11 タルム洞窟(3)

「うう……」

 ラザレは背中でうなっていた。捻挫の痛みに加えて、蛇の毒が回ってきたようだ。毒消し草も飲んだが、効果はあまりないらしかった。

「だめだ……俺は、死ぬ……」

「がんばって。ラザレさん。死なないでください」

「……死なないでくださいか……いい響きだ……くたばれと言われたことは何千回もあるけどな……」

「もうじき第二階層です。すぐ出られます。大丈夫です」

「……いや、洞窟を出られても、この毒は、治癒師か、王都の医者でないと治療は無理だ。とても、間に合わねえ……。報いだな……。あんた、俺を捨ててもいいぞ……」

「そんなことできませんよ」

 魔物がときどき出る中、それを倒しながらウィリアは進んだ。

 しばらくして、ウィリアの足が止まった。

「……あの、ラザレさん、すみませんが、一回降ろしますね」

「……え。なぜだ? お、おい、あんた、俺を捨てて行くのか?」

「捨てませんよ。ちょっと、用事があって……」

「用事ってなんだ? こんな洞窟の中で、何があるんだ?」

「……その……あなたがさっきした事ですよ!」

「あ、ああ、ションベンか……。さっき済ませればよかったのに……」

「地上に出るまで間に合うかと思って……。すぐもどってきますから」

「本当だな? 戻ってくるな?」

「戻りますってば。だいたい、ついさっき、捨てて行ってもいいと言いませんでしたか?」

「言った……。言ったけど……、一人で死ぬのは……やっぱり怖い……」

「もう……。必ず戻りますから、待っててください」

 ウィリアは小走りに、側道の中に入っていった。ラザレは座って見ていた。

「やーっ!!」

 いきなり声がした。それと何かを斬ったときの音。側道の中に魔物がいたらしい。

 少しの時間のあと、ウィリアが側道から出てきた。

「おまたせしました。急ぎましょう」

 再びラザレを背負って進む。

「あんた……いい奴だな……。俺が死んだら、地図も財布もやる……。それまで背負ってくれ……」

「もらえませんよ。仮に、あなたが亡くなることになっても、ご家族に届けないといけません」

「そんなのはいねえ。女房も子供も、親兄弟も……。死んで悲しむやつもいない……。ただ死ぬだけだ……」

「あなたには無理を言って来てもらいました。死んだらわたしのせいです。お願いですから死なないでください」

「いや……俺のヘマだ……あんたは気にすんな……」

 ウィリアは魔物を斬りながら、できるだけ急いで進んだ。

 洞窟の中に、変な匂いがしてきた。

「……ラザレさん、変な匂いがします。これはなんでしょう?」

「匂い……?」

 ラザレも周囲の匂いを嗅いでみた。

「ああ……。これは、魔素の匂いだ……。なにか魔素を放出するみなもとがあるようだ……」

 刺激性があり、良い匂いではまったくなかった。進むにつれて、強くなってくる。

「わたしたちが吸っても大丈夫でしょうか?」

「……一時的なら問題ない……あまり多量だと命に関わるけどな……」

 匂いがしても、進むほかはない。洞窟が広くなっている空間の前まで来た。その空間に何か大きなものが見えた。

 洞窟の大きな空間に、植物が生えていた。巨大な幹に、巨大な花が一輪咲いている。奇妙な葉や蔓が何本も出て、それがうねうねと動き回っていた。

「あれは……!?」

「う……なんだ……なんだありゃ……俺も初めて見るが……太古の妖樹か……? そういえば、ここは第三階層で柱があった上だ……」

 妖樹の花が閉じたり開いたりしている。そのたびに霧のようなものが発生する。

「魔素を吐き出してやがる……。そうか……。下層の魔素をここまで運んでいるのか……。魔物が強いわけだ……」

 見ていると、化けネズミがそこに迷い込んできた。

 妖樹の蔓がムチのように動いて、化けネズミを叩いた。化けネズミはひっくり返って痙攣した。毒があるらしい。

 蔓がそれに巻き付いて持ち上げた。葉の一部がハエトリソウのように二枚向かい合って、歯の生えた口みたいになっている。それは蔓が運んできたネズミを咥え、咀嚼した。隙間から赤いものが垂れた。

 一部始終を見ていた二人の背筋が凍った。

 ウィリアは地図を広げて確認した。

「ここを通る以外、出る道はありませんね……」

「……これを……使え……」

 ラザレは息も絶え絶えになりながら、背嚢からいくつかの玉を取り出した。

「炸裂弾だ……。当たると爆発する……。あの手のは火に弱いから……焼けたところで走ればなんとかなるかも……」

「わかりました。では、行きますよ」

「俺はいいよ。捨てていけ。共倒れになると悪い……」

「いいえ、連れていきます」

 ウィリアは炸裂弾を妖樹に投げつけた。火が広がる。妖樹は体をねじらせ苦しんでいるようだった。

 ウィリアはラザレを背負ったまま、走り出した。火で苦しんでいる間に妖樹の横を駆け抜けようとした。

 しかし、転んでしまった。

「わっ!!」

「ぎゃっ」

 見ると、妖樹の根らしきものが地面から飛び出して、足首をつかんでいた。

「うっ……この!」

 剣でその根を切った。

 だが、背後から妖樹の蔓が振られた。それに気がつくのが一瞬遅れた。

「! やられる!!」

 蔓は、ウィリアの喉元をめがけて襲ってきた。

 バシッ!

