ゴジュア教会領(2)
人の声が聞こえる。
「わーっ!!」
ウィリアは布団を頭からかぶったまま、寝返りを打った。
「死ぬーっ!」
聞きたくない声だ。布団の中で耳をふさいだ。
「たすけてくれーっ!!」
どんどん騒がしくなってくる。
「……もう。……死ぬとか……たすけてくれとか……いやらしい……」
ハッと目が覚めた。
死ぬとか、たすけてくれとかいう声は、別にいやらしくない。
声は下の部屋ではなく、外から聞こえてきていた。男の声も女の声もする。
ウィリアは窓を開けて、三階の部屋から下の道を見た。
夜の暗がりの中、多数の何者かが道で暴れていた。人を押さえつけ、傷つけていた。道沿いの建物の扉を破壊していた。黒い革鎧を着ているようだ。
「
黒水晶配下の変化兵にまちがいない。急いで着替え、鎧を着込んだ。
部屋の扉を叩く音がした。
「ウィリア! 起きてるか!? 襲撃だ!!」
ゲントの声だった。急いで部屋を出る。
「街の人たちに被害が出てる。僕は治療をする。君は周辺の防衛を!」
「はい!」
二人で階段を駆け下りる。
「わーっ!」
宿のフロント係の悲鳴が聞こえた。
一階では、変化兵が扉を破壊して入ってきていた。
どれもが黒い革鎧をつけている。武器として、両手に大きな刃物の爪を持っている。暗がりに目が光っている。
兵は、爪を振り上げてフロント係に飛びかかった。
その瞬間、ウィリアが斬りかかった。変化兵を斜めに斬った。兵は倒された。
「大丈夫ですか!?」
「あ、あ、ありがとうございます」
フロント係は腰が抜けて座り込んでいた。怪我は無いようだ。
ウィリアとゲントは道に出た。
何人もの変化兵がいた。それらは破壊活動にいそしんでいたが、武装姿のウィリアに注目した。
数人が襲いかかってきた。
兵の動きはすばやい。だが、ウィリアの動きはそれを上回っている。飛びかかってくる兵たちを斬り、さらに斬り、死体の山を築いた。
一方、ゲントは道ばたで倒れた人たちに、治療を施した。
いくらかの時間が経った。ウィリアの奮戦によって周辺の兵の数は少なくなったが、街のあちこちから悲鳴が続いている。まだ大量に変化兵がいるようだ。
「……おかしいですね。教会で変化解除の魔法をかけるはず……」
ウィリアは町の中央にそびえるゴジュア教会を見た。
「対策が取られたか……」
ゲントがつぶやいた。
「対策?」
「変化解除の魔法で無効化されるとなれば、あっちだってそのままではいられないだろう。解除ができないような工夫を施すか、上級の変化魔法を使って簡単には解けないようにするとか……」
あり得ることだった。
「では、どうすればよいのですか?」
「変化の術の大元を倒せば、あるいは……」
「……」
ウィリアは夜空を見上げた。
月が見える。今夜は新月ではない。ということは、この襲撃を率いているのは黒水晶本人ではない。
「……月が見えます。いま来ているのは、黒水晶ではありません。戦おうと思います。それは、どこにいるでしょうか?」
「……」
ゲントは顔を巡らして考えた。
「司令官的な者がいるとしたら、作戦に有利なのは、高い場所だ」
「高い場所……」
ウィリアはふたたび教会を見た。
「あそこに行ってみます」
「僕も行く」
「ゲントさん、武器も持たずに、危険です」
「君が斬られたら僕が治療する。従者だから着いていく」
「……ありがとう」
ゴジュア教会は荘厳な建物である。街のどの建物よりも高く、広い。外壁も豪華な装飾で彩られている。
しかしそこに、多数の変化兵が取り付いていた。それぞれに破壊活動を行っている。大きく美しかった門は破壊されていた。
教会の僧侶が何人も倒れている。
庭木の陰に隠れていた若い僧侶が、変化兵に見つかった。
変化兵は爪を構えた。
「ひ、ひえーっ! たすけてー!!」
変化兵は若い僧侶に飛びかかった。
