アルンドの森(1)

 襲撃から一夜明け、ゴジュア教会の街はざわざわしていた。

 僧侶たちの蘇生魔法のおかげで、襲撃による死者は少なくて済んだ。とはいえ、蘇生が間に合わずに死んだままの市民もいくらかはいたし、人命以外の損害も莫大であった。

 ウィリアとゲントは、宿の朝食をとると、ざわざわしている街を後にした。

 ウィリアの活躍で街は守られたようなものだが、表には出たくなかった。偽造の通行証で入っている。詳しく調べられればばれるかもしれない。公女という正体を明かせば、それはそれで面倒なことになるだろう。

 まだ教会はいろいろと忙しいはずだが、落ち着けばウィリアとゲントを探すにちがいない。そうなる前に街を出た。

 旅の目的は、ウィリアの修行である。なるべく魔物を狩れる場所がいい。街道を北の方に進む。




「……どこへ行く?」

 ゲントが聞いた。

「……魔物が出そうなところ……。街道からは外れますが、アルンドの森というのがあります。そこに行こうと思います。……ふわあ……」

 ウィリアはあくびをした。

 つられてゲントもあくびをした。

 襲撃の騒ぎで夜中に起こされた。それが解決したあとも、ゲントが寝ぼけて発した大声のため目が覚めてしまった。二人ともあまり寝ていない。

 ウィリアは寝不足であり、さらに昨夜、襲撃隊を率いるフェリクという女と戦った疲労が残っている。

 ゲントの方はさらに元気がなかった。昨夜、教会から戻るときから様子がおかしい。表情がこわばっている。

「……」

 ゲントと一緒に旅をするようになって、大声を聞いたのは三回目だった。一度目は一つの部屋に泊まった時。二度目は友達になった日の夜。三度目が今回だ。

 彼は「怖い夢を見た」と言っていた。その怖い夢はどういうものなのか、ウィリアは知りたくてたまらなかった。

 だが、聞いても教えてはくれないだろうし、聞くことが残酷だということは想像ができた。




 街道を外れ、僻地の方に向かう。道の周囲に木が多くなっていく。

 やがて、昼なのに暗い森になった。アルンドの森に入ったようだ。

 わずかに魔素の気配がする。

「ゲントさん、わたしは魔物狩りをします」

「……ああ。僕は薬草を採っている……」

 あまり離れない距離で、ウィリアは魔物狩り、ゲントは薬草採りをはじめた。

 魔物が出る森だが、出るのはスライムやゴーストなど、あまり強くない。疲労したウィリアにとってはちょうどいい相手だった。

 耐性アクセサリーの肉体化のためにも数をこなす必要があった。

 何時間か、二人は森の中で過ごした。




 昼になり、持ってきたパンや干肉を分け合って食べた。

 ゲントはまだ元気なさそうだった。彼はウィリアに聞いた。

「……ウィリア、今夜はどこに行く?」

「この先にルクールナという村があります。そこに泊まろうと思います」

「……悪いけど、もう一つ先の、ラクス村にしてくれないか」

「え? 少し早く出れば着きますが、なぜですか?」

「娼館に行きたい。ルクールナは小さな村だ。たしか娼館はなかったはずだ」

 ウィリアは目を開いてゲントを見た。いつもの笑っているような顔ではなく、真面目な顔をしていた。

 ウィリアはとまどった。この人は何を言っているのだろうか。真剣に言うようなことではない。

 それにウィリアが、口には出さないけど、いや何回かは出したけど、女性を買う行為を快く思っていないことは知っているはずだ。

「そんなに行きたいのですか?」

「ウン」

「昨日、部屋で女性と仲良くしていましたよね。今日もですか?」

「知ってたの?」

「用事があって伺おうとしたら、声が聞こえました」

「そうか」

 ゲントは目線を下に向けた。うつむいたまま言った。

「昨夜は、疲れた。疲れると僕は、どうしても女性を抱きたくなるんだ。そういう性質なんだ」

「そういうことなら、仕方ないですね。もう少し経ったら出発しましょう」

「すまない……」

 ゲントは頭を下げた。

 ウィリアはいろいろ思うことがあった。あまりにも違和感がある。

 性関係の話は、照れるとか、冗談めかして言うのが普通だと思う。ゲントの言葉は、薬を飲まないと死ぬとか、そういう次元の話に聞こえる。

 それに、性欲が押さえられないのなら、別に抱かれたいわけではないが、ウィリアに対して要求するとか、そういう考えにはならないのだろうか。

 ゲントは以前、冗談めかして一緒のベッドに入りたいと言ってきた。しかしその後はそういうことは言わない。命を助けられた時に、お礼に抱いていいと言っても「刺し違えると言う人を抱くほどの度胸はないよ」と断られてしまった。

 ウィリアは自分が男になったとして考えてみた。たしかに、刺し違えて死ぬなどと言う女性は怖くて抱けないだろう。とはいえ、まったく女性扱いされないのは、抱かれたいわけではないが、少し不愉快だった。

