第9話 回復術師、ニアミスする

「こ、こういう力尽くでいうこと聞かせるみたいなの、あたしはよくないと思う……い、いや、やるけど? 地下10階層まで連れてけばいいんだよね? 余裕余裕、だからそれ仕舞って? 怖いから」


 ラットはえっへへ……と目をキョロキョロ揺らしながら笑う。決して、ヘルの目は見ない。

 これはマズい。

 恐怖とか暴力で仲間にするとか……悪いことしてるみたいじゃないか。


「ちょっと待って、ヘル。ラットが怯えてるから。大鎌は仕舞って」

「あなたがそう言うなら、あなたがこの者を好きにすればいい」


 ヘルは素直に黒い塊を腕の中にひっこめた。

 ラットの口から、ふへぇっ、と安堵の息が漏れる。

 その様子を見て、僕は言いづらいことを口にする。


「あの、ラット? もしかして……地下10階層に行きたくないの? というか、地下10階層に行けるっていうのは噓だったとか……?」

「ふぇ!?」

「……だとしたら悪いことをしちゃったね。ごめんね、誰か他の人を探すから」

「なんだ。この者にわたし達を地下10階層へ導く力は無いのか。では用は無い」


 ヘルはすっかり関心を失ったように切り捨てにかかる。

 と、ラットはなにか心に触れるものがあったのか、慌てて反論し始めた。


「い、いやいや、待って!? あたし、地下10階層に行ったことあるって! ただ、ちょっと……そこへあんた達を連れてくには条件があって……それがちょっとあたし1人じゃ難しいっていうか……」

「条件?」

「……聞いても引かない?」

「引くような条件があるの? でも、その条件を満たせば僕らを地下10階層まで誰にも見つけられずに連れていけるんだね? 言って。その条件を満たすためなら僕らもできることをやるから」

「じゃ、じゃあ言うけど……って、こんな時に!」


 ラットは僕らの背後を見て、呟いた。

 ん? なんだ?

 と、僕も振り返って確認しようとしたその時、


「手! 手を握って! 早く!」


 いきなり僕の手をラットが掴み、ぎゅっと握りしめてきた。

 思わず、反射的に握り返す。

 やわらかくほの温かい。

 ラットの手の感触が僕の手に伝わってくる。


「な、なに? 急に?」

「いいから、このままでいて! それからあんまり喋らないで……! この程度の接触だとそんなに隠密レベルが高くならないからミャーンには勘付かれちゃうかもしれない……!」


 ミャーンだって?

 ということは……。

 僕はそっと振り返る。

 ギルド酒場の入り口が見えた。

 そして、そこを潜って店内に入り込んでくる冒険者数名の姿も。


「ロイン……」


 僕は呟いていた。

 さっき僕を切り捨てて踏みつけた、元友達と思っていた者の名を。

 そこにいたのは胸当てを身に着けたロインに、魔道服に杖を掲げた少女マミアナ。それにマミアナを庇うように油断なく目を光らせている皮鎧の獣人族の娘、ミャーン。

 今まで、僕の仲間だった連中だ。

 ここで会うのは、そりゃ当然だ。

 ロイン達だって冒険者としてギルド酒場を利用するに決まっている。

 一瞬、カッとした熱情が腹の底に湧いて、僕はロイン達に食って掛かりそうになった。

 よくも僕を利用するだけ利用して……!

 が、手を繋いでいるラットの存在に気付いて、我に返る。

 ……また、さっきみたいな目に遭うのか?

 ロインは僕を見かけたら容赦なくここから叩き出すだろう。二度と顔を出すなと言って。

 僕みたいな、ヒールしか使えない冒険者にあのロインから身を護る術はない。おまけに今度は魔術使のマミアナやアサシンのミャーンまでいる。

 今度は痛めつけられるだけじゃなく、殺されるかもしれない。


「……悔しいけど……いったんここを出ないと。ごめん、ラット。僕らはあいつらに見つからないようにここを出ないといけないんだ。話はまたあとでするから……」

「しー! 黙っててって!」


 僕とラットは手を握ったまま黙り込んでカウンター席上で頭を屈め、その様子を横からヘルがじーっと見据えている。なんでヘルが僕とラットを睨むように凝視し続けているのか、意味はわからないが。


 ロイン達は近くのテーブル席に座った。ロインが、元々そこに座っていた中級冒険者達に「ちょっと知ってる? ここ低レベルさんは利用禁止だけど?」と注意したところ、すごすごと席を空けたのでそこに腰かけたのだ。もちろん、そんなルールはない。

