第2話
真っ黒なダイニングチェアに光が落ちていた。
廊下から差しこむ光は細長く、みすぼらしいモスグリーンのタイルを爬虫類の肌のように反射していた。
俺は左腕でイチイの脚をかかえこむ。壁の隅にイチイの体を押さえつける。
唇をむさぼる。混ざりあった唾液が垂れる。荒い息遣いが、俺たちの間を行き交った。
闇の中で彼女の表情は見えない。
しかし照明のコントラストの中に浮かんだ彼女の左腕はだらりとしていて、拒否の意思を示していなかった。
だからこそ俺は、苛立った。
だからこそ俺は、欲情していた。
だからこそ俺は、「やめて」と言う彼女の言葉を無視し続けた。
なぜなら俺は、イチイを許せなかったからだ。
息を漏らしながらイチイは言う。
「こんなことになるなんて……知らなかったから」
俺は彼女の白いブラウスをずらす。俺が買った濃紺のスカートは、ただただ邪魔だった。
「知らないからって……良いはずがない」
“機械“を治す仕事はこの街に溢れている。溢れている仕事っていうのは碌な物が無いが、俺の仕事も例外では無かった。
油だらけの錆だらけの汗だらけになって、無用な程にバカでかい機械を治す。
朽ちたビルの間にそびえるそれらの“機械“は、無用の長物にしか俺には見えなかったが、旧文明が作った錆だらけの街を維持する為には必要不可欠な仕事らしい。
灰色の作業着に身を包んだ同じ仕事の奴らが、毎朝“機械“の前に群れる。
規則正しく配置された俺たちは、よく分からない作業を単調に、しかし緊張して続ける。
そして手元が暗くなる夕暮れに、仕事は終わる。
なにごとも無く終わる日もあれば、機械に「食われて」数人いなくなる日もある。
だから仕事が終わった後には、性欲が増していた。
管理者に聞いたことがあったが、死に際すると人は性欲が増すらしい。「どうにかして命を繋ぎたい」という願望が増すらしい。
彼の言ったことが本当かどうかは知らないが、しかし俺にとっては確かに、そんな感覚があった。
俺はイチイの体をさらに壁に押し付けた。俺の腹に、彼女の肋骨がくっきりと押し付けられる。
錆びた鉄と比べると、イチイの肌は柔らか過ぎて華奢過ぎて、いつでも壊れそうだった。
イチイはなすがままだった。彼女の体からは意思その物が感じられ無かった。
闇の中の彼女の髪がこぼれて、照明で青白く浮かび上がった。目を伏せていたイチイは、俺と視線を合わせた。
わずかな光で黒い虹彩の奥が、乱反射する。涙の香りがした。
イチイの少し厚い下唇が、ゆっくり開かれる。
そして紅潮したイチイは、吐息混じりで俺に言う。
「でも……ねえ?教えて?
あなたの名前……」
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