城の日々

2 ゼナガルド城(1)

 そんな夜から、何年かが過ぎた。

 ゼナガルド領国の都に城がある。領主の家族が住んでいる。さらには多数の兵士や役人が働いて、領国を運営している。

 城の中に、兵士の訓練施設がある。

 剣技練習室の中には二十人ほどの兵士がいた。みな鎧を着込んでいる。兵士になるだけのあって、ほとんどが大柄でがっしりした体をしている。

 中にひとりだけ、他の兵士より小柄で華奢な者がいた。綺麗な銀色の鎧を着ている。面頬を下げているので、顔は見えない。

 対戦形式の練習が行われている。白線で区切られた試合場に二人ずつ入り戦う。倒れたり場外に出たら負けである。

 華奢な兵士と、もう一人の兵士が、試合場の中に立った。体の大きさは一回り以上差がある。

 横で見ている教官が口を開いた。

「始め!」

 二人の兵士は剣を構え、戦闘態勢をとった。

 わずかな瞬間の後、華奢な兵士の方が突進してきた。

「やーっ!!」

 その踏み込みは鋭く速い。もう一人の兵士は一撃目を剣で受け止めたが、華奢な兵士は攻撃を止めなかった。剣を鋭く振り回し、自分より大きな兵士を後ずさりさせた。

 大きな兵士のバランスが崩れた。華奢な兵士はすかさず、力強い一撃を叩きつけた。大きな兵士はうしろに転がり、練習室の壁近くまで飛ばされた。

 教官が言った。

「そこまで!」

 華奢な兵士はそれを聞くと、一息をついて剣を鞘に戻した。そして、かぶっていた兜を脱いだ。

 兜を取ると、肩まである髪がこぼれ落ちた。鎧を着ていたのは女性だった。

 教官が言った。

「ウィリア様、また踏み込みが鋭くなりましたな」

「ありがとうございます!」

 ウィリアと呼ばれた女性は、満面の笑みでお礼をした。

「では、今日はここまで」

 練習時間が終わった。

 兵士たちが鎧を外して引き上げる。ウィリアも部屋を出た。

 部屋の片隅に、蒼白な顔をしてうなだれている男がいた。先ほどウィリアと戦って敗れた兵士だった。別の兵士が声をかける。

「どうした? 新入り」

 泣きそうな声で答えた。

「ぼ、僕は、地元の道場では負け無しだったんですよ。師範代まで務めたんです。それなのに、ここに来たら、いきなり女性に負けるなんて……」

「ああ……。いや、女性とは言っても、お嬢様はしょうがない。そこは気にするな」




 ゼナガルド領主マリウスの娘、ウィリア・フォルティスは、父の愛を受けて、健やかな乙女に育っていた。

 髪は艶々と光っていて、肌は健康的な桜色である。母親似で美しいが、やや幼なげな顔つきで、かわいらしい印象を与える。

 父と麺棒で遊んだあの日から、ウィリアは剣術のとりこになった。父は戯れで才能があると言ったが、本当に才能があったらしい。子供の遊びの段階をすぐに通り越し、本格的に剣術の指導を受けてどんどん力を伸ばした。城の兵士たちと一緒の訓練を受けるようになり、いまやその中でも上位に入る実力者である。

