◯矢中田家の話 耕造

 私は絶叫した。


 目の前には頭を潰された母が、矢中田雪子が横たわっていた。藤色の着物は無惨に赤く染まってしとどに濡れている。袖から覗く手は、幼い頃から私の頭を撫でてくれた優しい手は、嘘のように青白くぴくりとも動かなかった。


 何故こんなことに。なぜ妻はこんなことを。


 いや、そんなことは、どうでもいい。

 あじゃさまがいないと、私は、わたしは駄目なのだ。


 重大な決断をするときは、必ずあじゃさまの意見を聞いた。思うように売り上げが伸びないときは、夜通し慰めてもらった。

 そもそも菓子作りを始めたのも、あじゃさまが私が作った煎餅で笑ってくれたからなのだ。


 私には、この会社を一人で背負うことなど


「だいじょうぶですよこうぞうさん」


 膝をついた私の前で、あじゃさまだったものから声が聞こえた。


 赤と藤色の着物がゆっくりとその身を起こす。首は不自然な角度に曲がって、顔はほとんど潰れていたが私にはそれが優しく微笑んでいることがわかった。


 あじゃさまからは、神々しいと表現するにふさわしい気配がした。倉庫の弱々しいはずの照明が、後光のように彼女を照らしている。

 

 ぼくは涙を流しながら、自然と手を合わせていた。母は、あじゃさまは、この世を抜け出すことで、もっと素晴らしい何かになったのだ。


「わたしはわたしはずっとずっとこうぞうさんのかかかかかかぞくですからねねねねね」


 それならば、ぼくはここであじゃさまに孝行します。昔みんなで住んでいた、田舎の家にそっくりなものを建てますね。猫もたくさん飼いましょう。あじゃさまが好きだと言った夏の風景を再現して、心地よい場所にします。そうだ、あじゃさまのお声も皆に届けましょう。みんな、みんなだいじょうぶにしてあげよう。


 ぼくは涙を流しながら、笑った。

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