6 ゼナガルド城(4)

「お嬢様、お考え直しください!」

「いいえ、わたしは、出ていきます」

 ゼナガルド城の奥で言い争う声があった。

 黒水晶の剣士たちの襲撃から半月。領主の葬儀が行われた。

 王国の意向で葬儀は質素なものになった。黒水晶の剣士の存在を一般に知らせると不安を招くため、なるべく内々で済ませるようにとのことだった。領民に敬愛される領主であり、王国からも重用されていた伯爵マリウスの葬儀としては、極めて寂しいものであった。

 葬儀後、領主の一人娘ウィリアは、突飛なことを言い出した。

「黒水晶の剣士を探すため、わたしは旅に出ます」

 当然ながら、城内の誰もが反対した。最も反対したのは、養育係のマイアだった。

「一人で行くなんて、とんでもない! お嬢様は城にいてください。捜索は兵士たちが行います」

 ウィリアはすでに鎧を着込んで、荷物袋をななめにかけ、すぐにでも出立する格好だった。反対するマイアに正対して言った。

「報告を待っていれば、いつまでかかるかわかりません。それまでのうのうと城にいるのは耐えられません。かたきをとりに行きます」

「そんな、かたきなんて……お嬢様のやるべきことではありません」

「わたしの目の前で、父が殺されたのですよ! 父だけではありません。兵士たちも、メイドも、何人も死にました。ジオさんだって……」

 庭師ジオの名を聞いてマイアは一瞬眼を伏せたが、再度ウィリアを見て言った。

「わたしたち夫婦には子供がいません。息子がいましたが早くに死にました。養育係の名誉をたまわってから、わたしもジオも、お嬢様の成長だけを楽しみにしていたのです。お嬢様にもしものことがあったら、わたしも生きていけません。どうか、そんな無謀なことは、やめてください。領主を継いで、ここにいてください……」

 マイアは半泣きになっていた。しかし、ウィリアはあきらめなかった。

「わたしは、父の横で、奴に犯されました。これ以上の恥辱はありません。本来なら、自ら死を選ぶべき人間です。かたきをとらない限り、陽の下を歩ける立場ではありません。まして、領主なんて、できるはずがありません」

「そんな……そんな風に考えないでください。死ぬべきなんて、誰もそんなことは思いません」

「純潔は大事だと、教えてくれたのはマイアではありませんか!」

「たしかに純潔は大事でも、命と比べるべきものではありません。どうか、起きたことは、忘れてください」

「いいえ、忘れることはできません!」

「なぜそんなにかたくななのですか!」

「……マイア、わたしは、自分が許せないのです。負けたことが。犯されたことが。負けたことはしかたありません。ですが、負けを受け入れることだけはできません。わたしは強くなります。そしてかたきをとります。それができなければ、生きていても意味がないのです」

「命を無駄にしないでということがわからないのですか!」

 ウィリアとマイアはにらみ合った。

「マイア、どいてください」

「いいえ、どきません。お嬢様の思いはわかりました。ですが、許すことはできません。どうしても出て行くというのなら、わたしを斬ってください」

 ウィリアは眉をひそめた。

「あなたを斬る理由がありません」

「わたしが生きている限り、お嬢様の旅を阻止します。絶対に行かせません。どうしても行くのなら、お斬りください! さあ!」

「……」

 執事長が間に入って言った。

「お嬢様、どうか今晩は、部屋でお休みください」

 ウィリアは無言で寝室に戻った。




 ウィリアの寝室のドアの外と、窓の外には、兵士の見張りがつけられた。マイアが兵士たちに指示した。

「お嬢様が出奔しそうになったら、しがみついてでも止めるのですよ」

「はっ」

 マイアは廊下の少し離れたところで、若いメイドとともに警戒していた。メイドが言った。

「一晩お休みになったら、あきらめてくれるのではないでしょうか?」

 マイアは首を振った。

「いいえ、お嬢様がそう簡単にあきらめるはずがありません。普段はお優しい人ですが、思い込んだらとにかく強情なんですから」

 そして思い出を語り出した。

「お嬢様が六歳の頃、真剣が欲しいと言い出したんですよ。さすがに危ないと言ってみんな止めたのですが、真剣が欲しい真剣が欲しいとずっと言い続けて、二ヶ月くらいあきらめませんでした。とうとう旦那様が根負けして、与えてしまいました。もっともその一月後ぐらいには、それで薪を切断できるようになってましたが……」

「はあ……」




 ウィリアが鎧を着たまま寝室のドアを開け、廊下に顔を出した。両側にいる兵士たちが向き直った。

「ウィリア様、今夜はお休みください」

「……剣術の稽古をしてから寝ようと思います。居合の練習に使う丸太を持ってきてください」

「丸太ですか? わかりました。お待ちください」

 兵士は近くのメイドに持ってくるように命じた。メイドは台車に乗せて丸太をいくつか持ってきた。

「ウィリア様、持ってまいりました」

「ありがとう。部屋に入れてください」

 丸太が搬入されてから、「やーっ!!」というかけ声と、木を斬る音がしばらく部屋の中から聞こえた。時間が経って、それも聞こえなくなった。




 深夜、ランプを持ったマイアが巡回して、ドアの前の兵士たちに確認した。

「お嬢様はちゃんと居るでしょうね?」

「はい」

「なにか変わったことなかった?」

「変わったことは特にありませんが、先ほど、居合いの稽古をしたいから丸太を持ってきてと言われました。しばらく部屋の中で稽古をしていたようですが、それも終わって、寝ていると思います」

「そう。ならいいわ」

 そういって離れようとしたが、少し歩いて、足が止まった。

「……」

 マイアは引き返し、寝室のドアを叩いて叫んだ。

「お嬢様!! お嬢様!!」

 兵士が驚いて止めた。

「マイア様、もう夜中ですから……」

 しかしマイアは叩き続けた。

「お嬢様!! 開けてください!」

 ドアには鍵がかかっていた。中から反応はなかった。

「合鍵を持ってきて!」

「合鍵ですか?」

「そう! 早く!」

 兵士は状況が理解できないまま、管理室から合鍵を持ってきた。

 ドアを開けた。部屋の中は暗い。ランプをかざす。

 部屋の一角には切断された丸太が転がっていた。そして、床板が斬られて、大きな穴が開いていた。ウィリアの気配は、部屋のどこにもなかった。




 ゼナガルド城が月光に照らされている。

 ウィリアは、街はずれの丘で、馬に乗ってそれを見ていた。

「マイア、みんな、ごめんなさい。わたしは生きて帰ることはできないでしょう。良い領主を迎えて、健やかに過ごしてください。さようなら」

 馬に一鞭を加え、夜の中へ駆けだした。

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