■宮下瑞穂の話 炎上

「……なんですか? それ」

「火炎瓶。川田卓治さんを殺した後に、わざわざ火をつけてたくらいだから、火が弱点の可能性もあるなぁ、と思って」

「鞄の中に入れてたんですか? いつから?」

「他にも御霊さんの除霊グッズとか色々あるよ。……このタイミングで職質されたらヤバかったねぇ」

 

 藤村さんはものすごく物騒な事を言いながら、私にウィンクしてみせた。

 

「ちなみに、火炎瓶を製造し、又は所持した者は、三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処されます」

「本気の犯罪者じゃないですか」

「化け物相手になりふり構ってらんないでしょ」


 藤村さんはそう言うと顎をしゃくる。その方向に振り返ると、さっきまで私を包みこんでいた肉塊は、未だに御札から距離を取ろうと縮こまっていた。

 

 無数の目の真ん中についた大きな口は、ガタガタに並んだ歯をむき出しにながら甲高い声で叫び続けている。


 おいたをしましたね

 しかたのないこですね

 でもだいじょうぶですよ

 あなたはあなたはあなたはわたしたちの大切なよめであなたたちはわたしたちのかぞくかぞくかぞくですからずっとずっとずっとずっとずっと


 その手前で、私の同僚――織田課長と先輩たちは棒立ちになり、真っ黒な目でこちらを睨みつけていた。

 

 ――よく見たら、その首が不自然に捻じ曲がっていたり、頭の半分が凹んでいたりと、もはや生きた人間には見えなかった。もう、手遅れだ。一人を除いて。


 私はその一人に駆け寄ると、肩を揺すって呼びかけた。


「……中塚さん! 起きて!」

「だいじょうぶ……だいじょうぶ……だいじょうぶ……だいじょうぶ……」


 中塚さんはぺたりと座り込み、大きなお腹を両手でさすりながらぶつぶつと呟き続けている。彼女の口の端からは透明な涎が垂れていて、とても正気には見えなかった。

 

 私に仕事を教えてくれた、優しい先輩。

 お腹の中にいるのは二人目の赤ちゃんだって言っていた。彼女のパソコンのデスクトップになっている七五三の着物を着た女の子の写真が脳裏に浮かぶ。

 彼女には、待ってる子どもがいる。

 

 ……見捨てられない。絶対に。


「いきているかしんでいるかはさまつなことなのです。このこは、わたしたちのかぞくとして、ずっと、ずっと、ともにありつづける。やなかたのために、やなかたのために、やなかたのために、やなかたのために」


 妊婦用のゆったりしたワンピースのお尻の部分に、じわりと赤い液体が染みていく。血だ。


「……はやくお医者さんに診せないと」

「瑞穂ちゃん、この人運べる?」

 

 私は頷いて、中塚さんの腕を肩に担いで立たせると、なるべく肉塊から離れた部屋の隅へ、半ば引きずるようにして移動させる。


 背後で藤村さんが投げた火炎瓶が割れる音と共に、肉塊から甲高い悲鳴が上がった。


 ぶわりとした熱気が広がって、私の背中に汗が滲む。数本あった火炎瓶を投げきったらしい藤村さんが駆け寄ってきて、中塚さんを抱え上げた。


「退却しよう」


 

 薄暗い廊下を、私たちは並んで走る。来たときと違って、随分と長い道のりだった。身重の中塚さんを抱えている藤村さんは、さすがに疲れの滲んだ表情をしている。


 途中、横を通り過ぎた部屋の中からはたくさんの視線を感じた。そして、ぱたぱたと走り回る小さな足音も。……きっと、早逝した矢中田家の子どもたちだろう。

 

 かぞくと繋がった私に流れ込んできた記憶で見た、「かかさま」――矢中田雪子さんの子どもと孫たちが、私達を見ている。


「行っちゃうの?」

「なんで」

「あそぼうよ」

「かぞくでしょう?」


 私は淋しげな声に心を痛めながら、それでも必死にそれを振り切った。 

 彼らはこの地下の壁に、骨や歯を埋められて魂を縛られているのだ。まるで人柱のように。


 雪子さんにとってその行為は、亡くなった子どもたちと共にあれるという救いだったのだろう。


 ――生きているか死んでいるかは些末なことなのです


 それは彼女の本心だった。そして死んだ子どもたちは、会社に幸運と富をもたらす福の神になった。まるで生贄を捧げたかのように。


 ――あの人は、あたしの子どもたちを殺した

 

 それはいつからか狂気となって、おそらく彼女は孫を殺し、それを知った息子の妻に殺された。


 ――みんな、みんなだいじょうぶにしてあげよう


 そして、ここに祀られた何かと混ざり合い、息子である耕造氏の手によって、雪子さんは守り神……「あじゃさま」になったんだ。


 ――化物だって、飼いならしてみせる


 そして一度は御霊雅代の手によって封じられた彼女は、現社長の手によって蘇った。


 外へ続く扉が見えてきた。私達はそこから飛び出して――

 その光景のあまりの醜悪さに絶句した。

 

 地下へ降りたときに見たのは、精巧な日本の田舎の光景の――綺麗なレプリカだった。

 

 しかし今や、空を模したのだろう天井は赤黒く変色し、そこからは粘着質な雨をぽたぽたと滴らせていた。 

 水田を再現したはずの地面からは茶褐色をした稲穂に混じって無数の腕が突き出していて、ゆらゆらと私たちを手招いている。その間を流れる水も当然のように異臭を放つ濁流だ。


「……怒ってるね」


 藤村さんが頬を引きつらせる。私は無言で頷き――背後を振り返った。


 今しがた私たちが出てきた日本家屋は燃え盛り、その入口からは無数の手が突き出していた。

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