ジルフィンの街(2)

 通路の先から光が差し込む。朝になった。

「おはよう」

「あ、おはようございます……」

 朝になったが、事態は改善しない。

 仕事を探したいが、酒場も、冒険者ギルド事務所なども、早朝は開いていない。かなり日が高くなるまで待たないといけない。

 することもないので、昨日の夫婦を探しに街を歩き回る。とはいえ人口の多い街である。見つからない。

 もちろん朝食もとれない。二人とも腹が減ってきた。

 仮にギルド事務所で、魔物討伐などの仕事がみつかったとして、討伐に行って実行して帰って報酬を受け取るまで、何時間かかるだろうか。もしかしたら今日中には終わらないかもしれない。それに通行証がないので、街の外での仕事は受けることができない。

 ウィリアの鍛えられた肉体は栄養を欲している。ゲントも体格が良いので、かなり食べる方である。空腹がこたえる。二人ともどんどん元気がなくなってきた。

 商店街を歩いていた。料理店が並んでいる。

「……」

 ウィリアはそれらを眺めていて、無言だった。

 大きめのレストランがあった。その横を通り過ぎようとしたとき、入口から店主らしい人が出てきて、壁に紙を貼った。

〈急募 皿洗い等 短期 委細面談〉

 二人はそれを見て足を止めた。

「レストランだったら、まかないが出るよな……」

「まかない……ああ、従業員の食事ですね」

「……皿洗いなら、僕でもできるかな」

「わたしはあまりやったことはないですが……がんばってみます」

 二人はレストランに入った。

 店主が一人でいた。

「あー、まだ開いてないよ」

「いえ、表に皿洗い募集ってありましたよね。雇っていただきたくて」

「おや、貼ったばかりなんだが、早いな? まあそこに座って」

 二人はテーブルについた。店主と向かい合う。

「女騎士に、商人か? あんたら冒険者か?」

 ゲントが答えた。

「ええ、まあ、そんなところです」

「わりといいもの着ているようだが、なんでこんなところで?」

「昨日の騒動のドサクサで、持っているものを盗まれてしまって……。いま一文無しなんです」

「なるほどな。実はこっちでも、皿洗いやってたやつが、昨日の襲撃で……」

 ウィリアが言った。

「亡くなったのですか?」

「いや、ケガはしてないようだが、実家が壊されて、片付けするので来れないって言ってきた。それで困ってたんだ。じゃあとりあえず働いてもらおうか。給料は一日十五ギーンだが、いいか?」

