カタクナクエスト 汚され姫の冒険

来也亜男

プロローグ

1 剣術大会

 王都の建国祭は三日間続く。最終日の目玉は、コロシアムで行われる剣術大会である。

 秋晴れの空の下、数万人を収容するコロシアムは満員であった。中央に四角形の闘技壇があり、それを取り囲むすりばち状の観客席がある。

 上の方は立見席で、ノミ屋が賭券を売ってたりする。その下は簡単なベンチの席。下がるに従って椅子の質が良くなっていき、下の方には貴族や役人が座る席がある。闘技壇がよく見える場所に貴賓席が設けられており、今日は国王とその孫が観戦に来ている。

 闘技壇のすぐそばには、大会関係者や選手の付人が座る席がある。剣術の大会だけあって、関係者にも精悍な男たちが多い。

 最前列に、女性と少女がいた。

亜麻色の長い髪で、青いドレスを着ている、美しい女性。静かに姿勢よく座っている。この武張った雰囲気にはやや不釣り合いであった。その膝の上には、五歳ぐらいの少女がいた。かわいらしい顔をして、女性の腕に抱かれながらすやすや眠っている。

「ウィリア……起きなさい」

 女性はその少女に呼びかけた。少女は目を開けると、すぐにハッとした顔をした。

「あ! 眠っちゃった!! おかあさま! おとうさまは勝ったの!?」

 女性は微笑んで答えた。

「勝ちましたよ。もうすぐ、次の試合が始まりますよ」

「よかった……」

 この子の父が選手として出場している。前の試合は重武装の剣士が相手で、決着が付かず、試合時間がきわめて長くなった。応援づかれで眠ってしまったのだ。時間切れで判定になり、父親の勝ちが決まった。

 これから準決勝が始まる。

闘技壇の中央に呼出人が現れ、選手の名前を叫ぶ。

「東側選手、ゼナガルド領主、マリウス・フォルティス!!」

 立派な鎧を着込んだ、がっしりした体躯の剣士が東口から現れた。口髭を蓄えたたくましい顔をしている。

「わーっ! おとうさまだ!! おとうさまー!!」

 剣士の姿を見て、ウィリアと呼ばれた少女が体を乗り出した。思いきり乗り出したので、手すりを越えそうになり、母親が必死で抱きとめた。

 少女の父、マリウスは、娘と妻にわずかに手を振ってみせ、兜をかぶった。

 呼出人がもう一度叫ぶ。

「西側選手、第十傭兵団隊長、ゴルマ!!」

 西口から、巨大な体の剣士が登ってきた。マリウスより頭ひとつ以上大きい。持っている剣も長大だ。着ている鎧は傷だらけだが、実用的で頑丈そうだ。

 呼出人が闘技壇から降りる。二人の剣士が中央で相対した。

「試合……開始!」

 巨大な剣士が剣を振り下ろした。マリウスはそれをかわす。剣が闘技壇の石床に当たってかけらが飛び散った。

 巨大な剣士は何度も何度も剣を振り下ろした。マリウスは素早くそれをよける。先に攻撃させて、体力の低下を待つ作戦のようだ。

 剣が振り下ろされるたびにコロシアム中が沸く。見ていたウィリアも声を張り上げる。

「おとうさまーー!! がんばれーー!!」

 相手の攻撃が途切れた瞬間を見てマリウスが剣を振るった。しかし、巨大な剣士は咄嗟にのけぞってぎりぎり避けた。準決勝まで来るほどの剣士だ。体が巨大でもけして鈍重ではない。

