8 王都歓楽街(2)

 王都の歓楽街のはずれ、さびれた一角がある。半壊した店が並び、瓦礫と埃が道に積もっている。夜でも灯りはない。月の光の下ではすべて灰色である。

 建物の間に、人一人が通れるくらいの隙間がある。

 銀色の鎧の上に灰色のマントを羽織った女剣士、ウィリアはそこに入っていった。

 隙間の奥に、地下に降りる階段がある。階段の手すりは錆びて曲がっている。降りた先には、重そうな扉があった。

 ウィリアは扉を開けた。

 扉を開けた瞬間、華やいだ音が聞こえてきた。楽団が曲を演奏している。酔っ払いが調子外れの声で歌っている。あちこちのテーブルでバカ騒ぎしている。そこは酒場であった。

 扉の近くにいた店員が声をかけた。

「初めての方ですね。どなたかのご紹介は?」

「魔法用具店のご主人から紹介されて来ました」

 ウィリアは懐から紹介状を取り出し、店員に見せた。

 店員は紹介状を一通り読んだ。そしてポケットから眼鏡を取り出した。魔法用具店の店主が使っていたような、周囲に呪文らしきものがついている眼鏡だった。それでウィリアを見た。

「よろしいでしょう。ラザレ様に会いたいと……。少々お待ちください」

 店員は奥に行って、少しして戻ってきた。

「こちらへ」

 奥の方の個室。ウィリアが入ると中には、無精髭の中年男と、女性が二人いた。女性の一人は頭に兎の耳の飾りをつけていた。もう一人は猫の耳の飾りをつけていた。どちらも布の少ない服を着ていて、豊満な体があまり隠れていなかった。

 中年男が言った。

「おや……。女騎士さまか」

 ウィリアは男を見て言った。

「あなたがラザレさんですね? 仕事を依頼にきました」

 男は二人の女性に言った。

「悪いな。仕事の話だ。出てってくれ」

「えー? うっそー」

「ラザレさま、ひどーい」

「次に指名してやるからよ」

 なんだかんだ言いながら、二人の女性は出て行った。

「で、仕事はなんだ」

「南の洞窟で狩りをするため、お力を貸していただきたいのです」

「目的は?」

「キマイラです」

「マヒ除けか……」

 キマイラの牙が、マヒ除けの材料になる。魔法用具店の店主がそう言っていた。

「俺もあれには儲けさせてもらった。何回も狩っている」

「それは心強いことです。わたしも一緒に行きますので、狩猟に協力してほしいのです。お支払いする金額は、おいくらになりますか?」

「俺の相場は、一回の探索で二千ギーン。前金で半分。成功報酬で残りだ」

 安くはないが、単にマヒ除けを買ったとしてもあまり変わらない金額になる。

「お支払いできます。では、引き受けてくださるのですね?」

「そうだなあ。悪い話じゃないが……うーん……」

 ラザレは顎に手を当てて少し考えた。そして答えた。

「今回はことわる」

「え……。なぜ?」

「一つには、俺はいま、金に不自由していない。もう一つは、最近、全国的に魔物の力が強くなっているらしい。以前より何割か増しだそうだ。いま魔物相手の仕事をするのは損だ」

 ウィリアは困った顔をした。

「なんとか、お願いできませんか? 報酬はいくらか増額できます」

「言っただろ。金には今のところ困っていない。そして、俺も先日魔物を狩ったが、実際に強くなっている感じがする。悪い風のときは動かない主義だ。下手するとケガするからな」

「魔物が強くなっているというのは、なぜでしょうか……?」

「さあ、それは知らねえ。時々あることらしいけどな。魔界から変な魔力が流れ込んてるって言う奴もいるが」

 ウィリアは引き下がらなかった。訴える眼で言った。

「不利な状況なのはわかりました。ですが、マヒ除けのアクセサリーが要るのです。それも早急に。どうか、引き受けてくれないでしょうか」

「マヒ除けが必要、ねえ? マヒを使う魔物でもいるのか?」

「……魔物というか……倒さなければならない者がいます」

「魔物じゃないのか?」

「魔物かどうか、ちょっと……」

「なんかわからねえ話だな。だいたい、女騎士さま、あんた、何者だ?」

「すみません。事情があって名を隠しております」

 ラザレは鋭い目でウィリアの全身を見た。

「その鎧……貴族か」

「……」

 ウィリアは慌てて灰色のマントで鎧を隠した。

躑躅つつじの文様……ゼナガルドか? そういえば噂を聞いたな。最近あちこちで暴れ回っている『黒水晶』に領主を殺され、その娘は犯されたとか……」

 ウィリアが犯されたことは、一般に知られているらしい。もっとも、自分でおおやけに認めているし、王城の兵士や役人たちにも明言しているので、広まるのはしかたのないことであった。

