30 魔物発生区域(2)

 ビュン。

 山中の森、魔物発生区域。まだ日は沈んでいないが、森は深く、薄暗い。

 風を斬る音がする。

 女剣士ウィリアが、剣を振っていた。

 スライムを叩き斬る。

「ふう……」

 入口近くはたいした魔物は出なかった。

 スライムや鬼火イグニスがいくつか出るくらい。それらは剣の一振りで片が付いた。

 森の中、奥へ進む。もっと強い魔物がいるはずである。

 道ばたに、スライムが群れているのが見えた。さっきとは違う緑色のスライムで、十匹ぐらいいる。

 ウィリアはそこに踏み込んで、剣を振った。緑色のスライムを次々と倒した。

 足元の一匹がウィリアの左足にとりついて、具足グリーブの中にもぐりこんだ。

「うっ……この……!」

 ウィリアはもぐりこんだスライムを追い出そうとした。

 激痛が走った。

「わーっ!!!?」

 緑色のスライムが酸を放出したらしい。急いで具足をはずしてスライムをつかみ出し、斬った。

「い……痛たたた……」

 足の皮膚を見ると赤く火傷をしている。ものすごく痛い。

 とりあえず道の横に座って、治療をした。荷物から傷治療の葉を取り出して火傷をしたところに当てる。包帯をする。

 治療の葉はゲントから買ったものだった。材料集めのいい加減さを見てあまり効かないのではと思っていたが、かなりよく効いた。貼った瞬間から、優しい手に包まれているような感じがして、痛みが和らいでいった。

 スライムと言えば弱い魔物の代表だが、油断してはならないと思い知った。

 幸い、皮膚の損傷だけに留まっている。まだ行ける。ウィリアは奥へ進んだ。




 背後から気配がした。

 振り向きざまに斬る。

 ムササビの魔物だった。タルムの森で見たやつだ。

 魔瘴は、自然界の生物を魔物に変える。人間も魔瘴の発生するところに住むと魔物化する事例があるという。

 短期間にはそんなことにはならないが、一定以上吸うと確実に毒である。ウィリアも、魔物発生区域を歩いていて、いい感じはしなかった。ところどころ地面から魔瘴が湧いている。なるべく避けるようにしてはいるが、いくらかは吸ってしまう。さっきから、わずかな吐気のような感覚を覚えている。

