9 タルム洞窟(1)

 王都の南にはタルムという森があり、その奥に洞窟がある。洞窟の奥に、キマイラが生息している。

 盗賊ラザレと女剣士ウィリアはタルムの森を進んでいた。昼でも暗い、陰鬱な森であった。

「不気味ですね……」

 ウィリアがつぶやいた。

「まあな。そもそも魔物が出る森だからな」

「この辺にも出ますか?」

「出る。気をつけな。あんた、魔物を狩ったことは?」

「父の狩猟について行って、森でスライムやラルヴァを払ったことはあります。それくらいです」

「かたきをとるために修行していると言っていたが、魔物狩りはしないのか?」

「本格的にしたことはありません。適当なところがなくて……。王都の近くにも魔物が出る場所はあるようですが、そんなに強くないらしいので」

「強くない魔物でも、狩る練習はしておいたほうがいいぞ」

「なぜですか?」

「魔物はそれぞれ、独自の動きをする。人間とはまったく違う。いろいろな動きの魔物を経験することで、こちらの修行になる」

 そう言うとラザレはとつぜんウィリアの方を振り向き、ナイフを投げた。ウィリアは咄嗟に後方に飛んだ。

「な、何を!」

 ウィリアは反射的に、腰の剣に手をかけた。

「落ちつけ。あれを見ろ」

 ラザレが指さすところを見ると、ウィリアの後方だったあたりに、巨大なムササビが落ちていた。ナイフが刺さって死んでいる。

「魔物化したムササビだ。飛びかかってきたのに気がつかなかっただろう?」

「……なるほど、独自の動きですか……」

「まあ、こういうことだ。場数を踏んで悪いことはない」

 ラザレは魔物からナイフを抜いて、血を払った。

 二人は更に進んだ。

「そういえば、魔物と、野獣はどう違うのですか? わたしは魔物のことはよく知らないので……」

「魔物と言っても、いろいろある。たとえばさっきのなんかは、もともと普通の獣だったのが、魔物の性質を持った気体……魔素まそとか魔瘴ましょうとか言うが、それに冒されて魔物になったやつだ」

「元の獣とどう変わるのでしょうか」

「力が強くなったり、兇暴になったり……。たとえばだな、普通の獣は、足の一本も切り落としてやれば戦意喪失して逃げたりするだろう? 魔物は違う。足を切り落とそうが何しようが、戦う時には最後まで戦う。殺さない限りあきらめねえんだ。あいつらは」

