山椒魚の沼
女剣士ウィリアと治癒師ゲントは、ともに旅をしている。
旅の目的は修行である。おもに魔物狩りを行っている。
ウィリアの最終目的は、正体不明の剣士「黒水晶」を倒すこと。黒水晶は王国のあちこちで襲撃事件を起こしており、ウィリアの父も殺された。また自身は、黒水晶に犯された。
刺し違えても倒す覚悟はできているが、黒水晶はあまりにも強く、刺し違えることさえ容易ではない。いまは修行によって、自分の力を高める必要があった。
修行の旅では、ときに不覚をとって死ぬこともあったが、治癒師ゲントの力で生き返らせてもらっていた。
二人は田舎道を歩いていた。ウィリアが地図を開く。
「ゲントさん、次に、魔物が出る森があるようなので、そこで狩りを行いたいと思います」
「うん。僕は薬草を採っている」
ゲントは顔をウィリアに向けた。
ウィリアはその顔をちょっと見て、急いで地図に目を戻した。
「ん? どうかした?」
「い、いえ、別に……」
森の中でウィリアは魔物狩りをした。ゲントと少し離れた場所にいる。
修行が進んでいて、あまり弱い魔物では手応えがない。狼や熊の魔物化したものなどを探して狩りをする。
三匹ほど魔狼を倒した。
「……」
切り株に座って、物思いに沈んだ。
ウィリアには悩みがあった。
治癒師ゲントは、治癒魔法を使うとき魔力を消費する。時間が経てば回復するが、その速度は遅い。
だが、女性を抱けば、ほぼ完全に回復するという。出会ってしばらくは娼館で回復していたようだが、体を提供してからは、ウィリアとの性行為によって魔力を回復するようになった。
もう十回ぐらい体を重ねただろうか。
それ以前にウィリアは四回ほど男性に抱かれたことがあったが、どれも喜ばしい体験ではなかった。ただ苦しく、痛く、みじめなだけだった。
ゲントは優しかった。
彼はいつも最初に、ウィリアの全身をマッサージしてくれる。くすぐったいような熱いような、妙な感覚を覚える。一回「そういうことしないで、すぐに行為をしてもいいですよ」と言ったことがあるが、ゲントは「こういうことも含めての交わりだから」と困った顔をした。なのでそのままやらせている。
そして、行為は、痛くもないし苦しくもない。男性に抱かれる違和感は、最初はあったが、回を重ねるごとにどんどん薄くなってきている。
さらに、妊娠しないように気遣ってもくれる。体に付いた汚れも丁寧に拭き取ってくれる。
行為の最中、ときおり表現しがたい感覚が襲ってくる。それは不快なものではない。もしかしたら、その感覚が快感に変わっていくのかもしれない。いや、それが快感であると認めてしまえば、すぐにでも快感になるのだろう。
それが困る。
ゲントは大切な仲間である。だが、恋人ではない。まして夫婦でもない。恋人でもない男性に抱かれて快感を覚えるのは、あまりにもはしたないと思う。
だけど、このままだとそうなってしまう。それは遠いことではなさそうだ。
ウィリアは犯されて純潔を失った。それはしかたがない。しかし、精神まで堕落したくはなかった。抱かれて快感を感じるのは、堕落ではないか。
性行為を断ろうか、とも思った。しかし、ゲントは命の恩人である。時には自分も傷ついてまで助けてくれる仲間である。その人に対して、魔力の回復に協力したくないなどとは、とても言えない。
いっそ恋人になればとも考えたが、そういうわけにもいかない。可能性としては、ウィリアが黒水晶を倒し、領主としてゼナガルドに凱旋することもあり得る。そうなれば、あくまで旅人として生きたいと言うゲントとは離れなくてはいけない。
もっと可能性の高い未来としては、ウィリアの死がある。ウィリアは黒水晶と相打ちになる覚悟で修行をしている。いずれにしても最終的には別離が待っている。
また、恋人の契りを結んでしまえば、ゲントをその戦いに巻き込むことになりかねない。それを考えると、恋愛対象としてはならないと思う。
