26 アテュール村(3)
窓から光が差し込む。
外は晴れている。もう昼に近く、日差しは強い。
窓からの光が顔に当たる。
「ん……」
ベッドの中で体をよじり、光からよける。
だけど部屋の中はすっかり明るい。眠り続けるわけにもいかない。
「ふわあああ……」
目をつぶったまま伸びをした。
「んー……。もう朝かあ……」
ウィリアは眼を開けて体を起こした。窓から差し込む光を見る。
「陽が高いかな……。寝過ごしちゃった……」
起きて活動をしないといけない。
「ええと、今日は何を……」
そのとき、思い出した。
昨夜、祠の魔物を倒しに行った。それほど強くはなかったが、催眠の術を使う。ウィリアはそれにかかり、眠ってしまったのだ。
「え!?」
ウィリアはとまどった。
「わたし、なんでここにいるの!?」
眠って、勝てるわけがない。死んだはずだ。
可能性としてまず考えたのは、実際に死んでいて、ここが死後の世界だということだった。
周囲を見回した。部屋の様子は、一昨日泊まったアテュール村の宿屋と変わらないように見えた。
壁は古くなって木材に割れ目が見えている。布団には継ぎ接ぎの布が当ててあって、ところどころ染みがついている。死後の世界にしてはあまりにも散文的である。現世である可能性が高い。
自分の姿を見直した。
鎧は着ていない。その鎧は部屋の隅に重ねられていた。いま着ているのは、鎧の下に着るための服だった。
「ええと、待って? わたしは猿の魔物と対決して、眠って、眠ったら犯されると……」
はっと思って、パンツの中に手を入れて、股間を触ってみた。
「……なんともなってない……」
確証はないが、たぶん、何もなかったような気がする。
とまどいは解消されなかったが、とりあえず起きる。念のため鎧をつけた。
おそるおそる、部屋の扉を開いて、廊下に出る。
周囲を見渡す。
入口に座っていた宿屋の主人が気がついて、駆け寄った。
「女騎士さま! お目覚めですか!?」
「……あ、はい……」
「いや、心配しましたよ!」
「あ……ありがとうございます……。それで、どうなったのですか……?」
事情がよくわからない。
「いま、村の男が、死体を持ち帰ってくるところです!」
「死体……?」
村の広場に出てみた。
時を同じくして、村の入口が騒がしくなった。
山道から何人もの男が歩いてきた。よく見ると丸太をかついでいる。その丸太には大きな獣がくくりつけられている。
猿の魔物であった。
「……?」
倒したおぼえはない。ウィリアはますますとまどった。
「やあ」
広場に、ゲントがいた。
「……あ、ゲントさん……。あの、昨夜何があったんですか? わたし、眠ってしまって、覚えてなくて……」
「おぼえてない? そうか。昨夜僕は君のことが心配で心配で、何も手に付かなかった。いてもたってもたまらず、宿の外でうろうろしていたんだ。天の配剤で出会った強く頼れる仲間が、こんな僻地の村で無惨に散るのではないかと思うと、胸が張り裂けそうで……」
「余計な形容はいいですから。それで?」
「真夜中、君がふらふらしながら帰ってきて、村の入口で倒れた。人を呼んで宿まで運んだ。さすがに鎧をしたまま寝せるわけにはいかないので、それは外しておいたからね」
「そうでしたか……。ありがとうございます」
いまひとつ納得はできないが、そうなのかもしれない。
「魔物は、朝に見に行ったら祠の前で死んでいたそうだ。とりあえず村まで運んで処理しようということになった」
「……はあ……」
「またお手柄だね」
ゲントが微笑んだ。
「いえ、ですが、わたし、勝ったおぼえがないのです。あの魔物は催眠の術を使うのです。わたしは眠ってしまいました。勝てたはずがありません」
「ふむ。だけど魔物は退治されてたからね。君ぐらいの達人になると、眠っていても体が動いて、斬ったんじゃないの?」
「わたしは別に達人ではないですが……」
そのうちに、村の広場に魔物が運ばれてきた。
巨大な猿の魔物。人間の倍くらいの身長があり、眼は四つ。体は剛毛で覆われている。
体にはあちこちに傷がついている。左腕は切断されている。眼の一つは斬られて潰れている。
村長がいた。
「あっ! 女騎士さま! 魔物を退治してくれてありがとうございます!!」
心底うれしそうな顔だった。
「あ、はい……」
まだとまどいは解消されないが、村長にたずねてもあまり納得できる答えは得られそうにない。
ウィリアは魔物の死体をじっと見た。
眉間から顔の中央に深い傷がついている。これが致命傷のようだ。しかし、これはウィリアのつけた傷ではない。それに、剣の傷とも微妙に違うような気がする。
傷口……。
そういえば思い出した。催眠の術に対抗するため、足の皮を切ったはずだ。
だが、切ったおぼえのあるところには、何も痛みや違和感はない。さりげなく足を触ってみたが、傷らしきものは発見できなかった。
どれもこれも納得のできないことばかりだが、とにかく、祠の魔物は倒された。村人と一緒に、このことは喜んでおこうと思った。
村長たちが、死体の処理について話していた。
「これは焼いて処理するべきだろうか」
「ただ埋めておけばいいのでは?」