 だが、もう若くはない、頭の禿げかけた中級冒険者達はそのまま逃げるように酒場を出ていった。

 俯いて、足を引きずりながら。


「ちょっとロイン、そういうのやめなよ」

「なにがだよ、マミアナ。いいから座りなよ。せっかく先輩たちが席を開けてくれたんだぞ」

「そうだ、座れマミアナ。力無いものが力有るものに奪われるのは当然の摂理だ」


 ロイン達の内の2人が座り、1人はまだ立っている。

 座っている方の1人、ミャーンが諭すように言った。


「私達だって立場が変われば奪われる側だ。モンスターに奪われ、私達より強いパーティに奪われる。最低限、命まで奪われないためには今席を譲ってくれた先輩共のように、奪う者の手の届かぬところまで逃げるか隠れるかしかない。……そういう意味で、今回、奪われないように逃げ出したノアを責めるわけにはいかない」


 ロインは整った口元を醜く歪めて吐き捨てる。


「俺はノアみたいには逃げない。奪われないためには強くなるしかないんだ。だから俺達はノアみたいなゴミクズ役立たず野郎のことは忘れて強くならなきゃいけない」

「そんな……昨日までの仲間をそこまで言わなくても」

「いいから座れマミアナ。ノアはもう仲間じゃない。お前の言った通り、昨日までの仲間だ。お前だって、あの非力さには正直うんざりしていたんだろう? お前を護るための役にはもう立たない。忘れろ。その方が私達が生き残るのに有利だ」


 ミャーンがそういうのに続いて、ロインも言う。


「ノアが抜けた分、もっと強力な回復術師を雇えば俺達はもっと強くなれる。いいか? これから来る奴は大回復が使えて範囲回復もできるって話だ。回復だけじゃない。仲間の攻撃力や防御力を上げる祝福だって使えるんだ。そんな奴が今時ソロでいることなんて滅多にない。今回、絶対に仲間にしなきゃならない。そうすれば、俺達は大手パーティにも匹敵するくらいになれる」

「でも……あまり知らない人をパーティに入れて、うまくいくかしら……?」

「別にいいだろ、実力主義だ。俺達は仲良しごっこがしたくてパーティを組んでるわけじゃない。力のある回復術師がいたら、どんなパーティだって生存率が上がり、その分ダンジョン攻略に一歩近づける。想像してみろ! 俺達の手で誰もなし得なかった黒龍討伐を成し遂げる姿を! 栄光に満ちた未来を! でも、ノアがいたらそれは無理だった。あいつが足を引っ張ってた。いなくなってくれてよかったんだよ。だから、マミアナ。あいつのことはもう忘れろ」

「……それはあんまりにも薄情じゃない?」


 マミアナの呟きに、ミャーンが首を振って見せる。


「私もロインのように考える方がポジティブだと思う。マミアナ。マミアナが生き残る確率を上げるためにノアがいなくなったことはよいことだった」

「……そう。ミャーンがそう言うなら……」


 マミアナは空いている席に座った。

 ロイン達の席に着いたわけだ。

 僕はその様子を見ていて、僕の居場所はこのパーティから完全になくなったんだと悟った。

 ……。

 結局そうなるのか。わかってたことだ。

 と、僕の耳元で囁き声がする。


「どうする」


 ヘルの静かな声。

 僕も静かに応える。


「どうするって、なにを?」

「わたしに告げる名を変更するか? ただし、死の女神の元へ連れて行けるのは1人だけだが。どれにする? どれにしたい?」

「……いいんだ」


 僕は声を抑えて呟く。


「……誰か1人を腹いせに死なすよりは……ロイン達が間違っていたって思い知らせてやる方がずっといい。行こう。ダンジョンに」

「ミャーンは相変わらずだなぁ……」


 ラットも呟く。

 僕は眉をひそめた。


「そういえば、ラットはミャーンと知り合いなの?」

「それよりもいつまで手を握っている?」


 ヘルは静かな声でラットを質した。


「……これにはちょっと訳があって……」


 言いかけたラット。

 が、出てきた言葉は、


「ヤバい!」


 がたっ、と席を立つ音して、見ればミャーンがこちらを凝視している。

 ロインが不審そうに、


「どうした、ミャーン?」

「いや、そちらの方で私達の話に聞き耳を立てているネズミの気配が……」


 ミャーンは耳をひくひくさせて、それから鋭い視線を送ってきた。

 僕も彼女の察知能力は知っている。

 バレた……!

 そう思った瞬間、僕は首を捩じられ、ラットに無理やりキスされていた。


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