「十五ギーン……」

 ウィリアは自分の金銭感覚とかけはなれた金額に戸惑いを覚えたが、これが普通なのだと思い直し、何か言うのはやめた。

 ゲントは頭を下げた。

「ありがとうございます。あと、すみません、まだごはんを食べてないのですが、まずなにか食べさせてくれませんか?」

「ああ、いいよ。パスタで良ければすぐできる」

「おねがいします。できれば大盛りで」




 食事をして、二人ともやっと一息ついた。

「じゃあ、兄ちゃんは洗い場やってくれ。今は仕込みの時間だ。まずジャガイモとタロイモを洗って、それが終わったらタマネギ剥きやっててくれ」

 ゲントは厨房に立たされた。

 ウィリアが訊ねた。

「あの、わたしは……」

「ああ、洗い場は一人でいいんだ。あんたには給仕やってもらう」

「え? 給仕?」

「注文を聞いたり、料理を運んだりするんだよ。これも一人来れないらしくて、補充が要るんだ」

「でも、わたし給仕って、やったことがありません……」

「やったことがなくても、店で食事したことはあるだろ? そのときの店員と同じ事をやればいいんだよ」

「は、はい……」

「女給には制服がある。これを着てくれ」




 ウィリアは鎧を脱ぎ、制服を着た。

 ブラウスとスカート、そして長靴下という服。

 ブラウスは、胸元が広く開いている。胸の谷間が見えそうだ。

 スカートは、パンツを隠すのに必要な長さはある。とはいえ、必要な長さがあるだけである。

 長靴下は紅白の縞模様で、膝上まであった。

 全体的にウィリアにはやや小さいようで、あちこちがぱつぱつに張っている。体を動かすと、ブラウスとスカートの間で肌が見えそうだ。

「これ、少し、小さいですよ!」

「いまそれしか無いんだ。着れるみたいだから、我慢してくれ」

「それに、このスカート、なんでこんなに短いんですか!?」

「なんでスカートが短いかって? 客が喜ぶからだよ」

 理由は明確だった。

「なりはそれでいいとして、あんた表情が硬いな。接客するんだから、笑顔になってくれ」

「わたしは父をうしないました。微笑ほほえもうとは思いません」

「なにわけのわからないこと言ってんだよ。俺だって去年オフクロを亡くしたよ。親が死のうが何だろうが、客商売なんだから、笑うの!」

「……」

「ほら、笑って!」

「……こ、こう、ですか……?」

「それじゃかえって怖いよ。もっと自然な笑顔で」

「……こ、こう?」

「うーん、まだ硬いけど、まあいいや。じゃあ開店まで、掃除とテーブル拭きしててくれ」

 開店前にすでに心が折れそうだったが、ウィリアはテーブルを拭くなどで働き出した。




 フォークなどの什器を取りに、ウィリアが厨房に入ってきた。ゲントは芋を洗っていた。

「あ、ウィリア、着替えたんだね」

「ハイ……」

 ゲントはウィリアを見た。

 かわいい系の給仕服だ。きつめのようで、ウィリアの均整のとれた体型が服の上からでもわかる。

 膝上までの長い靴下をはいている。上の方が太腿に食い込んでいる。

 スカートは短い。スカートの下から靴下の上まで、素足が見えている。普段は鎧の下に隠されているものだ。

 ゲントはウィリアの素足を、月光の下では何回か見たことがあるが、昼間に見たことはあまりなかった。それは健康な色艶をしていた。つい、その領域を見つめた。

「ゲントさん! どこを見てるんですか!」

 ウィリアは赤くなって、手でスカートを押さえた。

「あ、ごめん……」

 ウィリアは走って去って行った。

「……」

 ゲントはしばらく、何かを思っているような顔をしていた。

 芋洗いを止めて、トイレに入った。

 ややしばらくしてから出てきた。出てきたときには賢者のような目をしていた。

 念入りに手を洗ってから、芋を洗う作業を再開した。




 ほかの従業員も出勤してきた。いよいよ開店時刻になる。

 客が大勢やってきた。繁盛している。

 ウィリアは頑張って給仕をしたが、慣れてない仕事である。うまくいかない。注文をまちがえたり、運ぶ料理をまちがえたり、皿をひっくり返してしまったりした。

 昼の営業が終わり、従業員が遅い昼食をとる。

 ウィリアは叱られても不思議ではなかったが、非常に落ち込んで、この世の終わりみたいな顔をしていたので、店主としても叱るに叱れなかった。

「わ……わたし……不手際ばっかりで……申し訳なくて……」

 今にも泣きそうだった。店主はなぐさめざるを得なかった。

「いや、初めてだと、あんなもんだ。気にするな」

「ご迷惑かけますので……給料はいりませんから、もうやめさせていただけませんでしょうか……」

「多少ミスがあったとしても、頭数がないと回らないからさあ。なんとか今日一日がんばってくれよ」

「……」

 夜の営業までまだ時間がある。ウィリアは再度掃除したり、什器の準備などの仕事をした。

 ゲントは皿を洗ったり拭いたりしていた。ウィリアがやってきた。暗い顔をしてぼそぼそ言う。

「……またお客さんが来ます……。どうしたらいいか……」

 ゲントは困った顔をした。

「ウィリア、黒水晶を倒すんだろ」

「……」

「客の相手と、どっちが辛いんだ?」

 それはさすがに黒水晶を倒す方だろう。

「……そうですね」

 こんなところで辛いなどと言っては、殺された父や仲間に申し訳がない。

「わかりました! やります! どんなことがあっても、最後まで接客してみせます!」

 ウィリアは覚悟が決まった目をして、夜の開店に向け気合いを入れた。




 夜の営業が始まる。客が入ってきた。

「いらっしゃいませ!」

 ウィリアは思い切り声を張った。

「ご注文は!」

 硬い笑顔で、できるだけ元気よく声をかけた。客はとまどいながら答えた。

「あ、えーと、ビール」

