29 魔物発生区域(1)

 ドン。ドン。

 部屋のドアを叩く音がした。

「……ん……」

 布団をかぶってやりすごす。

 ドン。ドン。ドン。

 またドアを叩く音がした。

「おーい、ウィリア」

「……んん……」

「起きてよー。もう昼だよ」

「……昼……」

 ウィリアははっとした。

 窓を見ると、陽が高い。

 廊下からは、ドアを叩く音と、ゲントの声が聞こえる。

「宿の人が『片付けの邪魔になるからもう出てくれ』って言ってるよー」

「あっ! すみません! いま起きます!」




 目をこすりながら、ゲントと二人で山道を行く。

「寝過ごして、すみませんでした……」

「いや、二日も寝ていなければしょうがない」

「二日寝ていない時点で駄目でしたね。わたしのミスです。……ところで、気になることがあるのです」

「気になることって?」

「昨夜、アクセサリーを取ったら一気に眠くなって、布団をかけることもできませんでした。だけど朝になったら、布団がかかっていました」

「夜は寒いから、無意識にかけたんだろう」

「あと、それより不思議なのが、部屋の鍵がかかっていたことです。眠る瞬間『あっ! 鍵してない!』と思いながら寝てしまったのですが、起きた時にはちゃんとかかってました。理由がわかりません」

「寝ぼけながらかけたんじゃないの?」

「そうですかねえ……。そんな気もしないのですが……」

 納得はできないままだった。

「で、これからどこに行くの?」

「……」

 峠にさしかかっていた。

 これから行く山を見る。

 火山である。所々に白い煙が見える、温泉の水蒸気が立ち上っている。

 だが、一部、紫がかった煙が見える。

 ウィリアはそれをじっと見た。

 ゲントが言った。

「もしかして……」

 ウィリアは前方の山を見上げて言った。

「ルト村へ行きます。二日ほどで着くでしょう」




 火山の中腹にある宿場、ルト村。

 山奥なのに、比較的人口の多い村である。人口の多い理由は、王国の兵士が駐屯しているからである。

 村の中で道が三つに分かれている。二つはグロッソ山地を縦断する道。もう一つは山中の森に続く道。

 道が分かれているところに宿屋があった。ウィリアは足を止めた。

「ゲントさん、あなたはこの宿に泊まってください」

「君は?」

「あちらへ行きます」

 ウィリアは山中の森に続く道を指さした。

「……やっぱり、そうか」

 山中の森は、本来の名前もあるようだが、別の名でよく知られている。「魔物発生区域」。

 森の地面から、火山性のガスなどと共に魔瘴ましょうが噴き出している。魔瘴とは魔素がガスの状態になっているものである。

 その魔瘴は、様々な理由で魔物の数と種類を増やす。周辺の魔物を引き寄せる。獣を魔物に変化させる。魔物を強化し成長させる。

 魔物を完全に駆除することはできないが、外に出てくると困るので、森を囲むかたちで防壁が張り巡らされ、魔物退治のための兵士が駐屯している。

 駐屯所には、別の役割もある。

 魔物が多いということは、格好の修行の場ということだ。そこで、駐屯所で入場料を取り、冒険者を入れている。釣り堀のようなシステムである。釣り堀と大きく違う点は、入場した者の半分ぐらいは帰ってこないことである。

 ウィリアはそこに行こうというのだ。

 ゲントが言った。

「話は聞いてるよね。腕に覚えのある冒険者でも、半分ぐらいは帰ってこないと」

「ええ、聞いています」

「危ないから、やめなよ……」

「危ないということは、修行として有効ということでもあります。せっかくここまで来てやめるわけにはいきません。ゲントさん、すみませんが三日待ってください。三日待って帰ってこなければ、死んだものとあきらめてください」

「君にもしものことがあったら、かよわい僕はどうなるんだ。こんな山奥に取り残されて……」

「王国の兵士さんがときどき交代するから、それについていったらいいでしょう?」

 ゲントはまじめな顔になった。

「あのね、僕はふざけた生き方をしている人間だけど、いまは真剣に言うよ。君はゼナガルドに帰った方がいい」

「……それを言いますか」

 ウィリアはゲントを睨んだ。

「あなたには不自然なものを感じていました。正体は、ゼナガルドの手の者ですか?」

「それは違う。ゼナガルドに頼まれたわけじゃない。一緒に旅をした人間の意見だ。君が仇をとらなければならない事情はわかっている。だけど、一人でやるのはあまりに無謀だ。領国に帰り、領主を継いだ方がいい。仇をとったとしても、亡くなったお父さんは喜ばないよ」