そのとき、剣が光った。飛びかかってきた変化兵は横から斬り倒された。
横から踏み込んできた者は鎧を着ていた。綺麗な銀色の鎧で、肩のところに躑躅の文様が彫られている。長い髪がうしろになびいている。女剣士だった。
「あ、ありがとうございます」
女剣士は僧侶に聞いた。
「教会の方ですね? 変化解除の魔法は効かないのですか?」
「え、ええ。司教様が何回もお試しになりましたが、効かないようです。やつらは大挙して押し入ってきました。戦える者は戦いましたが、数が多くて……」
「やはり……。あなたは隠れていてください。我々は中に行きます」
女剣士と、大きな袋を背負った商人風の男が、走って教会の中に入っていった。
大聖堂の中では、多くの僧侶が倒れていた。
しかし同時に、変化兵も数多く倒れていた。激しい戦いがあったようだ。
奥の方で多数の変化兵が集まっていた。
その中心に、僧侶がひとりいた。精悍な風貌で、
「……滅せよ!」
僧侶が手のひらを変化兵に向けた。光が放たれ、数人の変化兵が聖の光に焼かれて倒れた。
しかし、変化兵は数が多い。精悍な僧侶は疲れているようだ。多数の兵が一度に飛びかかってきた。
「うわああ!」
変化兵の爪が僧侶を切り裂く寸前、ウィリアが踏み込んでそれらを斬り倒した。僧侶を中心に兵たちの屍が床に並んだ。
「あなたは?」
「旅の剣士です」
「危ないところをありがとうございます。私は副司教です」
「やつらを操っている者は来ていませんか?」
「さきほど上層に登っていった者がいます。風体が違っていたので、幹部だと思います」
「案内してください。戦おうと思います」
副司教とウィリア、そしてゲントは、聖堂の上層に登っていった。
階段を駆け上り、街を一望できる部屋に来た。
老いた僧侶が倒れていた。司教のようだ。
窓のところに、鎧を着た女性と、老人が立っていた。女性は街で行われる襲撃を見ていたが、振り返った。
「なんだい? あんたたち」
副司教は手を女性と老人に向け、叫んだ。
「滅せよ!」
副司教の手から光が放たれた。
だが、その光は女性の直前ではね返り、副司教の体を焼いた。
「ぐっ!!」
副司教は倒れた。
階段を上ってきたゲントが言った。
「魔法反射の術だ!」
ウィリアは女性に対峙した。
一見、若い女性のようだ。だが感じる気配はただ者ではない。黒く、凶々しい形の鎧を着ている。この女性が幹部であることは間違いなさそうだ。
もう一人は白髪の老人だった。体は小さいが、目付きは鋭い。おそらく魔法を操る者だろう。
女幹部はウィリアとゲントに向かって言った。
「またぞろぞろと……うるさいね」
ウィリアは剣を構えた。
「そなた、黒水晶の配下の者か?」
「……黒水晶? ああ、あの方は、そう呼ばれてんのね。……ご想像におまかせするよ」
「義によって、倒す」
「身の程知らずが……。
「はっ。フェリク様」
フェリクと呼ばれた女幹部は、両手につけていた刃物の爪を広げた。大きな爪だった。
ウィリアに飛びかかってきた。
ウィリアは剣で、爪の攻撃を受け止めた。
再度爪が振り回され、ウィリアを攻撃する。うしろに跳んでよけた。
女幹部の動きは鋭い。さらに、両手に爪があるので、ウィリアも普通の相手のようにいかない。部屋の中を回り込んで、攻撃をかわす。
階段の方で足音がした。変化兵が登ってきたようだ。
「くっ!」
ウィリアは攻撃をかわしながら、階段の方を見た。
ゲントが、倒れた副司教の杖を拾った。
杖を振り回し、登ってきた変化兵を叩く。倒れたところを階段の下に蹴り落とした。
「こっちは任せろ! 君はそいつを!」
「ありがとう、ゲントさん!」
女幹部は攻撃を続けている。動きは鋭いが、敏捷さではウィリアも負けてはいない。ウィリアの体に攻撃は当たっていない。
ウィリアは剣で、相手の爪を叩いた。
「ぐっ!」
衝撃を受けた女幹部は、体を引いた。