 二人は森の細い道を抜け、洞窟の前まで来た。かなり入口が広い鍾乳洞のようだ。

「ここだ。中にはけっこうな数の魔物がいる。気をつけろよ」

 洞窟に入る。空気がひんやりしている。

 さっきのこともあり、ウィリアは神経を働かせて、魔物の襲撃に備えた。

 奥の方へ進む。洞窟壁面のコケが発光しているので、完全に暗くはならない。目が慣れると、多少は周囲が見渡せるようになった。

 なまぐさい匂いがしてくる。

 突然、闇の中から、何かが飛び出してきた。ウィリアは咄嗟に剣を振った。

 飛び出してきたものは体を二つに切られて死んだ。見れば、犬ほどもある化けネズミだった。

「たいしたもんだ。だが、こんなもんじゃねえ。気を抜くな」

 二人は更に奥へと進んだ。ラザレが言った。

「あんた、人を殺したことはあるか?」

「……はい」

 あの日、黒い兵士を斬った感触は、まだ手に残っている。もっとも、あれが人だったかどうかは、あまり確証はないが……。

「善人を殺したことは?」

「……。たぶん、ないと思います」

「そうか」

 一息ついて、ラザレが言った。

「俺はあるんだ」

 ウィリアはわずかに眉をひそめた。

「あんたが協力を求めているのは、そういう男だ。覚えとけ」

「かまいません。大望のためには、悪魔とでも手を結ぶつもりです」

「いい根性だ。だがな、悪魔と手を結んでばっかりいたら、いつのまにか自分が悪魔だった、なんてこともあるからな」

「気をつけます」

 洞窟を歩く。

 再度、何かが飛び出してきた。今度はラザレに向かってきた。ラザレは、手にした短刀でそれを突いた。

 また化けネズミだった。それはいちど後に下がると、ふたたびラザレに向かって飛びついてきた。

「む……?」

 今度は短刀で、脳天を突いて倒した。

「……」

 ラザレは少しその場に留まり、化けネズミの死骸を見ていた。

「どうしました? ラザレさん」

「……いや、なんでもない」

 奥へ進む。時々化けネズミやスライムが襲ってくる。それらはウィリアが倒した。

 洞窟が細くなっていた。下り坂になっている。

「急な坂ですね」

「この先から第二階層だ。目当てのキマイラは第三階層にいる。下るに従って魔物も強くなるから気をつけろ」

 二人はそろそろと坂を下りた。

 暗い中を、わずかな苔の発光をたよりに進む。

 洞窟の曲がっている箇所に来た。向こうは見えない。だが、道の向こうから音がした。金物がガシャガシャぶつかっているような、異様な音だ。

「何でしょう?」

「……?」

 突然、道の向こうから、子牛ほどもある巨大な甲虫が現れた。こちらに向かって突進してくる。

「大シデムシだ!」

 ラザレが叫んだ。

 大シデムシはラザレに飛びかかってきた。体を飛ばしてよける。側方に回り込み、体の継目の部分にナイフを突き立てた。

 だが、傷つけることはできなかった。

「……!!」

 大シデムシは今度はウィリアに向かってきた。ウィリアはかみついてくる顎をかわし、甲の部分に剣を叩きつけた。しかし、大シデムシの甲は固く、斬ることはできなかった。

「継目だ! 体の継目を狙え!」ラザレが叫んだ。

 ウィリアは頭と胸の間の継目を狙い、斬った。頭部が落ちた。

 頭部が落ちても大シデムシはまだ死ななかった。突進を続けた。しかし見えないまま突進したので、洞窟の壁に激突した。ひっくりかえって、少しのあいだ脚をピクピクさせて、動かなくなった。

「……」

 ラザレは虫の死骸と、自分の持っていた短刀をかわるがわる見て、立ち尽くしていた。

「ラザレさん、行きましょう」

 ウィリアが言った。

 ラザレは答えた。

「……帰るぞ」

「え?」

「帰る。洞窟から出るんだ」

「それは困ります。まだキマイラを狩っていません」

「金は返す。抱いた分は、あとで埋め合わせしてやる。この前、魔物が数割増しに強くなっていると言ったが、それどころじゃねえ」

 ラザレはまた虫を見た。

「俺はこいつを何度も狩っている。継目を狙えばそれほど難しくなく倒せるやつだ。ところがナイフが通らなかった。さっきのネズミもそうだ。あんな雑魚は普通なら一撃だ。だが二回かかった。ここの魔物は、前より段違いに強くなっている。

 もう一つ、この虫は普段は第三階層にいるはずのやつだ。それが第二階層で出た。下のやつが上がってきている。今のここは、二人で入るような難易度じゃねえ。ぼやぼやしてると、死んでしまう」

 ラザレはウィリアを見た。眼は真剣だった。

「……わかりました。帰りましょう」




 二人は早足で道を戻った。先ほどの大シデムシよりは小さい虫の魔物などが襲ってきたが、なんとか撃退した。もう少しで第一階層に出る坂道になる。

 なにかの気配がした。

 暗闇から、小さい人間のようなものが現れた。手に棍棒を持っている。腰巻きだけを身につけていて、体の色は土のようだった。

「これは!?」

「ゴブリンだ! くそ! 第二階層に……!」

 ゴブリンは棍棒を振りながら襲ってきた。

 ウィリアは剣を振った。ゴブリンは斜めに切られて絶命した。

 だが、次々とゴブリンが出てくる。ウィリアは何度も剣を振って、倒した。ラザレもナイフで戦った。しかし数が多い。

「きりがないです……」

「多少は知能があるから、普通なら退却するはずだが、完全に魔物化してやがる……」

 数に押され、二人はじりじりと下がった。洞窟の横穴に位置をとった。横穴は下り坂になっていた。

「ええと、この道は……? あ!! しまった!!」

 そういうと同時に、ラザレの足が滑り、落ちた。

「ラザレさん!」

 ウィリアは手を差し伸べようとしたが、届かなかった。それどころか、一緒に落ちてしまった。

「わーっ!」

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