■芦原瑞穂の話 訪問者

 ……チャイム?こんな夜中に?


 私が驚きで動けないでいる間に、もう一度チャイムが鳴った。悪戯にしても、悪質だ。


 私が恐る恐る自室の戸を開けて廊下に顔を出すと、寝室からやってきたのであろう、寝ぼけ眼のお父さんと出くわした。


「おう、瑞穂。起きてたのか……。母さんに起こされたんだけどな、チャイム、鳴ってるのか?」

「うん。二回くらい」


 私がそう答えた瞬間、私たちの会話を聞いているかのようなタイミングで、三回目のチャイムが玄関のほうから鳴り響いた。私は、さすがに目が覚めたらしいお父さんと顔を見合わせて、ひそひそ声を交わし合う。


「……酔っぱらいが、マンションのフロア間違って押してるとかかな」

「そうだろうね。ていうか、こういうこともあるかもだから、モニターホン付けようって言ってたんじゃん……」

「まぁ、父さんもいるし、安心しなさい。ドアは開けないし。まずそうな相手なら警察に連絡すればいい」


 確かに父は、縦にも横にも大きく巨漢といって差し支えない体型である。学生時代は柔道をやっていたという経歴のおまけ付きだ。こういう時には非常に頼もしい。

 

 お父さんは玄関まで歩いていくとドアの外に向かって野太い声を張った。


「はい、芦原ですが、こんな夜中に何かご用ですか」


 お父さんが、おそらく故意に、怒りをにじませた声で言う。扉の向こうは数秒沈黙して――場違いに明るい男の声が返ってきた。


「こんにちは! わたくし、株式会社スノウ製菓の者ですが」

「……はい?」


 お父さんは目を丸くして、後ろで見守る私の顔を振り返った。それもそのはず、深夜の訪問者が告げた社名は、私の勤め先のものだったのだから。

 私も私で唖然としてしまう。いくら勤め先の社員とはいえ、こんな夜中に同僚から自宅へ押しかけられるいわれはない。

 

 私たちの戸惑いを無視して、ドアの向こうの男は話し続ける。


「実は、この度弊社がはじめました新サービス『お菓子の定期販売 甘スク!』についてご紹介させていただきたく、このあたりの皆様にご挨拶を兼ねて回らせていただいておりまして」


 私は、既視感のあるシチュエーションに息を呑むんだ。お父さんは、明らかに苛々した声音で訪問者を詰問し始めた。

 

「……あんたね、今何時だと思ってるの?」

「これまで、法人様に大変ご好評いただいておりましたサービスです。この度個人やご家庭にもサービス拡大となりましたのでご紹介に上がりました」

「……聞いてんのか? おい!」

「美味しいお菓子が毎月定額で楽しめる、プランも月々千円からと大変お得になっておりまして」

「いや、だからね。……警察呼ぶよ、あんましつこいと」

「お忙しいところ申し訳ありません。実はわたくしごとですが最近家族が増えまして。子どものためにも頑張っております」

「…………」

「お時間はそんなに取らせませんから、名刺だけでも手渡しさせていただけませんか?」


 ――川田卓治氏の話のとおりだ。

 

 夜中に訪れるセールスマン、噛み合わない会話で、営業をしてくる。

 

「お時間はそんなに取らせませんから、名刺だけでも手渡しさせていただけませんか?」


 壊れた録音データのように、扉の向こうの男は同じフレーズを繰り返す。父は既に無言で、困惑顔でパジャマのポケットからスマホを取り出した。110番通報する気だろうか。

 私は我に返り、お父さんの右手を抑えて首を振る。お父さんは怪訝な顔をしたけれど一旦は私の意図を汲んでくれたらしい。


「お時間はそんなに取らせませんから、名刺だけでも手渡しさせていただけませんか?」

  

 ――これが川田卓治氏の身に起きた怪奇現象と同じなら、あれを刺激するのはまずい。川田氏は会社にクレームを入れただけで殺され、家に火までつけられたのだ。

 狂人を刺激しないよう、こちらが敵ではないと思わせるためには、どうしたらよいか。 


「お時間はそんなに取らせませんから」

「あ、あの」


 私が呼びかけると、ドアの向こうの何かはぴたりと言葉を止めた。

 

「わ、わた、わたし、スノウ製菓の、新入社員なんです。そ、総務部の芦原です。えと、庶務チームで、園枝さんの後輩です。なので、あの……うちと契約しても、あなたの営業成績にはならないと、思います」

「おい、瑞穂」


 情けないくらい震える声で、それに話しかける。お父さんには小声で咎められたが、構わず続けた。


 沈黙。見えもしないのに、その何かが我が家の表札を舐めるように眺めているのがわかる気がした。


「……なんだ。後輩の家だったのか」


 突然、全ての感情が抜け落ちたような声音になって、それはポツリと呟いた。


「ごめんごめん、気づかなかった。園枝さんの後輩か、なるほど。今後ともよろしく」


 なんでもない、普通の言葉だった。でも、先程までと違い、声に抑揚が全くない。まるで機械音声が台本を読み上げているような、感情のない音だった。

 父は私に縋りつかれながら、ドアに穴が開きそうなほど見つめている。


「では、失礼しました。芦原さん、会社で、またね」

「……あの、あなたの、名前は」


 それから帰ってきたのは、私が予想していたとおりの答えだった。

 

「営業一課の、芹山翔一です」

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