10 タルム洞窟(2)
「……」
女剣士ウィリアと盗賊ラザレは、タルム洞窟の中で穴に落ちた。
滑り台のような穴であり、かなりの距離を落ちたように感じた。地面に叩きつけられる感触がして、落下は止まった。
ウィリアがあたりを見回してみると、やや広い、部屋のような空間だった。近くにラザレが倒れていた。
「ラザレさん! 大丈夫ですか!?」
「うう……。痛え……。体を打った……。あんたはどうだ……?」
「鎧のおかげで、なんとか大丈夫のようです」
「そうか……」
ラザレは立ち上がろうとした。しかし、立ち上がれずバランスを崩しそうになった。
「ラザレさん!?」
「いけねえ……。捻挫した……」
歩くのは無理のようだ。
「しばらく休みますか?」
「いや、早いとこ脱出しないと……。とは言っても、ここはどこだ?」
ラザレにもわからないらしい。
ウィリアは、自分たちが落ちてきた穴を調べた。
急な角度で斜めになっていて、周囲が石灰岩でつるつるになっている。滑り台のように滑るわけだ。
「太古の水脈の跡でしょうか……。ここを登るのは無理のようですね……」
登ってもまだゴブリンがいるかもしれない。
さいわい、落ちてきた穴以外にも出口はあった。ラザレが言った。
「あんた、悪いけど、あそこから少し行って、分かれ道とか、目立つ石とかあったら知らせてくれ。あと魔物には気をつけろ。なるべく戦わずに隠れろ」
ウィリアは出口から少し進んで、周囲の地形を確認してきた。
「こう……こういうふうに、分かれ道になってます」
地面の砂に指で書いて説明した。
「なるほど。わかった。ここは第四階層だ」
「脱出できますか?」
「普通ならできる……が……俺が歩けないし……」
「背負いますから」
「すまねえな……。あと、魔物にはくれぐれも気をつけろ……」
ウィリアはラザレを背負って洞窟を進んだ。
通路の向こうに、巨大なものがいた。古代の恐竜に似ていた。戦って勝てるか勝てないかはわからない。しかし、戦わない方が適切なのはあきらかだ。二人は身をかがめてやりすごした。
危険そうな魔物は他にも見かけた。その度に身を隠すので、なかなか進まない。そして分かれ道がいくつもある。ウィリアは背中のラザレに訊ねた。
「ラザレさん、この分かれ道はどっちですか?」
「うう……ここは、右……」
捻挫したところがそうとう痛いらしい。
「ここは?」
「……ここは……左。……ああ、めんどくせえ! これ見て進んでくれ」
ラザレは背嚢から四枚の紙を取り出した。
「これは?」
「この洞窟の地図だ。第一から第四階層まで四枚ある」
そのままでは暗くてわからなかったが、壁で発光している苔に近づけるとなんとか読めた。洞窟の中の道や、危険な箇所、罠、だいたいの魔物の出現場所などが書いてある。
「こんなわかりやすいものがあるなら、最初から見せてくれればよかったのに」
「そうはいかねえ。洞窟の地図なんてのは俺ら盗賊のメシの種だ。普通は誰にも見せねえ。今回は特別だ」
ウィリアは地図を頼りに進んだ。ところが、しばらく経つと、背中のラザレが変なことを言い出した。
「あの……悪いが、やっぱり、地図は返してくれ。俺が指示するから……」
「え? いやですよ。いちいち聞くより見ながら行った方が早いじゃないですか」
「いや……でも……それは大事なものだから……」
「大事なものはわかっています。出たら返しますから。それでいいでしょう?」
「だけど……その……その地図をあんたが持ってると……背負われてる俺の、存在意義というものが……」
「わけのわからないことを言わないでください。存在意義とか、こんな時にどうだっていいでしょう!?」
「だけどさ……存在意義のない人間が……背負われてていいのかって……」