 蔓はウィリアには当たらなかった。ラザレが体を起こして、防いでいた。

「ラザレさん!」

「……」

 また蔓が襲ってきた。ウィリアは体勢を立て直し、剣で蔓を斬った。

 今度は、巨大な花がウィリアに近づいてきた。魔素を吹き付けて弱らそうとしているようだ。しかし、ウィリアはそれをかわして跳び、花の根元を斬り落とした。妖樹全体が痙攣して、ぐねぐねと無軌道な動きをした。

 ふたたびラザレを持ち上げて、妖樹の根に気をつけながら駆け、広い空間を抜けた。

「ラザレさん! 大丈夫ですか!?」

「……だめだ……もう……動けねえ」

「わたしに長生きできないと言ったあなたが、なぜ体を張って?」

「……無くなる命なら、役に立った方がいいと思ってな……俺は貧乏性なんだ……」

「あきらめないでください!」

 ウィリアはラザレを背負って第二階層を急いだ。

 途中、ゴブリンが数匹いた。ウィリアは剣を抜き、それらを睨みつけた。魔素の供給がなくなったことで、いくらか正気に戻っているらしい。ゴブリンはおそれをなして退散した。

 第一階層までたどりついた。

「もう少しです」

「……だめだ。感覚がなくなってきた……。逆に……なんか気持ちいいな……。つねづね、女の腹の上で死にたいと思っていたが……背中の上で死ぬのも悪くねえな……」

「またわけのわからないことを言って!? もう地上に出ますよ!」

「あんた……」

「何ですか?」

「長生きしろよ……」

 そう言うと、ラザレは黙った。

 ウィリアは洞窟を出た。すでに深夜になっていた。森の樹の隙間には星が輝いていた。

「ラザレさん、脱出できましたよ!」

 背負っているラザレに言った。しかし返事はなかった。息も。




 王都の市壁の外に、墓地がある。整然とした上流階級の墓地と、墓が雑然と並んでいる庶民用の墓地に別れている。庶民用の墓地の一角に管理人の住む小屋がある。

 夜中、小屋の扉を叩く音がした。しばらくして、頭の禿げた管理人が出てきた。

「なんだい、こんな時間に……」

「夜分もうしわけありません。埋葬をお願いしたいのです」

 若い女騎士が男を背負っている。男は死んでいるようだ。

「埋めるだけなら百ギーン、墓石を立てるならさらに二百ギーンだ」

「墓石もお願いします」

 女騎士は背負っていた男を降ろした。

「あんたが殺ったのかい?」

「いいえ。魔物の毒で亡くなりました」

「そうか。どれどれ。ん……? あ! こいつ、盗賊のラザレじゃないか! こいつは傑作だ! こいつには何度も穴を掘らされたが、とうとう自分がくたばるとはな!」

「……埋葬をよろしくお願いします」

「いや、埋めてる場合じゃない。お嬢さん、こいつはお尋ね者だ。治安本部にこの死体持っていけば、報奨金として二千ギーン出るよ」

「いえ、きちんと埋葬をしてほしいのです」

「もったいない」

「合計して、三百ギーンでよろしいですね?」

「え? 三百? 治安本部に持っていけば二千ギーンになる死体を埋葬するのに、たったの三百?」

「……わかりました。三千ギーン出しましょう。それでいいですか?」

「ああ、そんなら、きちんと埋葬してやる。だけどあんたも酔狂だね……。ところで、墓石にはなんて書く?」

「普通に名前を書いてください。本名かどうか知りませんが、ラザレと……」

「ああ、そりゃ、よした方がいいでしょう」

「なぜ?」

「ときどき役人が見回りに来ます。そこで、新しい墓にお尋ね者の名前が書いてたら、掘り返して確かめようとなったりします。私もお叱りを受けるでしょう」

「そうですか。では、どうしたら……」

「こういう場合、どういうやつだったかを書くといいでしょう。たとえば、ナイフ使いのうまい男とか、口がうまい男とか……」

 女騎士は少し考えた。

「では……『みずからを犠牲に人を守る者』でお願いします」

 管理人はそれを聞いて、おもわず噴き出した。

「え? こいつが人を守る者? ははははは!……うぷぷ……いやすまん、そう書いておくよ……ははははは……あー、おかしい」

 女騎士は金を払うと、墓地を去って行った。

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