村長たちの会話に、薬屋のゲントが割り込んだ。
「これは、ただの猿の魔物じゃないと思いますよ。怨念がとりついています」
「怨念?」
村長たちがゲントを見た。
「ええ。怨念です。もし純粋に猿の魔物だったとしたら、人間の若く美しい娘を求めるのは変じゃないですか。美しいメス猿を求めるはずです。人間を要求するのは人間の怨念にちがいありません。こいつは、肉体としては猿の魔物でも、それと人間の怨念が複合したものだと思います。怨念を取り払わない限り、また同じことが起こるかもしれません」
「……」
ゲントの説明には一理あった。皆が顔を見合わせた。
「では、どうすれば……」
ゲントは笑顔になって言った。
「そこで! 怨念払いの呪符を使うべきです。僕は薬屋ですが、呪符も取り扱っています。さいわい怨念払いの呪符が在庫にありました」
「おお……」
「一枚六百ギーンです! 前金でお願いします」
村長は言葉に詰まった。
小さな村である。六百ギーンはけっこうな負担になる。それにいかにも話が怪しい。
だが、もし本当だったらと考えてみると、無下に断るわけにもいかない。
村長は横にいたウィリアの顔をのぞき込んだ。この話が本当かどうかを教えてほしいらしかった。
しかしウィリアも、本当かどうか判別がつかないので、微妙な表情を返すしかなかった。
しばらく考え、村長は言った。
「……お願いします」
村長は自分の家から六百ギーンを工面し、ゲントに渡した。
「まいどあり。では……」
ゲントは呪符を袋から出し、猿の魔物の胸の上に置いた。
呪符が毛皮に貼りついた。
次の瞬間、急に呪符が燃えだした。その炎は魔物全体に広まった。そして、炎が人間のような形をとって、空中に浮かび上がり、もがき苦しむような動きをした。
周囲から悲鳴が上がった。
炎はのたうち回っていたが、やがて分解するように四散し、空中に消えた。
ゲントはそれを見上げて言った。
「……怨念は払われました。もう安心していいと思います」
村長は腰が抜けてすわりこんでいた。
「あ……ありがとうございます」
ウィリアは村の墓地に来ていた。
祠の魔物の犠牲になった人たち、その墓を訪ねて花を捧げた。あと、衰弱して亡くなった青年の墓にも。
「では、お別れです。お世話になりました」
村の主立った者がウィリアを見送りに来ていた。
「こちらこそお世話になりました。これは、些少ですが、お礼です」
村長が、金が入った袋を差し出した。村の精一杯のお礼のようだ。
「受け取れません」
「ですが……」
「わたしの修行として言い出したことです。お金は受け取るわけにはいきません。それで亡くなった方々の供養をしてください」
ウィリアは袋を突き返した。村長は潤んだ目で下を向いた。
ウィリアとゲントは山道を歩いていた。
「礼金を受け取らなかったってね。もらえばよかったのに」
ゲントが言った。
「礼金目当てで言い出したことではないですし、それに、受け取るべきではないように思って……」
「どうして?」
「先ほども言いましたが、わたしはあの魔物を倒した覚えがありません。眠りの術にかかってしまいました。本当に倒した人が、別にいるのかもしれないと思うと、なんだか悪くて……」
「いいじゃないの。考え方が固いなあ」
「まあジンク村でもらった分がありますし、路銀には不足していません。ところで、さっきどこに行ってたんですか?」
ウィリアが墓参りに行っていた間、ゲントはいなかった。
「……あ、もしかして、えっちなお宿ですか?」
「この村にそんなものはないよ。あれば行きたかったけどね。そうじゃなくて、村の広場で薬を売っていた。なかなか薬売りが来ない村だから、けっこう売れたよ」
「もう……。金儲けのことばっかり考えて……」
「いいじゃないか。僕の売った薬で助かる人もいるんだ。僕も嬉しい。買った人も嬉しい。商売のあるべき姿だよ」
「まあねえ……。あと、さっきの怨念払いはすごかったですね。役に立つ物も売ってるのですね」
「僕の売ってる物は、みんな役に立ちます!」
「あなたにああいうことができるとは思いませんでした」
「僕に能力があるわけじゃない。呪符に力があるんだよ。置くだけだから、誰でもできるよ」
「どこから仕入れるんですか?」
「それは秘密。力のある魔道士や聖職者が作ってるんだが、だいたい、表に出たくない人ばっかりだ。そういう人に渡りをつけて売ってもらうのが商人の実力というもんだ」
「なぜ、力のある人が表に出たくないのですか?」
「そういう人が表に出るとねえ……一部の領主とか有力商人とかに眼をつけられて、働くことを強要されたりする。やばい仕事に関わって、最終的には身の破滅に至る、ということがあってね……」
「はあ……」
「力をおおやけに見せたくない人は、けっこう多いんだよ」
そうかもしれない、とウィリアは思った。
歩いているゲントの横顔を見た。
「あのですね……もしかしたら……」
「ん?」
ゲントはウィリアに顔を向けた。いつものように、力の抜けた笑顔をしていた。
「……いえ、なんでもないです」
二人は並んで山道を進んだ。
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