「あの、もしかして、地図を持ったわたしが、あなたを見捨てて行くんじゃないかって心配になったのですか?」
「……ウン」
「そんなことしませんよ! ちゃんと地上まで背負いますから」
「……本当だな?」
「これでも公女、だった者、です! 嘘は言いません」
「そうか……ならいい……」
どうにか、第四階層を抜け、第三階層までたどりついた。
「魔物の密度が高いから、気をつけろ」
「はい」
暗闇から、イモムシの魔物が襲ってきた。ウィリアはラザレを背負いながら剣で斬った。
「あ……が……」
ラザレが変な声を上げた。衝撃があると、足が痛むらしい。しかし、しょうがない。
それからも数回、魔物に出くわした。魔物が闇から襲ってくる。ウィリアが斬る。ラザレが変な声を上げる。
ウィリアは地図を見ながら進んだ。
「あれ?」
ウィリアは、地図と、周囲をかわるがわる見た。
「どうした?」
「ここは地図では広い空間となっていますが、分かれ道になっています」
「分かれ道? そんなはずは……」
見れば、直径十メートルほどの柱があり、道を二つに分けている。
「ん? 前に入ったときは、こんな柱はなかったぞ?」
ウィリアはラザレを背負ったままその柱に近づいた。触れてみる。鍾乳石の柱かと思ったが、違った。植物的な感触がした。
柱が、微妙に振動した。
「……え? 何?」
「何だかわからねえが、触れない方がよさそうだ……」
しばらく進む。また、洞窟の向こうに巨大なものが見えた。
「あれは……」
「あれがキマイラだ。でけえな……」
獅子の上半身、山羊の下半身、そして尻尾は頭部を持つ蛇という、自然の理に外れたような生物、キマイラがそこにいた。
「あれ、狩れませんか?」
「無茶言うな。あのサイズとなると、普通でも二人では無理だ。だいたい今は実質一人だ」
事前に調べた情報によると、キマイラは人間より少し大きいくらいということだった。だが、いま見えているのは、人の倍くらいはありそうだ。
「魔素を吸って大きくなったか、たまたま大きいやつなのかはわからねえが……普段より強力だろうし……とにかく手を出すな」
「そうですね……」
今は脱出しなければ。
道を進む。少し経って、ラザレが言った。
「あの、ちょっと、降ろしてくれ」
「え? なぜですか?」
「ションベン……」
「ああ……では、わたしは少し離れてますね」
ウィリアは側道に少し入った。ラザレは片足立ちで立ち小便をした。
「ふう……」
ラザレは一息をついた。
だが、背後に何者かがいた。
「ぎゃーっ!!」
ラザレの悲鳴が聞こえた。ウィリアはあわてて側道から出てきた。
さっきの巨大なキマイラがラザレを押さえつけて、喰おうとしていた。
「た、たすけてくれーっ!!」
ウィリアはとっさにキマイラに斬りかかった。
胴体に刃が当たる。が、斬れない。獣の皮とは思えないほど固かった。
キマイラは腕を振った。ウィリアは間一髪よけた。
急に蛇が襲ってきた。ウィリアを咬もうとする。頭を剣で殴ってかわした。キマイラの尻尾の蛇だった。
キマイラは炎を吐いた。ウィリアは跳んでよけた。灼熱の炎だ。まともに当たれば命はない。
獅子と山羊と蛇の力を持つ魔物はすばやい。ウィリアは身を翻し、攻撃が当たらないようにするだけで精一杯だった。
また蛇が襲ってきた。避ける。しかしキマイラは、同時に腕でも攻撃をしていた。ウィリアは太い腕に殴られ、ラザレの近くまで体が飛ばされた。
キマイラが口を開けて駆けてきた。
「わわわ! 来るな!!」
ラザレが大声を出した。懐から何かを取り出し、キマイラの顔に投げつけた。目潰しの粉だった。
「グヮオオオ!」