 彼女の体格は女性としては華奢でも小柄でもないのだが、他の兵士たちと比べるとどうしても劣っている。それでも、動きの鋭さを武器にして一歩も引かないのだった。

 練習を終えたウィリアは、私服のズボンとブラウスに着替え、城の中庭を歩いていた。季節の花が咲いている。

 中庭の片隅に石碑があった。彼女はその前で足を止め、手を組んだ。

「お母さま……」

 石碑には「レイア」という名前と、美しい女性の浮き彫りがあった。

 美しく優しかった母レイアは、数年前、はやり病で亡くなってしまった。墓は別にあるが、いつでも挨拶できるように中庭に石碑が立っている。

 母への挨拶をすませ、石碑を改めて見ると、水差しに活けてある花がやや古くなっている。

 ウィリアは中庭を見渡した。

 一角で庭師が仕事をしている。そこへ走り寄った。

「こんにちは! ジオさん!」

「おや、お嬢様、こんにちは」

 初老で角刈りの庭師が振り返った。

 まわりの花壇には薔薇がたくさん咲いている。

「白バラがたくさん咲きましたね」

「ここしばらく気候がいいですから」

「お母さまは白い花が好きだったから、少し切ってくれない?」

「ええ、どうぞ。いいところを切りましょう」

 庭師が薔薇を何本か切り、束にした。

「ありがとう!」

 ウィリアは庭師に微笑んで、花束をかかえて石碑へもどっていった。




 花を替えてウィリアが自室に戻ろうとすると、ちょうど城へ帰ってきた父と出くわした。

「あ、お父さま!」

「おお、ウィリア」

 父マリウスはゼナガルド領主として忙しい日を送っていた。

「今日は何かあったか?」

「はい! 午前は古典語の勉強をしました。午後は剣術練習で、立ち合い形式の稽古をしました。立ち合いでは、踏み込みが鋭くなったと先生に褒められました!」

「そうか。がんばっているな」

「では、また!」

 ウィリアは自室にもどっていった。父は溌剌とした娘の後ろ姿を見て目を細めていた。

 その時、マリウスの後から、年配の女性の声がした。

「旦那様、ちょっと」

「ん?」

 振り返ると、少し太めで、メイド服を着た女性がいた。メイド長で、ウィリアの養育係のマイアだった。

「喜んでいる場合じゃないですよ。ねえ旦那様、お嬢様に、剣術の練習を控えるように言ってくださいませんか?」

「なぜだ? 好きでやっているものを、止めることもないだろう」

「婿探しの件ですよ。あちこちに声をかけていますけど、お嬢様が剣の腕が立つとわかると、いい顔をされないんです。最近では噂が広まって、こちらから言わなくてもなんか知られているようで」

「いやしかし、娘が剣術をやっているという話をすると、どこでも『それは立派ですね』と褒められるぞ?」

「それは建前というものです。いやね、他人の娘ががんばっていると聞けば立派と言うでしょうよ。ですが婿を出す側ならどう思いますか? ただでさえ婿養子に出すなんて不安なのに、相手が剣術の達人なんて聞けば、なにかあったら剣でしばかれそうとか思うじゃないですか。お嬢様はやさしいお方だからそんなことないと説明しようとしても、その前の時点で反応がよくないんですよ」

「うーん……」

「それに以前、お嬢様に、どんなお婿さんがいいですかと聞いたことがあるんですけどね、なんと言ったと思います?」

「うむ、何て?」

「『顔や家柄はそんなに良くなくてもいいけど、優しくて、剣がわたしよりちょっと上手な人がいいな。夫婦で剣の練習したら楽しそうじゃない?』と言ったんですよ。ぜいたく言わない、という感じでしたが、最後の条件が一番難しいんですよ! しかも、日に日に難しくなってるんですよ!」

「とはいえ、ウィリアが天下無敵というわけでもないのだから、いないこともないのでは?」

「剣の上手はそれなりにいますけどね、人柄・家柄に問題がなくて、適当な年齢で独身というと、本当にいないんですよ。いくら腕が立っても、人を殺して流れてきた傭兵とかでは困るでしょう?」

「確かに……。そういえば、武人ではないようだが、ヒブリス伯爵のご次男を調査すると言っていたな。あれはどうなった?」

「あれはだめです! 二十歳そこそこで愛人が複数いるばかりか、庶子までいます!!」

「そ、そうか」

「とにかく、家柄や剣の腕は妥協しても、人柄は妥協するわけにいきません! お嬢様の幸せに関わります!」

「うん、そうだな……。まあ、苦労をかけるが、婿探しは続けてくれ」

「ええ……。それとですね、旦那様」

「ん? ほかに何か?」

「そろそろ後添えをもらうつもりはないですか? ちょっといい話があるんですが」

「えっ……。い、いや、俺はいいよ」

「そんな事をおっしゃらずに。奥さまを忘れられないのもわかるのですが、旦那様ほどのお方がずっと独身では格好がつかないじゃないですか。まだ男盛りですし。話だけでも……」

「いや、いいんだ。それじゃ」

 マリウスはそそくさとその場を離れた。

「まったく、旦那様も強情なんだから……」

 マイアは中庭を歩いて、庭師のところに行った。

「あんた。いっぱい咲いたね」

「おう」

「奥さまの花そろそろ替えるから、ちょっと切って」

「ああ、それなら、さっきお嬢様が持って行ったぞ」

「あ、そうなの?」

 マイアが石碑に行くと、白いバラが水差しに山盛りになっていた。

「よく気がついて……。本当にお嬢様はお優しいのに……。わかってくれるお婿さんが、早く見つかるといいんだけどねえ……」


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