……誰かを好きになったりすることはないんだから」
「……あ……あにょ……」
それまでなんだか黙って僕の手を握っていたラットが不明瞭な声を上げる。
「……みゃ、ミャーンにバレるかもだから……静かにしといた方が……」
ヘルは無表情に極力抑えた声を出す。
「あなたはもう少し人の気持ちを察する力を持った方がいい」
「うん、ほんと、仰る通りだよ……仲良くなれるかもなんて自分だけ舞い上がってて恥ずかしい……ははは。もう忘れて」
「あなたは……いつかひどい目に遭う……遭うべきだ」
言葉を途切れさせたヘルは、僕を凝視してきた。
睨みつけてきたと言っていい。
そして、一言付け加える。
「バカ」
「え、ちょ!?」
死の女神の信徒が、ばかぁ!?
こんなシンプル悪口、ヘルが口にするの初めてなんだけど!?
ヘルがくるりと僕に背を向ける。
ロイン達の元に向かったチェーンデビルの背を見ているようだ。
その際、ちらりと見えたヘルの頬が少し膨らんでいるような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます