第13話 心地よい睡眠

 なんとなくカルテに似ていると、リューゲが俺の案内をすることが決まった時から感じていた。

 そして、さっきの微笑みを見て、それは確信に変わった。

 顔は違うが、なぜか間違いなくカルテだと思った。

 その正体が思った通りカルテだと知り、嬉しかった。

 と同時に、王女がこんなところで何をしているんだろうと、おかしく思えた。

 しかし、疑問は残る。


「それは魔法なのか?」

「……」

「……なぜリューゲになっているんだ?」

「……」


 カルテは黙ってしまった。

 どうやら答えるつもりは無いのかもしれない。

 彼女は王女なのだ。

 答えられないこともたくさんあるのだろう。

 外に出る理由は色々と考えられる。

 もしかしたら単純に息抜きがしたかったとか。

 城の外の生活を調べる為とか。

 いや、考えてみれば、今日は裏切られて危うく命を落とすところだったのだ。

 城の人間に不信感を持っていても不思議じゃない。

 俺は今朝の出来事を思い出す。

 更に、前世で桜の前で何もできなかった無力感を思い出す。

 今はとにかく俺が彼女を守ろう。


「さっきの生活を共にするという話は、そのままでいいんだな?」

「それは……はい。ハルさんがよければですが……」

「じゃあ宿を探そう」


 カルテが驚きの表情でこちらを見てくる。


「カルテにも事情があるんだろう?ひとまず俺と行動を共にする間は護衛をすることができる。俺にとっても安心だ」

「ありがとうございます……!すいません。嘘をついて」

「いいよ。とにかく、宿を探しに行こう。もうすっかり夜だからな」

「はい!」


 再び笑顔を見せたカルテと共に、宿の探索を始めた。


≈ ≈ ≈ ≈ ≈


「こちらの宿はいかがでしょうか?平民向けの宿なので外れた時は怖いですが」


 カルテいわく、平民向けの宿だと当たり外れの差が大きく、外れの宿は部屋は臭いし虫も出るそうだ。

 貴族向けの場合は概ねどこも衛生に気をつけていて、体を洗うための水も用意してくれるらしい。

 だが、平民の格好に変装している今は、貴族向けの宿に泊まることはできない。

 目の前にある宿は、特に問題も無さそうに見えるが、中は見てみないと分からない。

 その辺は賭けだそうだ。


「ひとまず入ってみよう」

「かしこまりました」


 相変わらずリューゲとして案内役の口調で接するカルテについていく。

 彼女には今リューゲの為の護衛がついており、その護衛に正体がバレてしまうことは問題になるそうだ。

 一度正体を知るとリューゲを演じるカルテは奇妙で面白い。

 リューゲとは接したことは無いが、なんとなく表情一つ変えない冷徹な人を想像した。

 宿に入ると、既に消灯時間のようでランプ一つの暗いロビーがあった。

 まるでお化けでも出そうな雰囲気だ。

 更に鼻を刺激するむわっとした空気に包まれる。


「これは……外れか?」

「……限りなく外れに近い当たりです」

「……わかった。じゃあもう夜も遅いし、ここにしよう」

「はい……」

「こんばんは」

「うわああああ!!!」

「きゃああああ!!!」


 で、出た!?