「あんた、やるね……」
ウィリアの方を向いて、眼を開いた。眼から怪しい光が放たれた。
ウィリアは剣を構え、体勢を整えた。
「え? 混乱が効かない?」
女幹部は、目論見が外れて少し慌てたようだ。
ウィリアが踏み込んだ。渾身の力を込めて剣を振る。女幹部を鎧ごと斬った。
「ぎゃーっ!!」
胴体が大きく斬られ、女幹部は倒れた。
「ふう……」
ウィリアは敵の死体の前で、息をついた。
そのとき、女幹部の体が淡く光った。次の瞬間、それはよみがえり、爪でウィリアを刺した。爪は、鎧の隙間からウィリアの腹部を貫き、背中まで突き抜けた。
「ぐっ……!」
女幹部は爪を抜いた。
腹部から、内臓の一部が漏れ出した。
ウィリアは血を吐いて倒れた。
「ウィリアーっ!!」
階段のところにいたゲントが叫んだ。
女幹部がウィリアの屍を見下ろして、にやりと笑った。
「お嬢ちゃん、残念だったね……。爺、ありがと」
「ははっ」
うしろにいた老人が頭を下げた。
すると、倒れたウィリアの体もまた、淡く光った。そしてよみがえり、ふたたび立ち上がった。
女幹部は眼を吊り上げて、老人に叫んだ。
「バカ! 何やってんだ! そいつは敵だ!」
老人はうろたえた。
「いえ、私は何も……」
ふたたびウィリアと女幹部が対峙した。
女幹部は警戒していた。戦いではウィリアに分があるとわかったようだ。
ウィリアが踏み込む。打ち合いになる。
はげしい打ち合いの末、ウィリアは女幹部の首を斬った。周囲に血が噴き出した。
だが、すぐさま女の体が淡く光った。首の傷は治っていた。
「……」
うしろに控えている老人、戦闘には役立たないようだが、あれは治癒魔法を使う者だろう。老人を倒さない限り、勝利は得られないようだ。
ウィリアは老人に飛びかかった。
それを女幹部が防ぐ。剣と爪が交差した。
「やらせないよ……! 爺がいる限り、あたしは無敵だ……!」
「……」
女幹部は、自分よりも老人の防御を優先している。老人がいる限り生き返ることができるのだから当然だろう。それをかわして老人を狙うのは難しかった。
きりがない。ウィリアはどうすればよいかわからなかった。一旦引いて、ゲントが守っている階段の方に向かった。
「逃げるな!」
女幹部は叫んだが、自分が動くのは不利と見たのか、追ってくる様子はない。
ウィリアはゲントと共に、階段を少し下った。
「ゲントさん……倒しても蘇生されてしまいます。どうしたらいいでしょう……?」
ゲントは難しい顔をした。
眉間に皺を寄せて、ウィリアに言った。
「『急所』を、狙え」
「急所?」
「人間の体には、急所というものがある。そこを破壊すると、普通の蘇生魔法は役に立たない。上級蘇生魔法が必要だが、それを使える者はごく限られている。あの女はおそらく魔の者だが、人間型の体を持っていれば、同じところに急所はあるだろう」
「その急所とは?」
「脳の奥底にある。位置はここだ……」
ゲントは指で眉間と側頭部を指し、急所の位置を伝えた。
「正確に狙え」
「わかりました」
ウィリアとゲントはふたたび上の部屋に向かった。
「やっと来たね! かかっておいで!」
女幹部は老人を背にしながら、ウィリアと対峙した。
ウィリアは集中力を高めた。心眼で相手の眉間を狙った。
眉間の奥にあるという「急所」、それを破壊する剣の筋を探った。
細い筋が、相手の眉間までつながるのが見えた。
ウィリアは踏み込んだ。
女幹部は爪を振り上げて向かってきた。
ウィリアはそれをかわす。そして、飛び上がりながら、正確に相手の眉間に剣を突き刺した。
女幹部は倒れた。
うしろの老人が手を差し出して、蘇生魔法を発動させた。
女幹部の体は光るが、甦りはしない。
老人が慌てる。魔法をかけ直す。だが結果は同じだ。
ウィリアは老人を斬った。
下の方で騒がしかった音が、止んだ。
窓から街の方を見てみると、変化兵はいなくなったようだ。