 再度、巨大な剣士が剣を振り下ろし、マリウスがかわす展開が続いた。横に斜めに避けて、機会をうかがう。

 だが、足元に、先ほど欠けた床があった。マリウスはそれに足を取られ、動きが一瞬止まった。

「もらった!!」

 巨大な剣が振り下ろされた。コロシアム内の誰もが、マリウスは叩き潰される、これで決まったと思った。

「ああっ!! おとうさまーっ!!」

 だがマリウスは、咄嗟に剣を横に構え、一撃を受け止めた。そして渾身の力を込めて跳ね返した。

 受けられるとは思わなかったのだろう。巨大な剣士の動きが一瞬止まった。マリウスはそれを見逃さなかった。

 間髪入れず、巨大な剣士の胴に打撃を与えた。巨体が揺らいだ。さらにもう一発、足元を打った。巨大な剣士は横方向に倒れ、四角い闘技壇の外へ落ちた。

 コロシアムに歓声が上がった。

「勝者、マリウス・フォルティス!!」

 マリウスは高々と剣を突き上げ、歓声に応えた。

「わーい!! 勝ったー!! おとうさまが勝ったー!」

 母の腕に抱かれているウィリアも大興奮だった。

 マリウスは面頬を上げて観客に顔を見せた。表情はにこやかだが、激戦で汗まみれだった。

 競技者は裏側に引き上げた。一部が欠けた闘技壇に簡易的な修理が行われた。準備ができればすぐ決勝戦である。

 最前列にいたウィリアは、振り向いて、彼女を抱いている母にたずねた。

「次のしあいが最後なの?」

「そうよ。決勝戦。それに勝てば、お父様が優勝するの」

「勝つよね? おとうさま勝つよね?」

「さあ、どうかしらね」

 ウィリアの母レイアは軽くほほえんで言った。ウィリアはけげんな顔をした。

「えっ? だって、だって、おとうさまはすごくつよいし、すごく練習もしたから、ぜったい勝つでしょ? 勝つよね?」

「そう。お父様はとても強いの。でもね、この大会に出てくる人はみんな、すごく強くて、すごく練習した人ばかりなの。だから、どちらが勝つかは、誰にもわからないのよ」

 母の言葉を聞いて、ウィリアは不安な顔になった。

「わたし、おとうさまに勝ってほしい……。どうしたらいいの?」

「ママも勝ってほしいわ。だから二人で、いっしょうけんめい応援しましょう」

「うん!」

 立見席あたりでは賭けている連中が話している。

「どっちが勝つかな?」

「フォルティス伯も実力者だが、三十過ぎでそろそろ下り坂だろ? それに、準々決勝と準決勝で疲れてるからちょっと苦しいなあ。まして相手が絶好調のキース殿だし」

 そうこうしてる内に、決勝戦の用意ができた。闘技壇の上に呼出人が現れる。場内が静かになった。

「お待たせいたしました。今年の剣術大会最後の試合になります。……東側選手、ゼナガルド領主という重職ながら、剣技でも超一流。しかし、今回の大会かぎりでの引退を表明しております。勝っても負けても最後の試合、マリウス・フォルティス伯爵!!」

 マリウスが東口から現れた。コロシアムが大いに沸く。

「おとうさまー!! がんばれー!!!」

 ウィリアが精一杯の声を張り上げた。

 呼出人が紹介を続けた。

「続きましては西側選手です。剣技に専念するため、国王親衛隊を休職しました。その後、剣術試合で負け無しの三十連勝中! 騎士キース・エルマ!!」

 西口からも選手が現れた。二十代半ばの精悍な剣士である。コロシアムが前にも増して沸いた。

二人が闘技壇の中央に対峙し、目礼を交わす。

「開始!!」

 若い剣士は開始直後に踏み込んできた。剣が陽光に光り、マリウスの肩を襲う。マリウスは間一髪、剣を剣で受け止めた。

 若い剣士の動きは鋭い。何度も剣を叩きつけてきた。マリウスはそのたび剣で受け止める。

 主導権は確実に相手にあった。マリウスはじりじりとうしろに下がり、闘技壇の端に追いつめられた。

「おとうさまー!!!」

 最前列で見ているウィリアが悲鳴のような声を出した。

 あと一撃で闘技壇から落とされる。若い剣士が最後と思って剣を打ち付けようとした。

 その瞬間、マリウスは大きく飛び上がって剣をかわし、闘技壇の端からのがれた。若い剣士は驚いた。

「まだそんな体力が?」

 今度はマリウスが若い剣士に打ちかかった。だが剣で受けられる。

 打ち合いの展開になった。

 若い剣士の方が手数が多い。マリウスも体勢をやや持ち直したので、攻撃をしっかり受け止める。一進一退。打ち合っては離れ、打ち合っては離れることを何回か繰り返した。

「おとうさまー!!! がんばれー!!!」

「あなたー!! しっかり!!!」

 何度かの打ち合いの後、疲労を覚えた若い剣士は大きな呼吸をした。

 マリウスは全力で突進した。この機しかないと感じての踏み込みだった。若い剣士は呼吸の隙を突かれ、防戦に回った。

 マリウスは鬼神のように剣を何度も振るった。ついにそれが若い剣士の体を撃ち、闘技壇の床へ倒した。

 すかさず喉元へ剣先を向ける。倒した上で、喉元に剣を向けた。この瞬間に勝敗が決まった。

 審判席から声が上がった。

「優勝!! マリウス・フォルティス!!」

 コロシアムが大歓声に包まれた。

 勝敗の宣告を聞きとどけると、疲れ切ったマリウスは闘技壇に膝をついた。残りの力をふりしぼり、剣を持った手を高々と上げて歓声に応えた。

「やったー!! おとうさまが勝ったー!! 勝ったー!!」

 最前列にいるウィリアは、小さな手で何度も拍手をした。彼女を抱いている母レイアは、こぼれる涙を指でぬぐった。

 闘技壇上のマリウスは二人を見て立ち上がり、腕を大きく振ってみせた。




 建国祭最終日も暮れてきた。街角に灯りがともる。

 街の一角に、ゼナガルド領国の首都屋敷がある。

 屋敷の食堂に、給仕の他は三人がいた。当主のマリウス、その妻のレイア、そして幼い娘のウィリア。

 祝勝会を開くことになったが、それは後日ということで、今夜は家族三人だけでささやかにお祝いをするのである。

 建国祭の剣術大会には、高額の賞金や報償はない。名誉だけである。しかしその名誉こそマリウスがずっと欲しかったものなので、彼はすこぶる上機嫌であった。料理が来るのを待たずにワインを飲んで、終始にこにこしていた。