ウィリアの頭の中で、悩みが堂々巡りする。
「おーい、お昼にしよう」
向こうからゲントの声がした。
「は、はいっ!」
二人は焚火を挟んで、持ってきたパンと干し肉を暖めて食べた。
ウィリアはゲントの顔から視線をそらしていた。
「……ウィリア、なんか具合悪い?」
「い、いいえ」
まさかストレートに「快感を感じたくないのです」などと言うわけにもいかない。あまりにも恥ずかしい。
不自然な態度のまま、ウィリアは昼食を終えた。
また二人で田舎道を歩く。
峠を越えた。
「……あれ?」
ウィリアが前方を指さした。誰か倒れていた。
旅の商人のようだ。
二人は駆け寄った。ゲントが様子を見る。生きてはいるようだ。
「どうしました!?」
「はあ……。はあ……」
息づかいが荒く、乱れている。
「どうなさったのでしょう?」
「毒のようだ」
ゲントは荷物から薬瓶を取り出した。背後から抱きかかえて体を起こし、口に当てる。
「これを飲んで……」
「はあ……。はあ……」
瓶の中身は水で、飲むのと同時に治癒魔法をかける。
「はあ……。あ……。気分がよくなって……。はあ、はあ……。ああ、ありがとうございます……」
「何があったんですか?」
「その近くの、沼で……」
話によると、近くに沼があるという。手を洗おうとしたのだが、そこに山椒魚がいた。子供ぐらいの大きさだそうだ。
「そいつに噛まれました。魔物化した山椒魚だったようです。なんとか引き剥がして逃げましたが、毒を持っていたらしく、道の途中で倒れてしまいました……」
話しているうちに旅人は回復してきていた。
「歩けますか?」
「もう大丈夫です。ありがとうございました。あの、薬屋さんですよね。解毒剤のお代は……?」
「解毒剤……えーと……十ギーンいただけますか」
旅人は十ギーン払った。
「ありがとうございました。あ、それから、沼はすぐ先ですけどね、危ないから近づかないでくださいね」
「お気遣いありがとうございます。お気をつけて」
感謝しながら道を歩いて行った。
ウィリアとゲントは顔を見合わせた。
「行ってみる?」
「はい」
旅人の言ったとおり、近くに沼があった。沼の傍らに岩の洞窟があって、そこからちょろちょろと水が流れてきている。
水は綺麗だが、落ちた葉が表面に浮いていて、中を見にくい。
ウィリアは気をつけて沼の縁に向かった。
じりじりと近づく。
山椒魚が水から駆けだしてきた。ウィリアに向かってくる。
一刀で斬った。
沼の縁を回って、別のがいないか探す。
また襲ってきた。斬った。
「うーん……。魔物化してるのはまちがいないですが、それほど強くはないですね」
この程度では修行にならない。もう少し大きいのがないかと思って沼の周りを歩いてみる。
水が動く。
何かいる。
大人ぐらいの大きさのものが飛び出してきた。ウィリアを襲う。
ウィリアは飛び退きながら、斬った。
傷はつけたが、致命傷は与えられなかった。
山椒魚は毒の息を吐いた。
ウィリアはそれをわずかに吸った。
「……!」
非常に不快な感覚が襲ってくる。
我慢して、大型の山椒魚を斬った。
「うぷ……」
頭痛がする。
ゲントが解毒の魔法をかけた。
「あ……ありがとうございます」
「ちょっと毒を受けたね」
「噛むとは思っていましたが、毒息を吐くとは思いませんでした」
もう少し探す。
やや大型のものが飛び出してきた。
息に気をつけて剣を振る。傷をつけた。
傷ついた山椒魚は逃げた。岩の洞窟に入った。
ウィリアはそれを追った。ゲントも続いて中に入る。
中は意外に広かった。ちょっとした岩屋になっている。
逃げ込んだ山椒魚がいた。ウィリアが斬った。
「ふう……」
外に出ようとする。
ところが、岩屋の入口を、急に巨大なものが塞いだ。
「これは……!」