ゲントは倒れている副司教を見た。
「うう……」
死んではいないようだ。
「治癒薬です。飲んでください」
ゲントは副司教の上体を起こし、小さな瓶を口に当てた。
「うう……。ん……? これは水では……?」
だが、飲み終わると副司教の体が淡く光り、焼けた体が元に戻った。
「おお……。治った……。ありがとう!」
ゲントは倒れている司教にも、同様に治療をした。
「む……ここは? 私は、どうしたのだ……?」
「魔の者にやられて気を失っていたのです」
「ああ、そうだった。変化解除の魔法をかけようと登ってきたが、効かなくて……。登ってきた女にやられたのだった」
老いた司教は、なんとか動けるようになった。ウィリアとゲントに問いかけた。
「ところで君たちは……?」
「旅の薬屋です」
「修行中の剣士です」
「名前は……?」
それを聞いてゲントが言った。
「そんなことより、倒された者たちを蘇生すべきです。僧侶たちも多くやられています。また、街中でも大きな被害が出ています」
「む! そうだ。蘇生を行わねば。急がないと時間切れになってしまう」
ウィリアとゲント、および司教と副司教は、階段を急いで降りた。
大聖堂の中には、倒れた僧侶たちが多数いた。そして、猫の死体が数多く転がっていた。生きている野良猫も何匹か歩き回っていた。猫自身も、何が起きたか理解できないようだった。
司教と副司教は、蘇生魔法を使って、倒れている僧侶たちを次々と甦らせた。先に甦らせたのは蘇生魔法を使える僧侶たちのようだ。
副司教が彼らに言った。
「甦ったばかりですまないが、街中でも多数の被害が出ているようだ。手分けして蘇生してくれ」
「わかりました!」
僧侶たちが街に散らばっていった。
そのあとも、司教と副司教は倒れている僧侶を甦らせた。ゲントも傷ついている僧侶や一般人を治療した。
やがてその作業も一段落した。
副司教が、ウィリアとゲントを見た。
「助かった。君たちのおかげだ。名前を……」
ウィリアが言った。
「修行中の身です。名乗るほどの者ではありません。では」
「あ……ちょっと」
ウィリアとゲントは走って教会を出た。
副司教は去って行くウィリアの鎧を見た。
「
真夜中は過ぎているが、まだ暗い。
道のあちこちに、とまどっている野良猫がいた。
ウィリアとゲントは宿へ帰る道を急いだ。教会から離れたところで、走るのを止めて歩き出した。
偽造通行証で街に入っている。あまり深入りすると、面倒なことになりそうだった。
ウィリアが言った。
「ゲントさん、アドバイスをありがとうございます。急所のことを聞かなければ、倒せなかったと思います」
「……うん」
元気のない口調だった。
ウィリアはゲントの横顔を見た。
暗い中で見ても、顔色が悪い。硬直した表情だった。なんだか変な風に汗もかいているようだ。
「あの、ゲントさん、どうしたのですか?」
「い、いや、何でもない。ちょっと血を見すぎたので……」
「大丈夫ですか?」
「う、うん……。大丈夫だ。今日は疲れた。もう少し寝よう」
「はい……」
ウィリアは、昨夜女性を連れ込んだことについて、ちょっと嫌味を言ってやりたいと思っていた。しかしゲントの蒼白な顔を見て、それには触れなかった。
宿に着いた。扉は応急的な修理がなされていた。
ゲントは二階の部屋に戻った。
「じゃ……おやすみ」
「おやすみなさい……」
ウィリアはいやな予感がした。
三階の部屋に戻って、睡眠を取ろうとベッドに入った。目が冴えて眠れないが、徐々にまどろんできた。
だがその時、声がした。
「うわああああ!」
下の部屋でゲントが叫んだ。建物中に響く声だ。完全に目が覚めてしまった。そのあとしばらく眠れなかった。
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