第2話 回復術師、不用意なことを言って死にかける
僕は混乱して、問い返す。
「ちょ、ちょっと待って? 僕が? 盗んだ? え、なにを? 心当たりがないんだけど……」
「あなたはわたしの命を死の女神から盗んだ。だから、死の女神に償いが必要」
「命!? 死の女神って……い、いや、僕は大怪我していた君にヒールを使って、その、むしろ、命を救った方だと思うんだけど……」
「わたしはヘル」
「え、あ、うん」
突然名乗られてまごついてしまった。
「あー、ぼ、僕はノアだ。ノア・ワイリー。回復術師をやって……」
「わたしは死の女神ヘルに仕える使徒。死の女神の娘。死の女神の娘は全てヘルになる」
「う、うん? あれ? 死の女神の使徒って……それって死神だって聞いたことが……」
僕は冒険者達の間でよく囁かれる、絶対に会いたくない魔物ランキングを思い出していた。
この世界でのあらゆる死を司る死の女神ヘル。その眷属たちは相手を即死させてくる能力を持ち、特に使徒は半神としてこの世界の存在から超越している。こちらからの攻撃も魔法も一切すり抜けてしまうという。
そんな恐るべき死神として、会いたくない魔物ランキングのトップ10には必ずランクインする。それが死の女神の使徒だったはず……。
「……君が、その死の女神の使徒だっていうの?」
「そう。わたしは死の女神の使徒として死すべき定めの命を集め、それを死の女神の元へ送る。なのに」
死の女神ヘルの使徒であるヘル──ややこしいな──は、虚ろな瞳で僕を見つめる。
「あなたは死の女神の元へ送られるはずだったわたしの命を途中で奪った」
「ええ!? ど、どういうこと?」
「あなたは癒しの力を使い、死の女神の所有物となるべきだったわたしの命を盗んだのだ。わたしの命は死の女神の元へは送られず、この世界に留まっている。これはあなたの引き起こしたことだ。あなたは死の女神に盗んだ命の代償を払わねばならない」
僕は頭を抱える。
「えーと、ちょっと待って? つまり……僕が君にヒールをかけたのが悪かったっていうこと? あのまま見捨てておけばよかった、って?」
「それが命の流れとして正しかった。あなたはその流れを遮り、わたしの命を留めてしまった。死の女神に送られるべき命が1つ減ってしまった。だから……あなたは死の女神に送る命を1つ選ばなければならない」
「え、それが君の言う代償? 命を……選ぶ?」
「あなたが死なせたい者を選ぶ。その者の名をわたしに告げる。わたしがその者の命を死の女神の元へと送る。死の女神は盗まれた命の代わりの命を得る。償いは為され、命の流れは正しさを取り戻す」
「僕がその名を口にした人を、君が殺すのか!? 君、死神なんだろ? そんなのに狙われたら」
「必ず死ぬ」
ヘルは短く答えた。
その素っ気なさに、僕は体の中がざわつくのを感じる。
あまりにも当たり前に人の死を口にする、かわいい女の子。これは……普通じゃない。
一見一般人に見えるけど実は頭のおかしい異常者と一緒の部屋に閉じ込められたみたいな緊張感。ヤバい、怖い。
異質の存在がすぐそばにいて、そいつはなにかのきっかけで、僕にだって牙を剥くかもしれないのだ。
「……あ、あはは、冗談だろ?」
「わたしの言葉が真実ではない、という意味なら、違う」
「君みたいなかわいい子が死神だなんて」
「……」
ヘルのガラス玉のような目がすっと細くなったように感じた。
と、ヘルの手に黒い塊のようなものが現われる。
それは見る間に大鎌の形になった。
そして、それが一閃。
「うわっ!?」
真っ黒な刃先が僕の身体をかすめた。
痛みはない。
ぞわっとしただけ。
「な、なにするんだ急に! ……あ、あ、暗い……目が……」
僕は膝から崩れ落ちる。
「力が……立ってられな……息が……でき……」
「……使徒は死の女神の元へ人の命を送る……これはその一端……」
ヘルの言葉も遠く、ぼんやりと聞こえなくなってくる。
感覚がなくなってきた。
なのに寒さだけは体を蝕んでいく。
「……ぼく……死……」
不意に視界が明るくなり、大きく息を吐けるようになった。
なぜか急に生き返ったようだ。
飛び起きる。
「……っ! はぁっ! はぁ、はぁ、一体、なにを……」
「あなたに、わたしが死の女神の使徒だとわかってもらうためにしたことだ」
「僕を……殺そうと……?」
「それはできない。あなたがわたしにあなた自身の名を告げないなら、わたしはあなたをヘルの元へ送れない。わたしの命を盗んだ代償として、あなた自身の命を送ると言ってくれるのなら別だが」
「で、でも、僕は現に死にかけたんだけど!?」
「死にかけただけだ」
ヘルはじっと僕を見つめる。
「死にはしなかった。死なせられないから。そして、死なすことはできないが、それを何度も繰り返すことならできる」
「い、今のあれを延々とループさせるっていうの!? やめてください! 死んでしまいます!」
「死なない」
ヘルは頑なな口調で言った。
僕は震え上がる。
あの黒い大鎌に触れた途端、どんどん苦しくなって、自分が小さく、無くなっていく感覚を味わった。あれをずっと続けさせられるなんて嫌過ぎる……! 正直……力が抜けた時、おしっこも漏れそうだった。
ヘルの抑揚のない声が続く。
「理解したと思う。あなたはわたしのことを死の女神の使徒以外の何物にも例えるべきではない。余計な形容は不要」
もしかして、気を悪くしてたのか。僕がヘルのことを死神に見えないと疑ったから?
だからって、突然、死の恐怖を与えてくるのやめて欲しい。
そこへ、ずいっとヘルが僕の顔を覗き込んでくる。
ガラス玉のような瞳が、僕の心を見透かすように、視界に入り込んでくる。
「さあ、あなたの望む者の名を言え。死を望む者の名を」
「う……」
つまり、今の僕はこんな状況か?
簡単に言うと、僕に命を助けられた死神がお礼に誰か1人好きな奴を殺してくれるっていう……。いや、でも全然お礼に、って感じじゃないな。僕がヒールかけたこと感謝してないし、むしろ咎めてるみたいだし。誰か1人死なすことで償わせるというのは……。
僕の頭の中に、ロインの顔が浮かんだ。
僕を利用して、用済みになったら放り出したロイン……。
自分達だけレベルをあげて、ダンジョン攻略による富と名声を得ようとしているロイン達一行。
でも……。
「……ねえ、命を奪う相手っていうのは人間じゃなくてもいいの?」
「ヘルに送られる命は全て等しいとされている。盗んだ命1つに対して、購われる命は1つ。それだけが定められたことだ」
「……なら……例えば、ダンジョンのラスボスでも?」
僕は、ロイン達の悔しがる顔を思い浮かべた。
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