キマイラは刺激性の粉をかけられ、大きな悲鳴を上げた。目をつぶりながら、ウィリアとラザレのいたあたりに腕を振り回す。体を叩きつけられたウィリアは寸前で立ち上がり、それをかわした。ラザレも片足と手をつかってなんとかよけた。
「刃が通らない。どうすれば……」
ウィリアは再度キマイラを見た。三つの種類の動物が混じった、自然の理に外れた生物である。いまその体は、魔力によって強靱になっている。先ほど斬った甲虫のような継目もない。
「そうだ……継目!」
甲虫のような継目はなくても、獅子の上半身と山羊の下半身が接する部分、ここは弱点なのではないか。
「やーっ!!」
ウィリアは飛び上がって、キマイラの上半身と下半身の境を斬った。刃は通った。胴を深く斬られ、キマイラは咆哮を上げると、息絶えた。
ウィリアは、剣を地面に突き立てたまま、膝をついた。
「……お、おい、あんた、大丈夫か」
ラザレが心配そうな声をかけた。
「体を打ちましたが、なんとか大丈夫です」
「そ、そうか。そりゃよかった」
さて、狩りは諦めていたが、思いがけなくキマイラを仕留めることができた。せっかくなので牙を採取しなくては。ウィリアはキマイラの牙をとりはずす作業を始めた。
作業をしていると、後からラザレが声をかけた。
「……なあ、あんた、なぜ俺を助けた?」
「え?」
ウィリアは振り向いた。
「なぜって……」
「もしかして、俺のアソコがあんまりよかったので、ガチ惚れしちまったか?」
「ちがいます! そのようなことは、一切ありません!!」
「お……怒るなよ……冗談だってば。冗談にいちいち怒るな……あんた、怒ると怖いな……。
いやな……俺は怪我して荷物にしかならない。地図はあんたが持っている。今はなんとか勝てたが危なかった。俺を助けるメリットは、ほぼ無かった。立場が逆だったら、俺なら迷わずに逃げる」
「地上まで背負うと言いましたし……それに、一時的とはいえ、仲間じゃないですか。助けるのは当然だと思います」
「仲間だから助ける、か。美しいな。俺にそのくらいの倫理観があれば、死なずにすんだやつも何人かいただろうな」
「だいたい、あなたが助けてくれと言ったじゃないですか?」
「言った。誰だって言うだろ。だが、助けてくれるとは思わなかった。むかし俺と一緒に冒険に行って『たすけてくれ!』が最後の言葉だった奴が何人もいた。そのことを思い出してな」
「助けられたことが不満なんですか?」
「とんでもない。感謝している。出るまで同じ事があったら、やっぱり助けてくれ。ただなあ、あまり美しい心をしていると、長生きできねえぞ」
「別に心が美しいわけではありません。わたしも、助けることが不可能だったら、逃げます。閾値が違うだけです」
牙を一本取り外すことができた。もう一本を外す。
「牙が二本いるのか?」
「二本持っていけば、一個作ってくれるとのことなので」
「なるほどな。さて、俺も何か持って帰りたいが……毛皮なんかも採れればそれなりの金になるんだが、さすがに持ち帰るのは無理か。こいつの皮は堅いし……」
体を見ると、尻尾の蛇があった。
「頭を持っていこう。牙と毒袋が売れる」
ラザレは蛇に近づいて、ナイフで首を切ろうとした。
「クヮーッ!!」
「ぎゃあ!!」
蛇が突然動き出して、ラザレの腕に咬みついた。
「ラザレさん!!」
ウィリアが剣で蛇の頭を切り落とした。
「大丈夫ですか!?」
「うう……。普通なら本体を殺せば死ぬんだが……強力になってるのを忘れてた……生命力が残ってたらしい……」
「牙は取れました。早く脱出しましょう」
「すまねえな……」
ウィリアはまたラザレを背負った。
「あ……すまん、蛇の頭ひろって……」
「あ、はい」
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