第5話 死神、嘘を吐く

 ぽつぽつとした雨はすぐに本降りになった。


「……おい、冗談だろ?」

「……ダメだ……」


 ならず者たちが、死んだならず者を前にざわめいた。

 彼等は各々、死人の脈を見たり、息を確かめたり、顔を見合わせている。

 そんな彼等に僕を構っている余裕はない。

 僕から目を離し、放り出す。


「……」


 そんな中、ヘルだけはまだ僕を見ていた。

 雨の中、銀の髪をあらわにして佇む。

 その銀髪が全く濡れていないことに僕は気付いた。

 雨が、ヘルという存在を無視して素通りしているような……。

 そういえば、ヘルの白い肌にはまとわりつく水滴もなく、ヘルのまとったマントに雨が当たって弾ける音もない。

 その姿はまるでこの世のものではなかった。この世の理から外れた存在。それ故に、誰とも何の関わりも持てず、一人ぼっちで儚げで。

 綺麗だった。

 そして、ぞっとする。

 虚ろな黒い瞳。

 僕がなにか間違えたら、この死の使いは簡単に僕の命を奪う。それだけの力がある。

 間違いが許されない存在の前に立たされているという思いが急に湧き、僕の舌を凍り付かせた。


「……えっ……と……」

「……答えて」

「な……なに、を……?」

「なぜ、わたしを助けようなどとした? わたしは傷つかないと言ったはず」


 そこに、怒号が響いた。


「おい、お前ら! 勝手に話すんじゃねえ! 殺すぞ!」


 ならず者の1人が歯を剥き出しにしていた。

 仲間の突然の死による戸惑いと不安を僕達にぶつけてきたかのようだ。


「ふざけやがって! なんだってんだ、クソ! てめえ、今すぐ裸に剥いてやる! お高くとまりやがって、このクソビッチが!」


 そのならず者はヘルに汚い言葉を投げつけ、腕を振り上げた。

 そうしてがら空きになった彼の胸板に、どこからか、スッと大鎌の刃が滑り込んだ。

 そのまま横薙ぎに払われる。


「えう?」


 汚い言葉を吐いたならず者が一瞬眉を顰める。

 その間に、黒い刃の大鎌は他のならず者たちにも振り回されていた。

 スパパパ、と刃が高速で閃き、ならず者たちの身体を刻んでいく。

 が、ならず者たちはみな一様に、困ったような顔をするばかり。


「ん? なんか今……?」

「……風?」


 そうして、黒い刃の大鎌はすぐに形を失い……黒い塊となってヘルの中へと戻っていった。

 そこで、僕はようやくわかった。

 さっきは微かにしか見えなかったもの。

 死んだならず者の首を一瞬よぎった黒い影。

 あれは、ヘルの大鎌の刃だったんだ。

 実際には体を斬ったり裂いたりしない、死神の刃。

 それはあっという間の出来事で、見えていたのは僕だけだったらしい。

 ならず者たちは、


「……なんだ?」

「今なんかあった?」


 顔を見合わせている。

 そんな彼等に、ヘルはガラス玉のような眼差しを向けた。


「あなた方の命は死の女神の元へ帰る」

「……はあ? なに言ってやがる?」

「わけわかんねえ」

「それが定めだったということ」


 ヘルは抑揚のない声で呟く。

 その声からは、目の前の出来事への興味がまるで感じられない。


「さっきからなんなんだ……」

「おい、それよりこいつ、死んだのどうする……」


 ドーンッ!