 とにかく今回は、ゲントの要望に従おうと思った。




 食後少ししてラクス村に向かう。

 森の中は昼でも暗い。曇ってきたようで、より暗くなった。

 ふと、ゲントの足が止まった。

 ウィリアの足も止まった。

「……」

「魔素の匂いがします……」

 薄暗い道の向こうに影が見えた。

 大きな男だった。

 感じる圧迫感はただ者ではなかった。

 それは一歩一歩近づいてきた。ウィリアは剣を構えた。

 いかつい顔をしていて、黒と黄色の縞模様の羽織を着ている。外見は人間だが、魔の気配が確実にする。

「何か、ご用ですか……?」

 大男は二人をじろりと見て言った。

「フェリスを倒したというのは、おまえか」

「ゴジュア教会にいた女性ですね……。その通りです」

「名は何という」

「人の名を聞くならば、先に名乗っていただきましょう」

「……よかろう。俺はタイガという。フェリスの兄だ」

「わたしはウィリアと言います。……あの女性にはかわいそうですが、倒さねばなりませんでした」

「そうだろうな。だが、俺も、妹の仇をとらなければならんのだ。おまえを、殺す」

「……」

 タイガとウィリアは、間隔を保ってにらみ合った。

 ゲントは斜め後ろで、身構える。

 突然タイガが向かってきた。

 ものすごい加速だ。ウィリアとゲントは跳んでよけた。体がぶつかれば、砲弾の直撃のようなダメージを受けるだろう。

 タイガは向き直って、ウィリアに腕を振るった。腕には鋭い爪がついていた。ウィリアは剣で爪を受け止めた。

 女幹部フェリスは刃物の爪を使っていたが、この男は生身の指先から鋭い爪が出ていた。それは刃物よりも硬く鋭いようだった。

 ウィリアはタイガの力を逃がし、跳び下がって体勢を立て直した。

「なかなかやる……。さすがフェリスを倒しただけあるな……」

 男はいかつい顔でウィリアをにらんだ。

「……」

 ウィリアは剣を構えて、相手の攻撃を待っている。

「だがな……」

 タイガは、腕をゆっくり、円形に回した。

 風が吹いた。突然、ウィリアの周りに風が巻き起こり、それは刃(やいば)となって体のあちこちを斬った。

「ううっ!!」

 ウィリアは全身の痛みによろめいた。

「ウィリア!」

 ゲントが叫んだ。

 タイガが突進してくる。

 鋭い爪を振り回してくる。痛む体でなんとかよけた。

 ウィリアの顔には数カ所傷ができて、血が流れていた。全身では至る所に痛みがある。

「風魔法を使うのですか……」

「そうだ」

 タイガはもう一度腕を円形に回した。

 風が吹く。それはウィリアに向かった。

 だが、ウィリアの周囲で、別な風が巻き起こった。風と風とはぶつかりあって打ち消し、ウィリアには届かなかった。

「む……?」

 タイガは振り返って、ゲントの方を見た。ゲントはウィリアに向かって、両手の手のひらを向けていた。

「そうか……」

 タイガは今度は、ゲントに突進した。爪を振るう。ゲントは間一髪よけた。

 ゲントは背中の荷物を地面に放り投げた。

 タイガはゲントを追うが、身軽になったゲントの動きは素早かった。攻撃は当たらない。

「貴様……」

 タイガが苛立った表情を見せた。

 背後からウィリアが剣を持って踏み込んできた。タイガは間一髪それをよけた。

 ウィリアとゲントが並んで、タイガと対峙した。

 タイガは両腕を突き出した。手のひらから、竜巻のような風が巻き起こった。それは二人へ向かった。

 ゲントも両腕を突き出した。

 二人の少し前で別の風が巻き起こり、打ち消して消滅した。タイガはそれを見て眉をしかめた。

 飛びかかってきた。爪のある腕を振り回す。目標はゲントのようだ。

 ゲントは素早く跳び下がって腕をよける。ゲントは鎧を着ていない。当たれば即死だろう。

 ウィリアが守りに向かった。

 タイガとゲントの間に入って、剣で攻撃を受け止める。

「わたしが相手です!」

「ええい……小癪な……!」

 タイガは両手を思い切り振り回した。ウィリアも跳んでよけた。

 突風が吹いた。今度のそれはタイガの方に向かった。風の刃がタイガの顔に向かい、鼻を切った。

「ぐおっ!」

 タイガは思わず顔を押さえた。

「この……こいつらめが……」

 タイガは再度、ゲントを狙った。爪をふるって襲いかかる。

 ゲントは攻撃をよけているが、疲れているようだ。汗が噴き出している。

 またウィリアが間に入った。振り回した爪がウィリアの鎧にかかった。

 強い衝撃でウィリアは弾かれたが、鎧のおかげで傷はつかなかった。再度踏み込んで、ゲントを守ろうとした。

 タイガはウィリアをじろりと見た。

「女ァ……!!」

 タイガは右腕に力を込めた。

 腕の周りに風が吹き、周囲にまとわりついた。

 ウィリアに向かって思いきり爪を突いた。風がまとわりついた爪は、ウィリアの頑丈な鎧を突き破って左胸を貫いた。それは背中の鎧さえも貫通した。

「ぐっ…………!」

 爪は心臓を貫いた。大量の鮮血が飛び散った。

 ウィリアは、死んだ。


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