 優勝カップは与えられた。娘のウィリアは、彼女の身長と同じくらいの高さがあるカップに抱きつくようにして、ダンスみたいにくるくる回った。

「まあ、ウィリア、それは大事なものです。おもちゃにしてはいけません」

 ウィリアの母、レイアがたしなめた。マリウスは笑いながら言った。

「ははは。かまわん。カップなんて飾りだ。あってもなくても優勝した事実は変わらない」

「そういうわけにはいきませんよ」

 母親はウィリアを抱き上げ、カップと引き離した。抱っこしたままマリウスの横の席に座った。

 ウィリアが父に話しかけた。

「おとうさま、かっこよかったよ!」

「ははは、そうか?」

「おとうさまはどうして、そんなに剣が強くなったの?」

「長いあいだ、稽古したからだよ」

「ながいあいだってどれくらい? わたしが生まれるよりも前?」

「ああ、ずっと前。子供の頃から、お父さんは剣の稽古をしていたんだ」

「そうなんだ……」

 親が子供の頃、というのは幼い子にはピンとこないもので、ウィリアは上目遣いになって想像を巡らせた。

 少しして、母の膝から飛び降り、走り出した。

「そうだ!」

「おや、どこへ行くんだ?」

「ちょっと待っててね!」

 そう言って部屋の外へ飛び出していった。

 食堂にはマリウスと妻のレイアが残された。

「あなた……おめでとうございます」

「うむ。ありがとう」

 妻に祝われて、マリウスの顔が一段と笑顔になった。

「学生時代からの夢でしたものね。建国祭での優勝は」

「そうだな……。長かった……。いろいろあって出場できない間に、三十を超えてしまった。もう無理かとも思ったが、がんばった甲斐があったよ」

「この一年、本当にがんばって練習しましたから」

「俺も努力したが、仕事を調整してもらったり、下の者にも苦労をかけた。それでもどうしても出たくてな。シシアス伯爵には『お前がいまさら出るな。大人げない』と言われたが……。あいつはいいよ。一回優勝してるし」

「本当に、最後に優勝できてよかったですね……」

「正直言って、体力的には苦しいと思っていた。決勝戦なんか、ほとんど限界だったからな。それでもやれたのは、お前たちの応援のおかげだ。ありがとう」

 マリウスはテーブルの上の妻の手を軽く握った。

「あなた……」

 妻は手を握り返した。

「それに、優勝したかったこともあるが、そうでなくても出場はしたかった。くだらない見栄だが、ウィリアに強い姿を見てほしくてな」

「くだらなくなんかないですよ。ウィリアだってあんなに喜んで……きっと大事な思い出になります」

 その時、廊下からドタドタという足音が聞こえてきた。「お嬢様! だめですよ!」という声がした。

「ん? 何だ?」

 扉が開いて、ウィリアが入ってきた。右手にはヒノキの麺棒を持っていて、左手にはお鍋のふたを持っている。ウィリアが言った。

「やあやあ、われこそは、剣士ウィリアなるぞ。おとうさま、じんじょうに、じょうぶ、しょうぶ!」

 麺棒を剣、お鍋のふたを盾に見立てて、ポーズをとってみせた。

「まあ、なんですかウィリア」

 母はやめさせようとしたが、父はその呼びかけに答えた。

「ははは。ちょこざいな。かかってこい」

 テーブルの上にあったスプーンを持って、椅子に座ったままウィリアに向き直った。

 ウィリアは麺棒で父親に斬りかかった。父はスプーンで受け止めた。

 剣の達人だけあって、軽く持っただけのスプーンでウィリアの攻撃を完全に受け止める。ウィリアが麺棒を振っては受け止められることが何回も続いた。ウィリアの後から入ってきた厨房の職員と、母のレイアは仕方なくそれを見ていた。

 あまり何回振っても受け止められてしまうので、ウィリアはだんだんムキになってきた。力をこめて叩きつける。それでも受け止められる。べそをかきそうな顔になった。

 スプーンを持つ手が、わずかにゆるんだ。

 ウィリアの攻撃がスプーンを払い、父の胸元にぽかりと当たった。

「おお、やられた。はっはっはっ、負けた、負けた。降参だ」

「わーい!! ウィリアの勝ち!」

 ウィリアは両手を挙げて喜んだ。

 父は娘を抱き上げた。そして言った。

「優勝者から一本取ったんだ。ウィリア、お前には剣の才能があるぞ」

「ほんと?」

「本当だとも」

 ウィリアはちょっと考える顔になった。そして、父に抱きしめられながらこう言った。

「きめた! わたし、おとうさまみたいな、強い剣士になる!!」

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