光が遮られてよく見えないが、それは巨大な山椒魚だった。牛の倍ぐらいの大きさがある。
入口よりも大きい。その巨体で蓋をして、二人を閉じ込めていた。
山椒魚は二人に顔を向けた。
二人は後ろに飛び退いた。
ところが、そこにもなにかいた。入口を塞いでいるやつほど大きくはないが、何十匹もの山椒魚がいて、二人に向かってきていた。
岩屋の中は山椒魚たちの住処で、何者かが来るのを待っていたのだ。二人はそこに入り込んでしまった。何たる失策であることか。
周囲の山椒魚が二人に襲いかかった。
ウィリアは剣で斬る。ゲントは風魔法を使う。何匹も倒したが、数は非常に多かった。
巨大な山椒魚はその戦いを見守っていたが、二人の奮闘を見て、口から毒息を吐いた。
「う!」
二人に息がかかる。毒は体に回った。
くらくらする。
ゲントが治癒魔法を使って解毒する。
しかし、毒息は何回でも吐けるようだ。無数の山椒魚たちが二人を襲う。入口にいる巨大なやつからはしばしば毒息が放たれる。
治癒魔法で解毒しようにも、魔力はどんどん減ってきていた。
「ウィリア! すまない! 魔力が少ない! あのでかいやつを斬ってくれ!」
「はあ……。はあ……。わかりました!」
毒を治す暇はなかった。小型の山椒魚たちが噛みついてくるが、それも振り切る。痛みをこらえる。全身に不快感が満ちているが、気力を振り絞って巨大山椒魚に向かった。
それは再度、毒息を放った。
ウィリアは息をかわし、巨大な山椒魚の首を、思い切り斬った。
首は落ちた。
山椒魚は首がなくても動いていた。岩屋の中で無軌道な動きをした。
入口が開いたので、二人は急いで脱出した。
沼から離れる。安全な場所まで来た。
ゲントは、傷ついているウィリアを治癒し、解毒した。
「はあ……。あ、ゲントさん、ありがとうございます。よくなりました」
「……」
ゲントは具合が悪そうだった。
「……? ゲントさん、自分を治さないのですか?」
「だめだ……」
「なぜ?」
「今ので、切れた……」
魔力がなくなったらしい。
ゲントは青ざめていた。毒が体に回っている。苦しそうだ。荷物から毒消しの薬を出して飲んだが、完全な解毒はできなかった。
「ゲントさん、大丈夫ですか」
「……ああ。これは、死ぬような毒じゃない……」
と言いながら息は荒かった。
とりあえず山道に戻り、次の村を目指す。荷物をウィリアがかわりに背負ってあげたが、それでも歩くのがやっとだった。
「宿に着いたら、すぐわたしを抱いてください」
「……いや、いま抱くと、君に毒を移してしまうかもしれない……」
「少しぐらいの毒は大丈夫です。魔力を回復したら、すぐ解毒をしてください」
「……それだけじゃなく、今は抱くのは無理だ……」
「どうして?」
「
「え? 立たないって、歩けているじゃないですか?」
「えーと……そうじゃなくてね、あのね……女性を抱くには、あの……股間の……何というか、ものを、固く大きくする必要があるんだけど……そうするには多少の元気が必要なんだ。いまは無理だ」
「そういうものなのですか?」
「そういうものなんだ……。一晩寝れば、解毒するくらいの魔力は回復するから……それを待とうと思う……」
なんとか次の村に着いた。宿を取る。
ゲントはふらふらになりながらベッドに入った。
眠ろうと目を閉じながら、息は荒い。
ウィリアは心配で、傍らに寄り添っていた。
「う……うう……」
ゲントは苦しそうに声を出した。右手を空中に突き出す。
ウィリアはその手を握った。
「ゲントさん……」
ゲントは無意識に握り返した。
ウィリアは手を離さなかった。ベッドの脇に膝をつきながら、ずっと握っていた。
やがてふたりとも、手をつないだまま眠った。
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