 突然の轟音と閃光。

 僕はひっくり返った。


「な、な、なに!? なにが起こった!?」


 そう慌てて、身を起こす。

 ゴロゴロゴロ……と雷の音。

 鼻をつく刺激臭。

 そして、目の前に転がるのは、煙りを上げている死体3つ。

 ならず者たちだ。

 さっきまで話していたのに。

 今は焼け焦げ、血管が文様のように浮き出た肌を晒している。

 斧を持ったならず者だけが立っていた。


「な、なあ……!? 雷が落ちた……!? こんな街中で……!?」


 茫然とした口調で、


「……こんなことが……ありえねえ……死神の婆さんに呪われてんのか……」


 と、仲間の死体の山を見て、それからはっとヘルを見る。

 引きつった声。


「……死の女神の……使徒!?」

「そう言った」


 ヘルは短く答えた。

 斧を持ったならず者は震え出し、


「聞いたことが……その化け物に狙われたら……」

「あなたもまた、いずれ死の女神の元へ返る」

「じょ、冗談じゃねえ!」


 斧を持ったならず者は叫び、踵を返して走りだした。

 酷い慌てっぷりで、肩越しにヘルを見返しながら必死の形相。

 追ってくるのを恐れているのがありありと見てとれる。

 そんな駆け方をしているものだから、


 つるっ。


 斧を持ったならず者は足元のナナバに気付かなかった。

 思い切り足を滑らす。


「うわああああ!?」


 さっきのならず者と同じだ。

 頭から落ちて即死。

 かと思われたが、


「ふんっ‼‼」


 斧を持ったならず者は踏ん張った。

 壁に、ばん! と手を当て転倒を堪える。


「へ、へへ……」


 斧を持ったならず者、引きつった笑みを浮かべた。

 死を回避した強運を誇る。


「この俺があんな間抜けな死に方するかよ……。残念だったなあ、死神!? ……あ?」


 そこはスラム街の安普請。

 ならず者が手をついて踏ん張った壁ももろい。

 落書きだらけのボロ壁はぐらりと揺らぎ、めりめりと音立て始める。


「あ」


 斧を持ったならず者は短く呟いた。

 その上に壁が倒れ掛かってくる。


『いつか潰す』


 そんな落書きの書かれた壁が、丁度ならず者に覆いかぶさるように。


ずん。


 と、鈍い音と共に、壁は一面丸々抜け落ち、その下にいた者を巻き込んだ。

 衝撃で一瞬舞い上がった埃を通して、倒れた壁が見える。

 その下から、どろりと赤いものが流れ出始めた。

 それもすぐに雨に混じって薄くなる。

 こうして、その場に立っている者は、僕とヘルの2人だけになった。


「……助かったよ、あ、ありがとう……」


 僕はヘルに礼を言った。

 これは全部ヘルの力にちがいない。

 さっき大鎌に斬られた者はみな有り得ないような事故で死んだ。偶然とは思えない。

 ちょっと怖いけど……こうやって助けてくれたってことは、僕に危害を加える気はないってことだろう。

 ……ないよね?


 礼を言われたヘルは、目を細めた。

 睨むようにして、


「なんのこと?」

「え……? いや、あいつらを倒して、僕を助けてくれたんでしょ?」

「違う」


 ヘルは鋭く言った。

 僕を見つめてくる。すっと細められた目には僕を射竦めるような力があった。


「全然違う。彼等の命は定めの通り、死の女神の元へ向かった。わたしがなにかをしたわけではない」

「そうなの?」

「そう」

「……じゃあ、あいつらをあの黒い刃の大鎌で切ったのはなに?」

「……」


 ヘルは押し黙る。


「……ねえ?」

「あれは戯れ」


 ヘルは僕から視線を外して、どこか虚空を見つめる。


「戯れ。冗談。意味のない行為。あなたは気にしなくていい」


 そうなのか。

 ええっと、つまり、かっこいいからやってみただけとか?


「……ヘルって思ったよりキッズなんだね」

「……」


 無言で、すごい睨まれた。

 そして、ヘルは再び口を開く。


「……あの者たちが命を失ったのは、死の女神の定めた通りの出来事。元から決まっていた。わたしが介入してああなったわけではない。……そもそも、死の女神の使徒が自らの意思でこの世の者と関わるわけがないのだから、思い違いをしないで」


 ヘルはこれまでの淡々とした調子とは異なり、どこか不機嫌そうに呟いた。

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