 心臓をバクバクさせながら声のした方を見ると、小さなお婆さんがいた。


「幽霊ではありません」

「ひ、人か……」

「受付です」

「受付か……部屋を一つ借りたいんだが」

「ありがとうございます。二人用ですと、銅貨十五枚になります」

「銅貨十五枚だな……えーと……これでどうだ?」

「はい、たしかに。それでは少々お待ち下さい」


 ハルは生まれて初めて恐怖を知った。

 前世でも春風はホラー映画を見るとよく叫んでいたが、その時の気持ちを今になって理解した。

 それは嫌な感情ではあるが、人を、春風を、また一つ理解できた嬉しさもあった。

 少しして受付のお婆さんがランプを二つ持ってやってきた。

 一つは客用らしく、それを渡すと先に歩いていく。

 その後をついていくが、階段を上る時にはギシギシ音がするし、廊下はところどころ穴も空いてるし、これで当たりに入るなら外れはどんな宿なのだろうと思った。


「こちらがお部屋になります」

「ありがとう」

「こんなところですまないね。私ももう体が動かなくてね、掃除もろくにできないんだ。何かあったら言っておくれよ。それじゃあ、ごゆっくり」


 その言葉に、ハルは咄嗟に返す言葉が見つからなかった。

 そのお婆さんの悲しげな表情は老年の春風に重なって見えた。


「あ、あの……」

「ん?」


 声に振り向くと、カルテが躊躇いがちにこちらを見ている。


「同室でよかったんですか……?」

「別がよかったか?」

「い、いえ!同室でいいならいいです!」

「ならよかった。一緒に寝る時こそ俺の頑張り時だからな」

「え!?!?」

「今日はカルテも疲れただろう。早く休むといい」

「あ、え、あ、はい」


 今日はもう遅い。

 これから外出することも無いだろう。

 俺は二つのうちの一つのベッドに荷物を置いて、そのまま座った。

 カルテは自分のベッドに腰掛けるも、俺のことを見ている。


「あの、何をなさるんですか?」

「今日は少し暑くないか?」

「はい。少し蒸しますね」

「だよな。だから、少し冷房と除湿をしようと思う」

「冷房と除湿、ですか」

「ああ。それに試したいこともあるんだ。俺に構わず寝て欲しい。カルテが気持ちよく眠れる部屋にするのも俺の役目だ」


 そう言って俺は意識を集中する。

 今日必要なのは弱冷房除湿だ。

 部屋の窓は木製の鎧戸で、開けずとも隙間が沢山ある。

 ここから部屋の空気を外で冷やして水分を減らし、少し冷えて乾いた空気を戻す。

 連続で続けると冷えて乾きすぎるし、間を空けすぎても駄目だ。

 自動運転が出来なければ俺も睡眠をとることが出来ない。

 だが俺は何十年もエアコンとして生きてきた。

 そのくらいはできるはずだ。


 風魔法、起動。

 弱冷房除湿モード。

 風量0.01。


 風量はこの世界では1でも強すぎるので小数を試みる。

 部屋の空気が動き出す。

 小数もいけた!

 これならかなり微妙な調整も可能になる。

 かなり嬉しい発見だ。


「あ、なんか涼しくなってきました」

「寒くはないか?」

「はい。気持ちいいです」

「よかった。じゃあ温度と湿度はこのくらいだな」


 俺は現在の温度と湿度を覚える。

 これがカルテの快適環境、と。

 続いて、俺は前世には無かった機能に挑戦する。

 空気清浄機能。

 CMで何度も見て羨望を禁じ得なかった機能だ。

 だがあれには電気を巧みに操る能力が必要だ。

 俺にできるだろうか。

 とにかく試してみる。

 空気を循環する際にプラズマでイオンを……。

 こう……電気で……。

 ……。

 少しの間挑戦してみたが、無理だった。

 やっぱり俺にあんなハイテクな機能は無理か……。

 しかし、このなんとも言えないニオイはどうにかしたい。

 部屋の空気を何かで綺麗に出来れば……。

 ……。

 いや。

 別に部屋の空気を綺麗にする必要は無いじゃないか。

 外の空気と入れ替えてしまえばいいのだ。

 要するに、換気。

 部屋全体の空気を入れ替えつつカルテの快適環境を保ち、カルテの周囲は風を感じさせないように穏やかな流れにする。

 家庭用エアコンは基本的に換気はせず、部屋の中の空気を温度と湿度を調整して循環させている。

 その方が温度と湿度を一定に保ちやすいのもある。

 だが、風魔法が使える今なら、換気をしながら外から取り込む空気の温度と湿度を変更することもできる。

 これならフィルターが無い問題も解決できる。

 これだ。

 俺はまずカルテの周囲の空気の動きを遅くして穏やかな流れにした。

 そして、両開きの鎧戸の右側の隙間から温度と湿度を調整した外の空気を取り込み、部屋の空気を回るようにして左側の隙間から中の空気を排出した。

 その際に部屋の隅のホコリ等もまるっと外に出す。

 風量は0.3。前世のエアコンの最大風量よりもだいぶ強い風が吹いているが、カルテの周囲はゆっくりとさせているので睡眠を阻害することは無いはずだ。

 ただ、ゆっくりしている分、空気の入れ替わりに少々時間がかかる。


「あ、すごい、くうきがきれいになりましたね。きもちがいいです」

「そうか。よかった。空気を入れ替えてみたんだ。これで気持ちよく眠れるといいんだが」

「はい。ねむいです」


 カルテは既にベッドに横になってウトウトとしている。


「ああ。おやすみ」

「おやすみなさい」


 カルテは眠りについた。

 今日は朝から大変だっただろう。

 俺の風魔法で心地よい睡眠がとれるなら、それほど嬉しいことは無い。

 前世の俺の存在意義のようなものだ。

 人になったからと言って、この仕事を手放したいとは思わなかった。

 後は俺が寝ても自動でこの魔法を維持できるように……。

 意識を緩めても続くように……。

 ……。

 …………。

 その後、ハルはカルテが起床する二時間前まで無意識下で魔法を維持する訓練を続け、寝落ちした。

 翌朝、カルテが目を覚ますと、寝ているはずのハルが極めて高度な魔法を維持していることに驚愕し、尊敬と恋慕を強めることになった。

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