アルンドの森(2)
タイガは、右手をウィリアの胸に突き刺したまま、それを高く掲げ、満足そうな笑みを浮かべた。
「ウィリアーっ!!」
ゲントが思わず声を上げた。
タイガは右手を振って、ウィリアの死体を地面に捨てた。血を払う。
ゲントの方に向き直った。
ゆっくり近づいてくる。
「あきらめろ……」
「……」
ゲントは後ずさった。目はじっと、タイガの方向を見ていた。
タイガの巨体がゲントの目前に来た。
「死ね」
右腕を上げた。
そのとき、タイガははっとした顔をした。体を横にそらした。
そこにはウィリアがいた。剣で、タイガの背中をわずかに斬っていた。
息は荒いが、傷は残っていなかった。さきほど貫かれたはずの胸の部分の鎧は、その跡がなくなっていた。
タイガは体を離し、ウィリアとゲントを交互に見た。
「そうか……男……」
タイガはゲントに向かって爪を振り上げた。ゲントはよける。
腕を回して、風の刃をゲントに浴びせた。
ゲントは体をそらして、風の刃をよけた。だが風は広範囲で、いくつかの傷が体にできてしまった。
タイガはにやりと笑った。
「男、『切れた』か? こっちの番だな」
「……」
ゲントはタイガを睨んだ。
タイガは何度も風の刃を飛ばしてきた。ゲントはよける。だが傷が増えていく。
ウィリアが剣で攻撃する。
剣と爪とがぶつかり、硬い音がした。
タイガは拳で殴ってきた。ウィリアはよける。
「この……! この!」
タイガの拳を横に跳んでよけた。
拳が、森の木にぶつかった。木は折れ、タイガの方に倒れてきた。
「うおっ!」
タイガはそれを受け止めて、横に投げ捨てた。
ウィリアとゲントは呼吸を整えるため、少し離れた。二人とも息が上がっていた。
「ウィリア……」
傷だらけのゲントが言った。
「はい?」
「頼む、もう、死なないでくれ」
ゲントの目は真剣だった。
ウィリアはその目を見て、意味を察した。
「わかりました」
今度死んだら、本当に、すべてが終わるのだと思った。
だが、死なずに勝てる方法があるだろうか。
相手の武器は、爪と魔法。どちらに対抗するのが適当か、ウィリアは思考を巡らせた。
タイガが全力で迫ってきた。
爪を振り回してくる。避ける。
タイガとウィリアは少しの距離をあけて対峙した。
タイガは手を回した。風魔法を使うつもりだ。
そのとき、ウィリアは踏み込んだ。
風魔法が発動した。風が刃となってウィリアに襲ってくる。
ウィリアは剣で、風の刃を弾いた。
致命傷となる風の刃は弾くことができた。腕や体に無数の傷ができたが、ウィリアは踏み込みを止めなかった。
風魔法を発動した後で姿勢が整っていないタイガに向かって、剣を突いた。剣はタイガの心臓を貫いた。
「ぐふっ!」
タイガは目を見開いた。
最後の力で、ウィリアに向かって爪を振り下ろした。ウィリアはそれをよけた。巨体が仰向けに倒れた。
ウィリアは勝った。
タイガの体に刺さっていた剣を抜いた。
疲れ切っていた。また、体には無数の傷がついていた。もう力は残っていない。いま抜いた剣を地面に突き立て、よりかかりながら息を整えた。
後ろから、こちらも傷だらけのゲントが、よろよろと姿をあらわした。
「ウィリア、見事だ……」
「……」
もう返事する力もなかった。
ウィリアとゲントの体には、風の刃でつけられた傷が数多く残っている。
ゲントはさきほど捨てた荷物を拾い、使えそうな傷薬を探した。昨夜使ったのであまり残っていない。
その場でできるかぎりの治療を行った。だが治療しきれない傷が体のあちこちにあって、二人とも血まみれである。
しかしこのままではいられない。体力を回復しなければならない。もう一度魔物が来たら、戦う力は残っていない。
予定していたラクス村まで進む力は無い。ウィリアとゲントはよろよろ歩きながら、ルクールナ村を目指した。