 ウィリアは眉を吊り上げた。

「勝手なことを言わないでください! あなたにわたしの父の何がわかると言うんですか!!」

 ゲントは困った顔をした。

「いやね、君のお父さんのことは知らないよ。だけどね、勝って凱旋するなら喜ぶかもしれないが、差し違えて死ぬというじゃないか。いくら仇をとるためでも、娘が死んで喜ぶお父さんなんかいないよ?」

 ウィリアは唇を結んだ。そして言った。

「……これは、わたしの誇りのためでもあるのです。

 わたしは黒水晶に犯されました。恥をさらして生きているのはやつを倒すためです。そのために強くならなければいけないのです。

 領国を継いで治める。自分ではなく兵士たちに黒水晶討伐を任せる。その方が適切だとはわかっています。ですが、それは我慢できません。自分は何もしなかったという後悔が、一生わたしを苦しめるでしょう。わたしは、自らの誇りのために行くのです」

 ゲントは悲しそうな顔をした。

「……そうか」

 ウィリアもまた、ゲントの悲しそうな顔を見て、心が痛んだ。

「ゲントさん、これを……」

 ウィリアは封をした手紙を出した。

「もしわたしが死んだら、お手数ですがゼナガルドに届けてください。あなたにもお礼をするように書いておきました。よければ、なぜ死んだかを説明してあげてください」

「いちおう、受け取っておこう」

「では、行ってまいります」

 ゲントに丁寧なお辞儀をし、森への道を歩き出した。




 ルト村から山道を一時間ほど歩くと、魔物発生区域になる。

 高い塀が森を囲っている。塀と連続して駐屯所がある。

 ウィリアは駐屯所に入った。

 兵士たちが何人もいる。気怠けだるそうにしている。ここにいる兵士たちは、森から逃げ出す魔物がいないか見張っていて、時に戦う。また、森の魔物が増えすぎないよう駆除をしている。辛い仕事である。

 受付係がウィリアに聞いた。

「冒険者さんですか? 森での修行を希望される……」

「はい。そのために参りました」

「では、まず、この書類にサインしてください。魔物発生区域には自分の意志で行く。何があっても自分の責任である……と」

 係員は印刷された書類を出した。要するに死んでも文句は言わないということだ。ウィリアはサインをした。

「入場料は百ギーンです」

 百ギーンを支払う。

「すみません、荷物が少しあるので、置かせていただけますか?」

「荷物の預かりサービスもやってますよ」

「おねがいします」

「一回五十ギーンになります」

 一般的な宿泊料が十ギーンから二十ギーンぐらいなので、かなり高い。さすがにウィリアも疑問を口にした。

「荷物の預かり料としては高くないですか?」

「預けた奴がね、半分くらい帰ってこないんですよ。いちおう王国の施設なんで、そのままって訳にもいきません。遺族に送り返す手間が大変なんです」

「……」

 言われた金額を払う。

「どうも。あとね、中で野宿はしてもいいですが、おすすめはしません。そしてかならず三日以内に戻ってください。戻らない場合は死んだものとして扱います。それから、魔物もですが、魔瘴にも注意してください。魔物を倒しても魔瘴にやられて倒れた者も多いです」

「ご忠告、ありがとうございます」

「それから、これは最新の地図です。どうぞ」

 地図を渡された。だいたいの道と、魔物の出現場所が書いてあった。

 係員二人に案内され、魔物発生区域へ続く廊下を進む。

 重そうな扉がある。

 係員がウィリアに言った。

「もう一度確認しますが、本当に、入るのですね?」

「はい」

「ならば何も言いません。ご武運を」

 係員が左右に別れ、扉を開けた。

 深く暗い森が広がっている。

 ウィリアは前に進んだ。

 背後で扉が閉まる。

 ウィリアは振り返って、扉の方を見た。扉の横に呼出用の鐘がつけられている。戻るときにはこれを鳴らすようだ。

 あれを鳴らすことはできるだろうか……。

 そういう思いが頭をよぎったが、振り払った。死にに来たのではない。修行に来たのだ。修行して、強くなる。そして、黒水晶を殺すための力を得る。

 ウィリアは剣を抜き、森の中へ進んだ。

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