「かしこまりました!」

 開き直って仕事をする。わりと順調にいった。勢いよく動けばうまくいくものだ。それに、もし注文をまちがえても、客も運ぶ方も気付かなかったりする。

「おまたせしました!」

 どんどん料理を運ぶ。

 夜の営業ではほとんどの客が酒を飲む。あちこちでバカ騒ぎが始まってくる。その間を縫って、酒を運び、皿を下げる。

 客のいなくなったテーブルを拭く。

「おーい、姉ちゃん」

 隣のテーブルにいた客が、ウィリアのお尻をなでた。背筋がぞっとした。

「……なにか、ごようでしょうか……!」

 ウィリアは、人に災厄をもたらす悪鬼を滅すような表情でふりむいた。客はおずおずと声を出した。

「……あ、あの……ビールのおかわり……ください……」

「かしこまりました!」




 夜が更けてきた。

 もうすぐ閉店時間になる。

 客の数が少なくなってきた。

 店主が店の中を眺めた。

「忙しい日だったが、なんとか無事に終わりそうだな」

 ウィリアはまだ働いていたが、すいてきたのでちょっと安心した。

 ふと壁を見ると、冒険者向けの掲示板があった。仕事依頼がいくつかある。あとでメモしておこうと思った。

 そのとき、店の隅がさわがしくなった。

「てめえ! なに言ってやがる!」

「なんだ!? やるか!?」

 喧嘩のようだ。大男が二人、つかみ合っている。周囲の者は遠巻きに見ている。

 片方がもう一方を突きとばす。突きとばされた男が逆に突きとばす。椅子が倒れる。このままだと店に被害が出そうだ。

 店主がゲントのところに来た。

「えらいことだ。店が壊れる。あんた、ガタイがいいから、止めてくれ」

「僕は荒事はちょっと……。彼女ができると思いますよ」

「そうか。女騎士だったな」

 ウィリアの方に来た。

「あのケンカ止めてくれ。店の外に出すだけでもいい」

「わかりました。やってみます」

 ウィリアはケンカのところに行って、周囲の人に尋ねた。

「けんかの原因はなんですか?」

「鍋物の話してたんだけど、タロイモ鍋を作るときは牛肉を使うって言うのと、豚肉を使うって言うのとで意見が合わなくて……。だんだん興奮して、ケンカになっちゃって……」

「そんなことで……」

 喧嘩はいよいよ激しくなっている。

「あの、お二人さま、店の中です。けんかはお控えください……」

 ウィリアが割って入ろうとした。

「うるせえ!」

 手のひらで顔を張られた。

 気を取り直して、二人に手をかけて引き離そうとした。

「どうか、冷静になってください」

「やかましい!」

 殴り合いの一発がウィリアの顎に当たった。

「……う……あのですね……けんかは困りますと……」

 しかし二人はおさまらない。つかみ合いを止めようとしているウィリアは、突きとばされて尻から床にすっころんだ。

 ウィリアの中で、何かが切れた。

 ウィリアは立ち上がると、二人の胸ぐらをつかんだ。

「い、い、か、げ、ん、に、……」

 そして、右腕と左腕でそれぞれの男を高く持ち上げ、仁王立ちになった。

「しなさーいっ!!」

「ひえええ」

「あわわ」

 一人の男だけでもかなり重そうなのに、二人いっぺんに頭の上まで持ち上げている。

 持ち上げられた男らは何もできない。足をバタバタさせるだけだった。

 しばらくして、ウィリアは二人を降ろした。

「けんかをやめてくださいって言ってるのが、わからないのですか!」

「わ、悪かったよ……」

 二人の男はすっかり毒気が抜けていた。

「だいたい、鍋に豚がいいの牛がいいのぐらいのことでけんかして! 子供じゃないんだから! どっちでもいいでしょう!」

「いや、どっちでもよくねえよ。やっぱりタロイモ鍋には豚が……」

「いや、牛が……」

「なにを……」

「やるか……?」

「あーもう! どっちか食べちゃ駄目って話じゃないでしょう!? それぞれ好きなの食べたらいいじゃないですか!? 二人で食べるんなら、かわりばんこにするとか、ジャンケンで決めるとか! いくらでもやりようがあるでしょう!」

 二人の男は正論を言われてしゅんとなった。

「まあ、たしかに……」

「それも、そうだな……」

「じゃ、けんかの原因はなくなりましたね!?」

「あ、ああ」

「では、仲直りです! 握手してください!」

 二人は向き合って、てれくさそうに、握手した。

 なぜか周囲から拍手が起こった。




 店が閉まった。

「今日はよくやってくれた」

 店主がウィリアとゲントをねぎらった。二人とも慣れない仕事でへとへとだった。

「給料だ。ケンカ止めてくれたんで、イロ付けておいたから」

 店主は二人の前に銀貨を置いた。ウィリアの分は二十ギーンあった。

「ありがとうございます……」

 店主はウィリアに言った。

「あんた、商店街の用心棒にならないか?」

「いえ、修行の旅なので、いろいろなところに行かなければなりません」

「そうか。ならがんばれよ。ところでこれからどうするんだ?」

「宿を見つけて泊まるか、なければ野宿しようと思います」

「これから宿を探すのも大変だろう。しばらく使ってなかったが、二階に住み込み従業員用の部屋があるから、泊まっていけ」

「いいんですか? それに、今朝会ったばかりのわたしたちを、泊めてくれるほど信用していただけるのですか?」

「仕事ぶり見ればだいたいわかる。それに、あんたくらい力があれば、そのへんの通行人を脅せばいくらでも稼げるだろう。それをしないんだからまあ、信用できると思ってな」

 そこまで低レベルなところで信用されてもあまりうれしくはないが、店主の好意はありがたかった。

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