村に到着したときには、もう夜中になっていた。空には星が光り、昨夜より少し丸い月が出ていた。
一軒だけの宿屋に着いた。ウィリアは宿の人を呼んだ。
「ごめんください……」
「はいよ……。わー!?」
宿の主人は目をこすりながら出てきたが、血まみれの二人を見て大声を上げた。
「あんたたち、どうしたんだ!? 血だらけじゃないか!?」
「途中、魔物と戦って、傷を受けました」
「いや、だったら早く医者へ……と言っても、この村に常駐の医者はいなかったな。明後日にならないと来ない」
「治療はあとで行います。とりあえず今夜は、泊めていただけないでしょうか」
「まいったな。そんなに血だらけで。布団とかシーツに血がついたら買い取りになるけど、いいか?」
「結構です」
ウィリアは頷いた。
「あの、ご主人……」
ゲントが尋ねた。
「何だい?」
「この村に、娼館か、そういう仕事の女性はいませんか?」
宿の主人とウィリアは思わず、ゲントの顔を見た。
「あんた、そんな血だらけの体で、娼館に行きたいっていうのかよ!? とんでもねえ助平だな!? 残念だが、ここにそんなものはねえよ! あれば俺が行きたいよ! まあ十年ぐらい前までそういう事してた婆さんがいたが、五十になって引退しちまったな」
「そう……」
「今夜は泊めてやるから、とりあえず寝てろ。一室でいいな?」
二人は部屋に入った。
ベッドが二つある。寝巻に着替えて、それぞれ寝た。
横にはなったが、体のあちこちが痛い。
少しの時間が過ぎた。
暗い部屋で、ウィリアが口を開いた。
「ゲントさん……」
「ん?……」
「先ほど、わたしを生き返らせてくれましたよね……?」
「……」
「昨夜もそうでした。あの女性は、後ろの魔法使いがまちがえて蘇生したものと思ったようですが、そんなはずがありません。あのとき部屋にいた中で、わたしを蘇生できたのは、ゲントさんだけです」
「……」
「薬屋というのは仮の姿で、本当は治癒魔法の使い手……治癒師ですね」
「……薬屋というのも本当だよ。それで商売をしている……」
「その薬も、あなたが治癒魔法の力を込めて作っている。だから効くのですね。……それに、風魔法の使い手でもある……。アテュール村で見た猿の魔物の死体には、見慣れない傷がついていました。あなたが風魔法で倒したのでしょう?」
「……」
「あなたはいつも女性を抱きたがってましたね……」
「……まあね……」
「本で読んだことがあります。魔道のなかには、性の交わりを魔力の補給に使う一派があると……」
「……」
「女性を抱くのは、魔力補給のため。向こう見ずな戦いかたをするわたしを助けるために、そういったことをしていたのですね……」
「……」
「ゲントさん」
「ん?」
「わたしを抱いてください」
「……いや、それは悪い……」
「わたしはすでに純潔を失いました。この体が役に立つのなら喜びです」
「……君はそのような……手段として抱いていい女性じゃない……。もっと、自分を大切にすべきだ……」
「……」
ウィリアはベッドから起き上がった。寝巻を脱ぎ、下着を取り去った。ところどころに包帯を巻いている以外は、生まれたままの姿になった。
ゲントのベッドの前に立った。窓から差し込む月光がウィリアの体を照らした。大理石の彫刻のような肌が浮かび上がった。
「覚悟はすませました。どうか抱いてください」
ウィリアはゲントの布団に潜り込んだ。
ゲントはウィリアを抱いた。
ウィリアは、抱かれている間、以前男性に犯されたときとはまったく違う感覚を感じていた。ゲントは優しかった。そして逞しかった。
そしてこの夜、ウィリアは生まれて初めて、接吻ということを経験した。
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