 これにも気をつけないと、帰ることはできないだろう。

 ウィリアは足を止めた。

 気配がする。茂みの中だ。

 剣に手をかけて、待った。

 茂みの中から巨大なヤマネコが現れた。爪を立て、ウィリアに飛びかかってきた。

「やーっ!」

 下から、胴体を斬った。

 ヤマネコは倒れた。気配に気付いていなかったら、爪でやられていただろう。

 この森では一切気を抜くことはできない。抜けば死ぬ。

 ウィリアは奥へ進む。

 地図を見た。道は迷路のように枝分かれしている。

 先へ進むなら枝分かれの道は無視するべきだろうが、ウィリアの目的は多くの魔物と戦うことである。分かれた道に入っていった。

 化けネズミや化け烏などの魔物がいた。出会う度に斬って倒す。

 分かれ道の一番奥まで進んだ。

 茂みがある。

 ここでも気配がした。さっきより兇暴な気配だ。

 うなり声が低く聞こえた。

「……」

 出てくるのを待った。

 現れたのは、牛ほどもある魔狼だった。ウィリアに突進してきた。

 一直線に向かってくる。体当たりをするつもりだ。

 ウィリアは寸前で、飛び上がった。

 上から、魔狼の首筋に刃を立てた。

「ウオオオオ……!」

 魔狼は断末魔の悲鳴を残し、息絶えた。

「……」

 ウィリアの額に汗が流れた。




 分かれ道を戻る。

 本道に戻る寸前、気配がした。

 しかし魔物の気配ではない。

 警戒しながら本道へ行くと、人らしき姿があった。しゃがんで何かをしている。

 別の冒険者が入ったのだろうか? と思った。よく見ると、茶色のマントを着ている。見覚えがあった。

「ゲントさん!?」

 ウィリアはおもわず声を上げた。

 ゲントは振り返った。

「やあ」

 いつものように、ゆるい笑顔だった。

「やあじゃありませんよ! なぜ来たのですか! 普段、僕は弱いから守ってと言ってたくせに、こんな危険なところに!」

「君の性格だと、魔物をほぼ狩り尽くしてから奥へ進むと思った。魔物が狩られたあとなら、たいして危険ではない」

「ですが、完全ではないし、茂みの中から出てくることもあります! 危険です! すぐ戻ってください!」

「うん。戻るよ。これを取ったら……」

 ゲントの手元を見ると、ナイフで、さっき倒した化けヤマネコの耳を切っていた。

「何をしているんですか?」

「ここで魔物を倒したら、倒した証拠を駐屯所に持ち帰れば報奨金がもらえる。たとえば耳を切って持ち帰る。君はこういうことに興味がないから放置すると思っていたけど、やっぱりだった」

 そういえば駐屯所にそういう説明が掲示されてたような気がする。

「だけどそんなお金儲けしている間に、本当に命を落としますよ! あなたのことまで面倒見られませんからね?」

「うん。これくらい持っていけば、入場料なんかは元が取れると思う」

「すぐ戻ってください!」

「そうする。君は?」

「もう少し、奥へ行きます」

「気をつけなよ」

「あなたも戻るまで気をつけてください」

 ウィリアは奥へ進んだ。ゲントはうしろから手を振っていた。

 本当に戻るのか気にはなるが、気にしていても仕方がない。自分のことをやる。




 奥の方には、オークやゴブリンなど、半人系の魔物がいた。

 普通なら多少の知能はあるはずだが、魔瘴の影響を受けて理性を喪失している。やたらと襲いかかってきた。

 ウィリアは斬って倒す。

 足を進めた。

 オークの集団がいた。五体、剣を持っている。

 血走った目でウィリアを取り囲んだ。

 ウィリアは周囲に剣をぶんまわした。五体のオークが一度に斬られた。

「……負けて死ぬわけにはいかないのです」




 丁寧に魔物を狩ると時間がかかる。すでに夜になってしまった。森の上空に、三日月がわずかに見える。

 魔物との戦いと、魔瘴の影響で、ウィリアの体力は限界に近づいていた。

 だが、もうすぐ森の中央部分に到達する。

 森の中央にある広場。

 そこには、巨大な魔物、サイクロプスがいた。一つ目の巨人で、頭に一本のツノがある。人間の数倍の大きさであり、左手には棍棒を持っている。

 サイクロプスはうろうろ歩いて、森の中に何かを探していた。棍棒を振った。狙ったのは巨大な鹿だった。サイクロプスは倒した鹿を頭から丸かじりした。

 ウィリアは樹の陰からその姿を見ていた。

「……強い」

 ものすごい力であり、棍棒にしても拳にしても、接触したらひとたまりもないだろう。

 いまの体力を考えれば、あれには挑まずに帰るという選択肢もある。

 しかし、ウィリアは考えた。あれは黒水晶より強いか?

 力はすごい。だが動きは鋭くはない。黒水晶ならば、あの程度の魔物は軽く獲物にするはずだ。

 あれを避けているようでは、黒水晶に勝つことなどできない。

 ウィリアは樹の陰から、広場に現れた。

 サイクロプスは驚いたような感じで、一つの目でウィリアを見た。

 食べている途中の鹿を放り投げ、棍棒を持ってウィリアに向かってきた。魔物にとって、前に現れる者はみな敵である。

 サイクロプスは棍棒を振り下ろした。

 ウィリアはよけた。棍棒が地面にめりこんで大きな穴を作った。

 ウィリアはサイクロプスの周囲を走り、チャンスを伺った。

 棍棒を振ったり、殴りつけてきたりする。しかしウィリアの動きが勝っている。

 だが、あることに気付いた。

 魔瘴の森の中央である。地面のあちこちから、魔瘴が漏れ出していた。さっきサイクロプスがあけた穴からも魔瘴が出ている。ここに長くいると悪影響がある。できるだけ早く決着をつけなければならない。