「……その通りです。わたしが、その犯された娘、ウィリア・フォルティスです」

 ウィリアは眼を伏せながら名前を言った。ラザレが口を丸くした。

「これは驚いた。公女さまかよ」

「領国は捨てました。今のわたしは、何者でもありません」

「それで、狙ってるのは『黒水晶』か?」

「その通りです。奴は、黒水晶はマヒの術を使います。防ぐことができなければ戦えません。マヒ除けのアクセサリーがどうしても必要なのです」

「マヒを除けられたとして、あんた、そいつに勝てるのか?」

「いまは勝てません。……勝てなくてもいいのです。差し違えることができれば……」

「……へえ……。かたきをとるために、死ぬのか?」

「はい。差し違えて死ぬつもりです。ですが、マヒの術を破らなければ、差し違えることすらできません。奴にはいつ出会うかわかりません。何もできないまま死んで、後悔はしたくないのです」

「差し違えてねえ……。あんたみたいな若い娘が……もったいない」

 ラザレはウィリアの姿を、頭から足まで見回した。

「どうか、お願いします」

 ウィリアは頭を下げた。

「……ひとつ条件がある。聞いてくれるなら、行ってやる」

「条件とは?」

 ラザレはにやりと笑いながら言った。

「やらせろ」

「え? ですから、仕事をやってくださいとお願いしているのです」

 ラザレは困った顔をした。

「いや、そうじゃない。あんたとやりたいと言ってるんだ」

「ええ、わたしも一緒に行きます」

 ラザレは首をひねった。

「いや、つまりだな……要するに、あんたを抱きたいんだよ」

「あっ…………。あ、あはは」

 さすがにウィリアも理解して、照れ隠しで乾いた笑い声を出した。

「わたしは黒水晶に犯されました。この体を抱きたいというのですか?」

「抱きたいねえ。ぜひとも」

「承知しました。すでに汚れた体。惜しくはありません。妊娠しないようにしてくだされば、その条件を飲みましょう」

「いいんだな?」

「二言はありません」




 ラザレとウィリアは連れだって、古い宿屋の前まで来た。

 きれいな宿ではない。衛生害虫が出そうだ。ウィリアにはわからなかったが、いわゆる連れ込み宿である。

 宿の扉が近づく。ウィリアはラザレをちらりと見た。無精髭の生えている中年男である。

 この宿でこの男と、黒水晶の剣士にされたおぞましい行為をするのだ……と思うと、背中に冷たいものが走った。

「……ね、ねえ、ラザレさん、わたしを抱くよりも、少し報酬額を上げますので、そっちの方がいいのではありませんか?」

「なんだ? ビビったか?」

「そ、そうではありません。……あの……わたしはこういうことにあまり経験がなく……。あなたを満足させられるか、自信がなくて……」

「俺は金には不自由していない。女ならいつでも買える。だがな、貴族の娘を抱く機会なんてのは、まずないからな。いやって言うんなら、この話は無しだ」

「……そうですか。……では、行きましょう。……あの、くれぐれも、妊娠はしないようにしてください」

「ああ、わかってる」




 事は終わった。

 ウィリアは、裸のまま、ベッドに横たわっていた。瞼をずっと開いていた。閉じるとなにかがこぼれそうだった。

 ラザレは服を着ながら言った。

「いやー、公女さま、すっげー具合よかったぜ」

「……そうですか」

 ウィリアはちり紙で体の汚れをふきとり、下着をつけた。

「……それで、洞窟にはちゃんと行ってくれるのでしょうね」

 ラザレは壁にもたれて、にやにやしながら答えた。

「さあて、どうしようかな。欲しいものは頂いちゃったからな」

 ウィリアは下着姿のまま剣を抜き、ラザレの首の近くの壁に打ち付けた。刃が首の皮ぎりぎりまで迫った。

「このに及んで約束をたがえるなら、斬る!」

「じょ、冗談だ……。落ち着いて、落ち着いて……。俺もプロだ。仕事はちゃんとやる」

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