 サイクロプスが棍棒を振り下ろす。

 ウィリアはよけた。地面に凹みができた。そこからまた魔瘴が立ちのぼる。

 吸おうとしなくても、吸ってしまう。自らの体力が削がれていくのがわかった。このままではいけない。

 ウィリアは大きい岩の上に立った。サイクロプスからはまともに見える。

 棍棒で殴りつけてきた。

 殴りつけるその瞬間、ウィリアは跳んで、サイクロプスの胴体を斬った。大きく腹が斬られて、サイクロプスは倒れた。

 ウィリアは息をついた。

「……!」

 しかし、重大な見落としをしていた。サイクロプスはこの森で最大の魔物である。その体内には、濃い魔瘴を蓄えていた。サイクロプスの胴体を斬ったとき、大量の魔瘴が放出された。

 ウィリアはそれを吸ってしまった。

 いままで吸っていた魔瘴の総量が、限度を超えてしまった。ウィリアの体は痙攣した。立っていることができなくなり、その場にへたり込んだ。

 魔瘴の吹き出す土地である。さらにウィリアの体を弱らせた。

「あっ……だめだ」

 起きないと死んでしまう。

 だけど起きることはできなかった。

 意識が薄れる。

「……」




 何者かの足音が近づいてきた。

 半人の魔物だろうか。

 わたしを喰うつもりだろうか。

 そうだとしても、もう、何もできない。

 足音は止まった。

 それはウィリアの体を持ち上げた。

 鼻の近くに、何かを近づけた。いい匂いの物だった。体がすっとするような、さわやかな香り。

 その香りは体中に広がった。




 バキッ!!

 音がした。

 何の音だろう?

 ウィリアは目を開けた。

 背負われていた。

 背負っているのは、茶色のマントを背負った人間だった。

「ゲントさん……?」

「やあ、気がついた?」

「戻ってなかったのですね……?」

「ちょっと心配になってね」

 ウィリアを背負いながら、森の道を歩いている。太い枝を杖にしていた。

「背負ってくれて……。重いでしょう?」

「レディに重いと言うほど礼儀知らずじゃないよ」

「だけど、鎧を着て、剣もあるのに……」

「荷物をかつぐのが商人の仕事だ。これぐらいなんてことない」

 さっきの音は何だったのだろうと思った。

 うしろを振り返る。大きな化けコウモリが地面に落ちていて、ピクピクと痙攣していた。

 ウィリアは思った。この人は、けして弱くない。

「ゲントさん……。わたしが、猿の魔物に眠らされたとき、助けてくれたのは、あなたですか?」

「……さあ、どうだったかな。忘れちゃった」

「あなたは何者なのですか?」

「薬屋」

 言いたくなければ仕方がない。

 ゲントは懐から薬瓶を出した。

「魔瘴中和の嗅ぎ薬を嗅がせておいたが、まだ抜けてはいないだろう。これを飲むといい。かなり回復するはずだ」

 ウィリアは薬を受け取って飲んだ。苦かったが、体全体が生き返る気がした。

 ゲントは、ウィリアを背負ったまま進んでいた。背中のウィリアに向けて言った。

「ウィリア、君は、冒険者として未熟だ。まず自分が生き残ることを考えるべきだ。でないと、親のかたきも、仲間のかたきもとれないまま、無駄に死ぬことになるぞ」

「……そうですね」

「素直なんだね。ここまで言えば怒るかと思ったのに」

「命を助けられて、意地を張っても仕方ありません」

 森の入口に近づいている。

「ゲントさん……」

「ん?」

「あなたには助けられました。お礼をしたいと思います。あなたは相当な色好みのようです。わたしを抱いていいですよ」

「…………」

 ゲントは少し考えて言った。

「ものすごく魅力的な提案だけど……遠慮しておこう。犯した相手と刺し違えると言う人を、抱くほどの度胸はない」

「そうですか。無理にとは言いません」

「それに、お礼ならもうもらってる」

「?」

「さっきの魔物の耳もそうだけど、サイクロプスのツノを取っておいた。これを駐屯所に提出すれば、報奨金がもらえるはずだ。庶民の年収を超えるくらいのね。大もうけだ。君のおかげだよ」

「……あなたは、これから、どうするつもりですか」

「君といると、大きなチャンスが得られるようだ。できるだけ長く、一緒に旅をしたいな……」

 駐屯所の光が見えてきた。

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